第811話 飛んで火にいるなんとやらを、火はなんとも思っていない
「
どこかのちっちゃい守衛さんを彷彿とさせる仏頂面で艦橋に戻ってきたろくろちゃんは、こちらが問い返す前に傘の姿になって肩に寄り掛かった。
「もう兄やんから吸わん事で手打ちにする――――二度目は無いがの」
元より生気なんぞ吸わんでも平気な連中だから、おどれもそう思え。
そう言って憤怒を抑えるように
あのふたりは付喪神ではない。なので厳密には生気は必要ないらしい。
付喪神は存在するのに人からの好意が必要不可欠だが、幽霊であるふたりにとって生気とは甘味。ちょっとしたおやつみたいな感覚であるらしい。
食べられれば幸せだが生きるのには必須ではない。三時のおやつ程度。
確か手長様も似たような話をされていたな。霊は生気を奪いたがるが、それは口の中で飴玉を転がすようなものでさして身にはならないと。
「分別はある。ただの悪霊や無い、式神に近いかもしれん」
多くの場合、悪霊化した霊は人格の拮抗が徐々に崩れて狂暴になっていくらしい。
ああして普通に喋れたり、倒れはしたが加減して生気を吸えるのはまだ正気であるからだと言う。
「あんなもんを付喪神と間違うなや。死霊と知っとれば兄やんも触らんかったやろ」
ドスの効いた低い声で言われた矢盾が縮こまる。不機嫌な姉が戻ってくる前まで幸せそうな顔でおにぎりを頬張っていただけにちょっとかわいそうだ。
自分の分が無いと聞いてむくれた八つ当たりもあるかもしれない。いや、ろくろちゃんはお昼を幽世で食べるんだからいいでしょ。あれは砦の子達用です。
なので、どうであれ友好を示すために外国基準の挨拶するくらいはしただろうから、結局同じ事だと弁護する。
死霊についてもそれほど知識があるわけでもないから、たぶん気にせず触っていただろう。
何せ知り合いにもモフい死霊さんいるしね。彼は頭巾猫と違ってどうにも防腐剤臭いのが欠点だ。
「
それを言ったらどこかの番傘もいい感じに呪いの品だしねぇ。
ろくろちゃんは出自こそ番傘の付喪神だが、今の彼女の本当の正体は悪党へ抱いた憎悪の炎によって溶かした金属で形作られた鉄の棒。
正統な敵討ちにのみ力を与える呪いを放つ呪具として、一時は人々に崇め祭られた金属の棒である。
この姉を構築している傘の部分はあのふたりと同じく人の皮を加工した物。以前はまともに処理していない人の生皮さえ使われていた。
だがそれはかつて人間たちが拷問で剥いだもの。
切支丹たちの生皮。
それをろくろちゃんという呪いの棒にぶら下げただけの後付けであり、姉が自分から好き好んで人の皮を奪ってまとっていたわけではない。
ろくろちゃんという存在は呪いの顕現だが、本来は人に仇名す存在ではないのだ。
むしろ人の世の理不尽にこそ怒れる勇士だとさえ言える。意識が曖昧だった時代でさえ、ろくろちゃんは正統な復讐にだけ力を貸したのだから。
呪いだから悪いのではない。力と同じ。大事なのはどう使われるかだろう。
「呪いは呪いや。小賢しいわ」
痛い痛い痛い。ツッコミ代わりにバサバサ開いたり閉じたりして頬を叩かないで。
しかし心から褒めたことは理解してくれたようで、少しだけ姉の不機嫌さが薄まる。痛い思いをした甲斐はあったようだ。
けど弟をいじめてストレス解消するのは如何なものかと、全国の弟分を代表して世に訴えたい所存。
「付き合い方は考え。犬と違うて抑えが甘い。あいつらにその気が無くても触れたら吸われるで」
対してレッドパージ嬢とネイルガン嬢は、彼女らに所縁のある曰く付きの道具に付いた幽霊だ。
椅子は本体ではないがこの世に留まるのに必要であり、破壊されれば霊体が霧散しかねない。それもあって本性を人の姿に見せかけ、憑り殺す獲物を付け狙っているのだ。
「あの助平な格好も火に飛び込む虫を誘っとるんやろ。どこかの助平みたいなのをな」
そういう理由でハグしたわけではないんですが。まあおっさんに抱きつかれるよりは、痛い痛い痛いっ。
――――火の光に誘われて飛び込む虫を火虫と言ったりする。火間虫入道なんて妖怪の名があるくらいには昔から知られた現象だ。
誘蛾灯と理屈は同じ。虫は生来決められている行動原理に従い、死の光源に触れては焼かれて死んでしまう。
火からすればトラップでもなんでもないのに、結果としてそうなってしまうのは皮肉だ。ならばこれはまた違う例えだろう。
あのふたりには獲物を襲う意志がある。今回はそうしなかっただけ。ただそこにあるだけの火とは違う。悪意を持つ
ならばろくろちゃんとふたりの違いは明白だ。
姉はあくまで他者の報復や復讐の代行のために姿を変えただけであるのに対し、あのふたりは己の復讐を果たしたのちは、自らが憎んでいたはずの理不尽を与える側の怪物となったのだから。
そうならざるを得なかったのかもしれないが。
望まぬ姿になったとて、世を儚んで身を投げる者は多くあるまい。望まぬ生を受けたとて、人生に絶望して命を絶つ者ばかりでもあるまい。
できれば死にたくないのは当然なのだから。命を永らえるために他者の命を食べて悪いはずもない。
「若いのに物の体を人の肉と変わらん姿にできるんは別の力やな。南蛮の鬼に強く括られとる影響やろ。それがあるから死霊のクセに意志がはっきりしとるし、いきなり凶行に走らんとも言える」
急に日ノ本の言葉を喋れるようになったのも、そっちで主人になんぞ力を授かっとるからやろな。
そう続けたろくろちゃんはやっと落ち着いたようで、いつもの人の姿をとった。
「なんにせよ返せるうちに早よ突っ返し。死霊に執着されたらしつこいで?」
立て込んでる仕事が片付いたら知り合いの服屋に相談に行こうと思います。
「――――ひりひりしてきたの。ボチボチかい」
勝負勘の良い姉らしく、今の空母の置かれた状況を的確に把握して誰に言うでもなくポツリと呟く。
眼下に見えるのは先の町より規模が大きい。石と土で出来た都市。
その都市の一番高い場所からはもうもうと煙が上がっていて、春の青い空を無粋に汚していた。
都市の名は『ゴネリル』。街を見下ろすように建っていたであろう城は、もう跡形も無い。
<実績解除 ゴネリル侵攻 1000ポイント>
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