第807話 ハブとハーブ入り泡盛(度数40)

 なんとか起きれるコンディションまで戻ってきた。意識はハッキリしているのに体が動かないというのは中々怖かったよ。全身不随の方とかはあんな気持ちなのだろうか。


 起き上がってすぐに気つけのお酒を頂く。蛇入りのお酒と聞いて身構えていたけど、思ったより酷い臭気は無くて普通に飲めた。


 ただ度数は結構なものらしく喉から腹にかけてカッカッとした熱を感じる。中国のお茶を飲むような小さな碗でも、ほんの2杯も飲んだだけでもベロリそう。


 浸かっている蛇が酒瓶から出ないようにか、酒瓶の先を猫のキャッツアームでチョンと押さえつつトプトプと出していたのが印象的。かわいい。というか動物妖怪は器用だなぁ。


 ハブ酒は現世でも生きた蛇を使って作るらしい。毒腺などはそのままだそうな。しばらく強い酒に漬けると無毒化するんだとか。

 フグの毒が塩漬けにしてるとそのうち無毒化するようなものかな? あっちは科学的に無毒化するメカニズムが未だに解明されてないらしいけど。


 体を通った酒の熱が落ち着くと、つい喉を通った液体の成分が気になって置かれている灰色をした陶器製の酒瓶をまじまじと見つめてしまう。現世の栄養剤みたいにラベルに成分表なんて無いけどね。


 もちろん瓶は置いた場所からビクリともしない。さすがに漬けられた蛇はもう死んでいるか。中でのたくってたら怖いなんてもんじゃない。


 こういうのってどのくらいの期間生きてるのだろう。考えたら結構残酷なお酒である。


 かの有名な酒呑童子や金角銀角のお酒も生きた人間をひょうたんに閉じ込めて溶かしたお酒。食や嗜好に関しては人間も妖怪もやってる事は似たようなものかもね。


「絶食させて一年ほどの蛇を使います。他にも薬草などと一緒に漬けるので臭みはさほどではないでしょう?」


 こちらの視線があまりに露骨で『毒でも入っているのか』と疑っているように見えたのか。薬師のリリ様に小さく笑われてしまった。


 宿便が残っていては臭みが出るからお腹を空っぽにさせて漬けるらしい。蛇って1年食べずに生きていられるのか。


 薬に興味を持たれた事で薬師として興が乗ったのか、ブラックパールのような光沢をもつ美しい前足についた雫をペロリと舐めると、リリ様はハブ酒の効能についてお医者様らしく説明をしてくださる。


 現世でも見聞きした滋養強壮効果の他に、肌に塗ることで虫刺されの腫れと痒みにもバツグンに効くらしい。オトギリソウみたい。


「兄やん、酒で元気になったようでもそれはあくまで気つけや。無理するとまたひっくり返るでの。今日明日は騙し騙しで動くんやで?」


 こちらが手に持っていた飲み終えた器を指でチンと軽く弾くと、ろくろちゃんがひょいと湯呑みを持って行ってしまう。


 ハブ酒に少し食指が動いたらしい化け傘ちゃんだったが、当のお酒にありつく前にリリ様によって露骨にキャットの背後に酒瓶を隠されて不満そうにした。さすがに医者から強引に取り上げるまではしないらしい。


 まあお酒と言っても薬に分類されそうなものだし、何より昼から飲兵衛が飲んだら収集がつかなくなるから我慢してどうぞ。


 ――――いくつかの命令を残して立花様が退室されてからも、ろくろちゃんは何故か布団にドッカリと座って部屋に居残っている。


 屏風これはリリ様の許可が出たらすぐに下界へ向い、錦さんらに申し送りをしてから茶会出席の準備の予定だ。


 戦端を開いているのになんとも悠長に思えるが、御前からの命令と言われたら是非はない。砦をゴネリルに向かわせて制圧するのは茶会の後だ。


 御方も下界の事情は把握しているはず。そのうえで待ったを掛けるなら相応の理由があるのだろう。


「景気つけの一杯くらいええやん」


「夜は宴がございましょう。飲まれるならそちらでにいたしませ」


 未練たらしく酒瓶を狙う御母堂にリリ様が忠言なされるも、あまり効果が無いようだ。夜に飲むなら昼くらいは休肝するべきだろうに。酔うなら人型になると肝臓あるんだろうし。


「あんな堅っ苦しい場で飲んだ気になるかい」


 椀を傾けて器に残った雫を少しでも集めようとするいじましさよ。


 さっきまでは気が回らなかったけど、ろくろちゃんは下半身の防御だけいつも通り低い以外はかなり着飾っていた。


 特に頭。ゴテゴテの簪が無駄に刺さりまくっている様は、まるで剣を指して樽からヒゲを飛ばす往年のテーブルゲームの最終局面のよう。


 そういえば先程の立花様もいつも以上に立派な紋付き袴姿で、カリブの海のような青さを持つポニーテールの結びに大きめの白いリボンを付けられていたな。


 報告の時に気が付いていたらあまりのギャップに気が散ってしまったかもしれない。危なかった。


 しかし着飾っている事からも分かる通り、御前の御母堂様であるこの子も接待する相手の格に合わせて動員されるはず。普通に考えてこういう国での催し期間は顔出しで忙しいはずなのだが。


 さては屏風これの見舞いを口実にちょっとサボりに来たのかね?


「おう、だぁれが怠けとんねん」


 向けた視線だけでこちらの思考を察したのか、『おぉん?』という顔で凄んでくるヤンキーが恐い。365日メンチを欠かさないって疲れません?


