第816話 バレテーラ(相手を吹き飛ばす呪文ではない)

「ちょっとあんた、どこ行ってたのよ?」


 決まり決まった言い訳で厠、と言いかけたところを肘鉄が飛んできた。この方は地力が弱いのでボスッという感じになり別に痛くはない。


 小さな肘で遠慮なくエルボーを放ってきたのは猩々緋しょうじょうひ様。廊下での偶然のエンカウントだった。


 いかに貧乏国でも公の場で着たきり雀とはいかないようで、昨日とは違うお召し物をされている。


 緋色をベースカラーにする点に拘りがあるのか色見は同じだが、素朴な春の花であるタンホポを白抜きの模様で雅に表現した立派なものだ。


 ちなみに昨日は藤の花柄で露骨に『褒めろ』オーラが出ていました。いや褒めたけどさ。女子ってこういうのスルーすると絶対根に持つし。


 しかし本当に美しい品なのも事実だ。これで反物の名手である織部様の作品を見る機会があったり、仕立人テーラーを営む悪魔に知り合いがいるので、少しは服の良し悪しを見抜く眼力もついてきたかな?


 まあ、少しだけ猩ちゃん自身が可愛いという加点もあるかもしれない。妖怪は美形が多いなぁ。


 もちろん着飾った女性への礼儀も含めて、今回も出合い頭によくお似合いですと褒めておいた。


 だが褒め方が気に入らなかったようで顔を赤くして『急になに言ってんのこの馬鹿っ』と怒られてしまったよ。

 スルーしたらスルーしたで怒るんだろうに。女性の誉め方は正解が分かんねえ。そしてイケボが変身した屏風これだったらそつなくこなせそうでなんか嫌。


 後ろには護衛の黒鬼である弥助様もおられて鷹揚に、『よっ』と気のいい土建屋のオッサンみたいに軽く手を挙げてくる。もう本当にぜんぜん喋らないなこの方は。


 こちらもお茶会に出て恥ずかしくないようにか、いつもの荒々しい恰好をやめて女物の正装だ。普段は『身綺麗な山賊』みたいなラフな恰好をされているからギャップがすごい。


 あとサイズ感で脳がバグる。彌彦いやひこ様ほどじゃないけどこの方も大概大きいからなぁ。女の子の格好をされると遠近感が狂った錯覚を覚えるよ。

 1/144スケールの中に1/100スケールのキットの混じった感じに見えるというか。


 浅黒い肌と黒い髪に合うようにか、負けじと色の強い濃緑の鮮やかな着物である。

 色味がハッキリしていて茶席にはいささか無粋と言う方もいるかもしれないが、屏風覗きとしてはとても似合うと思った。


 褒めたらなんか胸を張って勝ち誇られた。それと猩々緋しょうじょうひ様に強めに足を蹴られた。解せぬ。


「で? 昼間からもう疲れてるじゃない。何があったのよ――――さっきのあいつ・・・本人あんたじゃないでしょ?」


 ありゃ、バレてたか。イケボの化けた屏風覗きは顔形こそそっくりでも、なんというか『雰囲気イケメン?』だから知り合いには違和感があるんだろうな。


 トイレと言い張るとまた弱々な肘鉄を受けそうなので、とりあえず仕事が立て込んでいるとだけ話しておく。


 詳しく話せないのは国の事情と理解できる猩ちゃんは不満気な顔はしたものの、『私の席にはあんたが出なさいよね』とだけ言って足早に廊下を去っていった。


 方向的に目的地は厠なのはどうでもいい話かな。でもこれは他人事じゃない。


 今回のお茶会は各国から数名が代表者として席主亭主を行い、時間を分けてメンバーを替えつつ行われる大寄せと呼ばれる席。ザックリ言うとリーグ戦のような総当たりと例えると近いかな。


 つまりそれだけお茶やお菓子をいただくのだ。カフェイン満載のお抹茶を何度も。そりゃトイレも近くなる。


 そんな量のお抹茶を頂くのは健康上どうなんだろう。現世でも午前午後の通しで開かれて五杯、六杯と飲むケースはあるみたいだけどさ。


 もちろんお菓子だって残せない。茶道とは胃腸の弱い人には中々に厳しい世界である。


 なお人によっては家族への土産という名目で包んでもらうという小技を使ったりもするそうな。どんな業界も抜け道の開拓には熱心ですな。


「随分と気に入られているな」


 後ろから気配を殺していた優等生の低い声が聞こえてきて恐い。


 身分上話しかけられないと話せない相手だったので、この場には居ても黙っていたのはとばり殿である。お茶会にはこの子とのツーマンセルで挑む所存。


 保護者枠とも言う。どっちがどっちの保護者かは言うまでもない。


 すでに一番バッターならぬ一番目の亭主、黄の文旦様がお茶を振舞っており談笑など交えて滞りなく済んだらしい。『おまえと違って茶器の褒め方など含蓄があり堂々としたものだったぞ』とチクリと刺されてしまった。


 ただ、いささか間延びしてしまったとも言われた。


 淀みなく片付いたはずの一席を無駄な会話で引き伸ばした感があるのは、屏風これのために元みるく様がギリギリまで引っ張ってくれたからだろう。


 無粋な真似をさせてしまいちょっと罪悪感。でも屏風覗きの姿でやったのだから、席で無粋に思われたのは結局は屏風これになるのだが。


「まあおまえは元からお喋りだし、さほど違和感は無かったから大丈夫だろう――――赤の方様が気付いていたのは意外だが」


 いやいや、あれで結構の気が付くし気遣いのできる子ですよ? 基本おクソガ、大変やんちゃな方ですが。実際に偽物だと騒がずに黙ってくれてたみたいだし。


「違う。多くは騙されたフリをしているのだ。おまえの不在をあの場で詰めても別に良い事は無いからな」


 ホストが取り繕っているところにツッコミをいれても場が白けるだけ。これで国のパワーバランスや友好度が違っていれば無礼だと指摘してもいいが、仲の良い相手と事を構えても損しかない。


 だからここはスルー安定。後でちょっとした事ででも『知ってたよ』とにおわせて、国同士の約束事などを有利に持っていくほうがよほど得。そういう駆け引きらしい。


 国際交流怖っ。そして思わぬマイナスを白ノ国に与えてしまったかもしれない。これは後で怒られるのは確実だな。


 今後を思うとつい溜息を吐いてしまう。そして気力が切れるとまたフラフラなのを体が自覚してしまった。


 思わず壁に手をついたところで後ろから腰を支えられる。肩を貸すには屏風これと体格差がありすぎるからだ。


 それでも寄り添ってくれた体温から、しっかりと支えてくれる意志を感じた。


「情けない顔をするな。信賞必罰、失敗は成功で取り戻せばいい。だから頑張れ。私も、その、助けてやるから」


 行くぞと歩くのを促され、この子に逆らえない体は自然と二人三脚で歩み始める。


 この期に及んでもお茶の面子を考えると怖気づいてしまうのに、屏風覗きはとばり殿と一緒だと歩けてしまうのだなぁ。


 小休止を挟んで二席目。元みるく様と入れ替わった屏風覗きが参加する。


 亭主は牛坊主様。白からは東名山様と末席に屏風これ。赤からはひょうとくさんともうひとり。


 そして黄からはサプライズゲストとしてお線香の香りのするあの方が参加される。屏風これが下界に行っていた間に急遽参られたらしい。


 先代黄ノ国君主、宝僧院黄金こがね様が。


 女性に対して最悪の返答をチョイスしてしまった、あのきつねやでの夜が否が応にも思い出される。


 あ、冗談抜きで胃が痛い。キュッとくる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る