第808話 チョコかと思ったらカレールーくらいの違い?

「ちょお!? 風っ!? 風強っ!」


 案の定。『門』を潜った先で強風に見舞われ飛びそうになったろくろちゃんは、慌てて屏風これの手から離れて人に変化した。傘が風でバサッと開いたからこっちも驚いたよ。


 何せここは空を20ノット――――時速にして37キロほどの速度で進んでいる空母の甲板だ。


 車なら40キロ未満の速度など走っていて緩やかに思えるが、風を遮る物が無い飛行甲板を37キロもの風が抜けていくとなれば結構な強風である。

 こんなところで傘なんて開いていたら壊れるか、そのまま傘に引っ張られてすっ転んでしまうだろう。


「おお、何度見ても驚くたまげるのぉ」


 ろくろちゃんが飛行するミッドウェーに乗るのは2度目になる。あのときも下界軍に砦が攻められた時だった。

 今はもう蹂躙したブチかました後なので通常航海で進んでいる。船の速度も巡航速度とか経済速度と呼ばれる速さに落としている状態だ。


 幽世で倒れてから経過した時間を考えると、敵の都市のひとつ『ゴネリル』はまだもう少し先だろう。今のうちに砦ですべき事は済ませてしまおう。


殿とのぉ! お帰りなさいませぇ!」


 ビュウビュウと吹き荒れる風の音に負けじと艦橋の見張り台から声を張り上げてきたのは矢盾か。だから殿はやめーや。


 どうも目を覚ましてから矢盾の様子がおかしい気がする。あんな懐いたワンコみたいにテンション高い子だったっけ? 手をブンブン降らなくても見えてるから。


 ――――いや、しょうがないのか。今朝から下界軍は攻めてくるわ新しいチートズル持ちは侵入するわ、さらに敵地に向けて砦を進発させるわで何かと不安定な状況である。だから幽世への唯一の撤退チケットである屏風これが戻ってきた事が嬉しいのだろう。


 危険な旅路に脱出シャトルがあると無いとでは安心感は雲泥の差だものね。矢盾に限らず他の皆もさぞ不安だったに違いない。


殿との?」


 しばらく耳に入った単語を理解出来なかったらしいろくろちゃんの硬直が解けて、屏風覗きの顔を『おまえが?』みたいに指さした。


 矢盾がノリで言ってるだけです。砦番を拝命した彼女なりの統率の取り方なんだと思います。誰が砦のかしらなのかを敬称を使って囚妖怪囚人たちに周知するつもりなのだろう。


 なにせ彼女の本体である矢萩様は立派に将としての実績を持つ方。その知識を生かして統率手腕の怪しい屏風これのサポートをしてくれているに違いない。武将としての経験上、誰が親分が常に知らしめるのは大事なのだろう。


 まあ殿との呼びされてもあくまで下界での話だ。100万石の大将と部員が少なすぎて同好会でしかない集まりの代表くらいの違いがあるので何も偉くない。


 なんにせよ幽世では呼ばせないのでご安心を。


「うちは兄やんの実績なら将の肩書くらい付けてやってもええと思うがの。だけどやけど何事も面倒な段取りがあるもんや。まあもうちょい待っとれ」


 いらないいらない。そんな重たい肩書付けたら潰されてしまう。屏風これは田舎でひっそり運営されてるさびれた娯楽施設の管理人くらいが限界です。


 兵隊運用のイロハも知らずに頭なんてするものじゃないしね。個人の武勇と部隊の運用能力はイコールではない。


 細かい事は副官がやってくれるとか言い出したら、それこそ副官自身が大将に抜擢されるべきだ。命令に余計なワンクッションを挟みだしたら組織構造が歪んでいる証拠である。


 暗君を苦労して支えるより、さっさとお隠れになって頂いたほうがよほど国のためになる。有能な新勢力が新たな時代を築くべき時期に来た証だ。


 まあ屏風覗きの場合は血筋も何も無いので、ただのサプライズ人事になっちゃうが。ならそんな悪手を知性派の御前ボスがするわけもない。


「いやぁ。うちが言うのもアレやけど、玉はまあまあ思い付きで突飛な事を言い出しよるで? それでも悪い方には行かんから『最初はなっから仕込みやったんか』と思われる、みたいな?」


 ちょっと意外。義娘大好きろくろちゃんでも日本妖怪らしく身内の謙遜をするようだ。


 でもそれだって同じだろう。たとえその場の思い付きであったとしても、うまくいったと言う事は直感が養われているという事。


 直感とはオカルトではない。正解を導き出す知識と知性があればこその思考のショートカットのようなものだ。


 御前様は間違いなく素晴らしい知略を備えていらっしゃると思う。育ての親として謙遜することなく娘さんを誇るべきだろう。


 うえひぇひひひひ、というとても不気味な笑い方で化け傘ちゃんがくねる。娘が褒められるとすぐ正体を失くすのに素直じゃないね。


 しかし良かった。ろくろちゃんは勝手な殿との呼びを聞かなかった事にしてくれるらしい。


 そして先が思いやられる。幽世に戻る前に言動に注意しろと言っておいたのに。矢盾はやはり軽率な面があるようだ。


 まだくねくねしている姉の背中を押しつつ、吹きっさらしの甲板を歩いて船内へと進む。


 いつもはうるしなりの出迎えがあるところだが、今は妖怪が足りない事を事前に伝えておいたのでろくろちゃんも特に何も言わない。今は上機嫌で出迎えなどどうでもいいのかもしれないが。