 それはともかくこんなところで油を売ってて平気なのかは気になる。例えば御前の護衛とかは大丈夫なのだろうか。


 まあ立花様が退室時に一緒に連れて行かなかったあたり、しばらくは自由にできるんだろうけどさ。でなきゃ無理にでも引っ張っていったろう。


「来たんは赤の小猿と黄の飛び鼠やんけ。他所の餓鬼のお守なんぞしとうないわい」


 華山のかしらや黄んとこの線香臭い毛玉も来とらんしの。そう言って碗に集めたかすかなお酒を赤い舌でチロリと舐め取った。


『線香』と言うあたりでニヤーッと笑うろくろちゃん。思い出し笑いにしても意地が悪いなぁ。あれから何も起きてないけど国に抗議とか来てません? そっちの白石ってのがすごい失礼とか文句言われてそう。


 しかし猩々緋しょうじょうひ様の小猿呼びは普段のキーキーした言動と行動からの比喩として、黄の方の飛び鼠というのは何だろう? ギャルだからお尻が軽いみたいな隠語?


「黄の方や黄金こがね様の正体を知らないのですか? あの方たちはムササビの化生ですよ」


 ああなるほど。ムササビは飛ぶ齧歯類か。


 本格的にお酒を棚に隠しに行ったリリ様が屏風これの疑問に答えてくださる。


 そしてお酒の代わりに手にされているそれは骨煎餅ですかね? 小魚の骨煎餅とは通なお茶受けだ。やはりニャンコ的には甘いものより魚系のほうが好みなのかな。


「煎餅ではありません。マムシを裂いて乾燥させた生薬です。こちらも少し処方しましょう」


 おぉぅ。蛇尽くし。干からびた細い蒲焼きみたいなものが、リリ様の前足で挟んだローラーでゴリゴリと丁寧に擦られていく姿に戦慄する。


 あれって正式名なんて言うんだろう。現代の子が見たら腹筋を鍛えるやつと答えそうなあれ。


「リリ、人参でもなんでもケチらんとたっぷり出したり。兄やんには悪いが、もうちょいとだけ踏ん張ってもらわないけないからあかんからの


「薬はたくさん飲ませれば良いものではございません。変に強い薬を使えば逆に弱った体をさらに弱めまする」


 ろくろちゃんの軽い一言に薬師として苦言を呈するリリ様。


 白い頭巾の後ろで揺れる黒尻尾は細身でありながらも、『カワイイ』に必要な毛量はちゃんと備えていて実に品がある。


「あの黄ばみ鼠に聞かせてやりたいわ。美貌を保つだなんや言うて色々と無駄にやっとるからのぉ」


 うーん、辛辣。しかし妖怪でも女性の悩みは一緒か。ひっひっと意地悪く笑うろくろちゃんは生き物の化生と違って老化に縁の薄い付喪神の余裕だろうか。


 人に化けられる妖怪は老若男女自在。しかし見た目は人化で若いままに変えられても、それで騙せるのは鼻の利かない愚かな人間くらい。同じ妖怪には加齢からくる体臭でバレバレらしいからね。


 屏風覗きが気付いたのはお灸や線香といったお婆ちゃん家の香りだったからであり、体臭自体は気付かなかったしなぁ。人の鼻では限界だ。


 思えばあのふたり、ムササビだから衣服をはだけているのだろうか? あの服が皮膜を変えているものだとしたら体から離れている服のほうが化けやすいのかもしれない。


 関係ないけどモモンガは世界に分布しているのに対して、ムササビって日本だけにしか生息しないとか聞いたことがあるな。どちらが妖怪になるとしたら日本固有のムササビの方がありそうではある。


 ちなみに同じ空飛ぶ齧歯類であるモモンガとは別種で体格からして違ったりする。ムササビは体を広げると座布団くらいのサイズもいて結構大きい。モモンガはもっと小ぶりだ。


 でもモモンガは人に懐くのでペットにする人もいるらしいね。ただしトイレを覚えないのでペット専用の一室を用意できるくらいの人じゃないと臭いで大変な事になるようだ。一方ムササビはそもそも法的にペット不可である。


「ではこちらを。本当はこのまま安静にするのが一番なのですが。お役目とあらば致し方ありませぬ」


 いつもの如く思考が散らかっているうちに調剤されたそれを、リリ様のニャンコ足で蝋紙にまとめて差し出される。


 他にも細々と生薬が入ったせいかハブ酒より臭いなオイ。


 渡された粉末をハブ酒とはまた別のお酒で飲むよう言われ、ろくろちゃんに奪われた碗の代わりの器に注がれる。


 普通の薬はお酒NGなのだけど、マムシの成分はお酒に溶けやすいのでこの方が体に取り込みやすくなるんだそうな。


 粉薬なのにとても生臭い。前にスッポンの血の酒割りを飲んだ時を思い出したよ。ああ、そうだ。後でひなわ嬢にお礼と言っておかないと。スッポン繋がりで思い出してしまった。


「ええからよ。眺めてても効かんやろが」


 再びリリ様とお酒を巡って牽制合戦をしていた姉が、こちらの躊躇に気付いて睨んできた。飲めない飲兵衛の苛立ちをぶつけないでほしい。


 仕方なく目の前が七色になりそうな味と香りを体感する。我慢して喉を通っても体が拒否して食道から戻ってきた。


 心情的にはこのまま吐き出したいが、それを再び飲む。おえ。


 味は酷いがお高い栄養剤を飲んだ感じが確かにある。強いカフェインを摂った感じ。活力になってくれるのは間違いないだろう。


「よっしゃ。ほんなら躾のなっとらん南蛮の悪童ごんた挨拶・・したろか。昼飯前に終わらすで」


 ん?

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