第810話 春むすびに春大根の漬物を添えて

 ろくろちゃんが真面目な顔でさんにんで話したいと言うので食堂に姉だけ残して退室する。


 御前の御母堂様を悪魔のコレクションたちと三名だけにするのは問題がありそうだけど、有無を言わせぬという言葉が相応しい強硬な態度で取り付く島がなかった。


 仕方ないので矢盾を連れてうるしたちの見舞いに行くことにする。人用の治療で平気だとは言っていたが念のためだ。


 それにしても幽霊とは驚いた。と言っても幽世に来てから知り合った幽霊は何名かいるので遭遇したのは初めてではない。


 印象深い相手だと記帳門の犬こと腐乱犬フランケン氏。彼はおぞましい呪術の依り代に使われて怨霊化した犬の幽霊だ。


 防腐処理を施した犬の死体に憑りついているので幽霊とはちょっとイメージが違うが。強いて言えばきれいなゾンビ。もしくは有名なホラー映画シリーズの殺人人形が近いだろうか。


 そういえば彼も霊と生者の接触はあまりよろしくないと言っていたっけ。


 幽霊に生気を奪われるだけでなく、死者にとって生きている存在はそれだけでとても妬ましいので危害を加えられかねないらしい。


 腐乱犬フランケン氏自身は呪術に使われた影響で呪いそのもののような存在になってしまったため、本来幽霊として感じる生者への執着は無いそうだが。


 凶悪化した末に却って安全になるというのも皮肉な話だ。彼は弔い慰めてもらう代わりに白ノ国に仕えていると言うが、いつか役目を終えて成仏できる日が来るのだろうか。


 後はひなわ嬢の知り合いの術者で雲慶うんけいという骨女がいるかな。あの御仁もカテゴリーとしては妖怪より幽霊枠だろう。あちらはあちらで生者にさして拘りは無いらしい。


 時折ひなわ嬢や浦衛門に連れていかれる飲み屋で顔を見ることがあるんだよね。体が骨なのに飲み食いしたお酒や肴はどこに消えるのだろうと、現在進行形で不思議に思っていたり。


 彼女は前に屏風これの生気を抜いたのではと冤罪をかけられて、ろくろちゃんが締め上げてしまった事があった。


 骨女は墓場で好いた男と逢瀬を重ねたとかのエピソードが伝わっていたりするので、いらぬ疑惑を向けられてしまった形だ。


 屏風これと逢瀬の疑惑など趣味が悪すぎる。さぞ気分を害したに違いない。


 実際に騒ぎが落ち着いた後で姉の事を詫びに行ったら、若干迷惑そうにされてしまったよ。


 ろくろちゃん共々すっかり厄介者として認識されてしまったらしく、飲み屋でたまに会っても余所余所しいものだ。ひなわ嬢の交友関係に影を落としてしまった事が申し訳ない。


 ただ『現世で恨みはとうに晴らしたから後は滅ぶまで好きにしている』。とかなんとか、雑談の席で少し寂しそうな目でボソリと零してくれた事はあった。


 たぶん、好き好んで人を辞めたのではないのだろう。


 人からそれ以外の存在になるおとぎ話は世界中にあり、幽世でも元は人間だった方がチラホラいらっしゃる。


 例えば鬼女の万貫婆さんも元は人であったらしいし、道祖神の大首様も元を辿れば切り取られた人間の生首だ。


 もしかしたら人以外にるというのは、意外と起こりえるオカルトなのかもしれない。


 いずれも楽しい方法ではなさそうだが。


 人の寿命より長く世に留まれている長寿の事実があるとしても、それが地獄のような思いをして得る対価だとすれば割に合わない気がするよ。







「私など見舞って頂けるなんて」


 しきりに恐縮するうるしに容体を聞くと、切り傷はいずれも縫うほどの物は無いので平気ですと言い、改めて失態を犯しましたと頭を下げられた。


 うるしとむすびにあてがわれているのは空母の中にある兵士用の寝室になる。男の喜平はまた別の場所だ。


 深町宝石ジュエルも錦さんの監視がそれとなく付いた別の一室になる。いっそむすびと同室にしてもいいが、この子は深町に入れ込みすぎている感があるので保留中。少なくともうるしが回復するまではそのままにしたいと思っている。


 最初はどうせ部屋は余っているから全員個室にしようかとも考えたが、後から囚妖怪囚人の規模が増える可能性を考慮してなるべく詰めることにした。


 部屋が足りないからと優雅な個室を追い出されて、突然タコ部屋行きでは落差が辛いしね。


 船内ということでスペース的に手狭な印象は否めない。それでも本来はここでもっと大勢の兵が寝泊まりする事を考えれば、ふたりだけで使えるのでまあまあ広いほうだろう。


 ちなみに半透明の兵士たちは自分の役割のある部署に詰めていて、こういった休むだけの場所には誰もやってこない。

 せいぜい向かうべき部署に至る通路を音もなく歩いたり走ったりくらい。これはこれでちょっとホラーだが。


 走ってくる兵隊さんたちが体をすり抜けていったとか怪談話にありそうなシチュエーションだ。


 そういえばとある島に駐屯する隊員たちは、部屋の前にお水とおにぎりをお供えするらしいね。


 幽霊のお供え繋がりと言うわけじゃないけれど、今回頑張ってくれた付喪神たちに幽世でおにぎりを作ってきたので手渡しておく。


 なにせ空母が飛行中のこっちで釜土を作って炊くのは無理だからね。外国籍のこの空母のキッチンには炊飯器もないし。


 やろうと思えばパエリアとかなら出来るかな? 海産物は干物ばっかりだから仕上がりは似ても似つかなくなりそう。


「あ、ありがとうごさいますっ」


「こりゃあその、すまんこってす。あたい、じゃなくて私にまで」


 ああむすび、口調で無理しなくていい。そんないちいち訂正するため顔をバチバチ叩いてたら腫れちゃうよ。


 作った物はごく簡素なものだ。城の台所で用意されていた菜の花の塩茹でを少し頂いてゴマ油でさっと炒め、これに濃いめんつゆで味をつけた天かすとごはんを混ぜただけ。具は奇をてらわずたっぷりの昆布の佃煮を詰めておいた。


 つけあわせは春大根の浅漬けを拝借。イチョウ切りにしたものが二切れほど。まさしくザ、おにぎり弁当な布陣である。


 頂いた菜の花は少しだけ芽吹いて黄色い花が覗いている物があったので、食べているときに黄色を見つけたら幽世の春を感じてくれると嬉しい。


 笹の葉にくるんだおにぎり弁当をふたりに渡すと、しばらくものすごく変顔をしたあと二人そろって長い鼻水をすすった。


 妖怪にも花粉症があるのだろうか? 下界は知らないが幽世には立派な杉があるしな。その花粉が付着していたのかもしれない。


 今は食堂が使えない事を伝えて喜平のほうに向かう。屏風これが居座ったら休めるものじゃないからね。要件が済んだらさっといなくなるのが良い上司と言えましょう。


 歩いている途中で矢盾がこちらをチラチラ見つつソワソワし出したので、ちゃんと矢盾たちの分もあることを伝えておく。


 もうちょい我慢して。リーダーや中間職とは時に仕事の都合で昼飯にありつくのが遅くなるものです。


 ――――なるべく自然なフリをして通路の壁に手をかけて歩く。


 杖をつくご老人の気持ちが分かってきたかもしれない。ハブ酒のおまじないが切れてきた。

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