 現在うるしは負傷して養生中。むすびはその付き添い。喜平は深町につけている。

 錦さんの配下たちは西洋付喪神の接待という名の監視で船内のあちこちに張り付いているし、矢盾は今見たとおりに見張り番。


 なお船内を行きかう半透明の水兵たちは空母に関わる決まった事しかしてくれない。それがこの船というチートズルのルールであるらしい。








「なんや、幽霊やんけ」


 面会前にしつこく念を押し、いきなり殴りかかったりしないようお願いしたのが功を奏した。


 通路で写し見の傘を出してブンブンと素振りを始めたから焦ったよ。もし落ち着かせていなかったら、何も考えずに全力振り抜きのスマッシュが食堂内にさく裂するところだった。


 ろくろちゃんは変わらず食堂室にいたレッドパージ嬢とネイルガン嬢を一瞥すると、訝し気に首を捻ったあと『付喪神じゃないなやないな?』と言った。


「こいつら縁起の悪い物に憑いた質の悪い幽霊やろ。こんなんに霊障を受けた障られたそりゃあそら倒れるわい」


 番傘の姉が言うにはどちらも『処刑道具や刑場に憑く怨霊の類』が近いらしい。無残な殺され方をした者が場や物から離れられなくなる事はしばしばあるという。


 囚われたのが場所なら地縛霊。物なら呪われた道具や装飾品と言ったところか。持ち主が次々と怪死する宝石は現世にもあるしなぁ。


 屏風覗きが受けたのはいわゆる霊障の類らしい。生気を奪われるのは付喪神と同じだが、こちらは互いの信頼関係が無くても一方的に奪われるため危険なんだとか。


 ――――付喪神へ生気を分けるためには条件がある。それは相手に気を許している事と、許されている事だ。お互いを慈しむ気持ちが無ければ生気は流れていかない。


 例外として食人という形もあるにはあるが、当然こちらは血生臭い方法だ。


「弓ぃ。こいつらのどこが付喪神やねん」


 見張り台から護衛として合流しに来た矢盾を番傘でつつくろくろちゃん。なお声のトーンはわりと本気で怒っている時のものだ。第三者が見ていなかったら矢盾を殴っていたかもしれない。


 レッドパージ嬢たちを付喪神と言ったのは矢盾である。それも『人を喰った付喪神』と称していた。この辺りは立花様への報告でもお伝えしている。当然その場にいたろくろちゃんも聞いていた話だ。


 そのくらい彼女らの気配に暗い雰囲気があるという意味だったのだろうが、仮にも将の経験者が相手の出自を見立て誤ったのはチョンボかもしれない。まあそれを言ったら見立てすることさえ出来ない屏風これが何か言う資格など無いのだか。


 ちなみにリリ様の話だと西洋出の付喪神というのは珍しいそうで、過去に見聞きしたことは無いらしい。


 海外の多くは一神教で偶像の崇拝を禁じたりしているし、付喪神のような『物に心が宿る』神秘を最初から否定している精神的土壌があるからかもしれないね。


「申し訳ありませぬ! 田舎者の浅知恵でごさいました!」


 まあまあとふたりの間に入る。客の前で従業員同士がワチャワチャしているほどみっともない物も無い。特に上司が部下を怒鳴っているところに居合わせたりすると不愉快ってレベルじゃないものだ。


 組織人教育として指導するのは客や他の従業員に見えないところで。これ大事。


「とぼけた事を。おどれ、危うく祟り殺されるところやったんやぞ」


 おまえのために怒ってやってるのに、という怒りが混じった姉の言葉を受けてチクリと胸を痛めつつ、それでも重ね重ねお礼を言って宥めるしかない。


 見立て違いくらい誰にでもある。特に矢盾は昏睡から復帰したてだったのだ。ちゃんと砦を守った事と合わせて勘弁してあげて。


 こちらの仲裁に機嫌悪く鼻を鳴らした姉は首をコキコキと鳴らした後、西洋の付喪神改め西洋の幽霊に向き直った。


 写し身の番傘を大太刀のように肩に乗せて。いつでも殴り掛かれるように。


「うちの餓鬼が世話になったのぉ。おかげでぶっ倒れてもうたで? ――――お礼にその迷っとる魂、三途の川まで案内したるわ」


 ちょい! シスターパラソル、ストップ! 髪の毛ザワザワさせないで、怖い!

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