第806話 拾ったモノの価値の再確認

「そのままでよい」


 申し合わせたようにタイミングピタリで頭巾猫の引いた襖の先から、音もなくノンストップで入室されたのは立花様だ。


 上司が来て姿勢を正そうとしたこちらを一瞥すると、小さく手で制される。さらに横にいたろくろちゃんからも無言で手で肩を押さえられたので、おふたりに甘えて起こしかけた体を布団に倒させていただく。


 いかん、貧血みたいにクラッときたよ。回復にはもう少し掛かるようだ。


 忙しい中でわざわざ出向いてくれた配慮に感謝しつつも、屏風これの内心はだいぶ混乱して荒れ模様だ。


 報告の仕方。そのうまい組み立てが思いつかない。


 どう報告すれば状況を正しく伝えることができるか、ではなく。どう話を練りこめば深町と付喪神たちを避難させることができるか思いつかない。


 下界は危険だ。敵は確実にもう一手を進めてきた。ガマズミの紋の守りを抜けて砦に入り込まれたのだ。難攻不落の自信はすでに瓦解している。


 今回は西洋付喪神たちの加勢で事なきを得たが、安全なはずの砦の中にいた喜平や深町、そして錦さんたちも暗殺者の凶刃に倒れる未来が十分にあった。


 だが、それをどう報告したところで立花様は眉を動かさないだろう。


 そもそも敵から奪った土地と砦なのだ、奪い返さんと攻められもすれば死者も出ようと。唯一撤退を考慮してくださるとすれば国の要妖怪要人らしい錦さんくらいか。


 矢盾昏倒の件で退避を考えたものとは性質が違う。あちらは健康被害の類。こちらはいくさだ。許可なく兵士が引くなどしたら敵前逃亡・脱走になってしまう。


 上司が床の横に用意された座布団に座られるまで考えたけれど、結局この悪い頭は何ひとつうまい案を思いつかなかった。


「聞こうか」


 かすかに腰に佩いた刀の位置を調節したのち、短くも強く、何より凛とした声で報告を促される。座るだけで絵になる美しい正座姿勢には侍としての品格を感じる。


「まず労いに一言くらいあってもええんやないか? いくさから帰ってきたんやで? 倒れるほど疲れてのぉ」


 その怜悧な佇まいを薄情とでも感じたのか、屏風覗きの寝る布団を座布団代わりに腰を下ろしていたろくろちゃんが不機嫌な声を出した。


 屏風これの寝ている頭の横に姉の尻がある。立花様に背を向けたまま首だけ捻った形で喋っているのは、先ほどの勘違いを引きずってまだ恥ずかしいからかもしれない。


「死ぬほどではなかろう。それに――――」


「それになんや?」


 立花様の言葉に食い気味で応じるろくろちゃん。照れだけではなく素で機嫌が悪いのかもしれない。幽世でも何かあったのだろうか?


「――――こやつがここで大人しく寝ている」


 なら向こうもそう悪い事はあるまい。ろくろちゃんの威嚇メンチに付き合わず淡々と言葉を繋いだ上司は、それで説明は済んだとばかりに姉から視線を外す。


 ろくろちゃんもその言葉にどう納得したのか、舌打ちしそうな表情を滲ませるとそっぽを向いた。


 寝ているこちらに瞳を向けられた立花様。この構図も少し懐かしいな。九段での勝負で負傷した屏風これをこんな感じに覗き込まれたことがあったっけ。あのときは傷口に消毒の焼酎をぶっかけられてキツかったなぁ。


 それにしてもきれいな瞳だ。光を反射する刃のよう。この知性的な眼差しで迫りくる刃物の切っ先を想像させるほどの鋭い圧を向けてくるのだから恐ろしい。


「屏風」


 失礼しました。まんま刃物に魅入られたような気分になってボーッとしてしまったよ。刀剣の収集家とはこんな気分なのかな。


 観念する。事ここに至っては下手な脚色や欺瞞は悪手だろう。最初から分かっていた事だ。この方にそんな安い手が通用するわけもない。


 だからこそ今まだって『利』で話をまとめたのだ。この方には『情』だけでは駄目。あくまで『利』を示して国に利益がある、あるいは損を減らせると納得を頂くに限る。









 こちらからひと通りの報告の後、先にお渡しした錦さんの手紙に初めて目を通された立花様は、やがて『軽率な事を』と叱責を口にされた。


「応戦は良い。反撃も良い。だが返す刀で遠く離れた敵城に炮烙玉を放ったのは軽率だ」


「何がやねん。敵の頭を叩くんはいくさの王道やろが?」


 まるで弟の失敗を庇ってくれる姉のように、再び立花様を睨みつけるろくろちゃん。


 今度は首だけでなく全身で向き直ったのは別にいいのだが、ただでさえ丈の短い服なのに顔の真横で胡坐はやめて頂けまいか。黒のレースえぐいな。


「散発的だと言っている。その城に住まう城主は殺せたかもしれぬが、次の城には誰もおるまいよ。空から潰された城の話を聞けば目立たぬところに隠れてしまうだろう」


 最初の立花様の叱るポイントは単純明快。せっかくの大物手を無駄に見せてしまった事への叱責だった。


 大掛かりな物ほど一気に吐き出して、相手に反撃の余力など残させないよう迅速丁寧にすり潰すべきだと。


 国の政を預かる方にしてはだいぶ脳筋な言葉だがこれは当然。


 幽世の他国と争うならともかく、下界の国を相手に外交や交渉なんて最初から考えていない。だから王族貴族といった相手国の要人が攻撃で死んでもかまわないのだ。


 和平も講和も結ぶ気もないし降伏を受け入れる気もない。引っ込みがつかなくなる一手上等なのである。


「そこまでやるならいっそ本城で落としてこい」


「あん? 姉やんちゃんと聞いとったか? 宝があるかもやからしなかったせんかったんやろ――――なんや? 実は兄やんが倒れて泡食っとる?」


 姉の余計な挑発のせいでミシッという空気の軋みを感じた。屏風これが倒れた程度でそんなことがあるわけがないのに。


「おお、こわ


 安い挑発が相手に刺さったことである程度満足したのか、それまでどう猛な笑顔に浮かせていた青筋を引っ込めたろくろちゃんは上体を立花様から反らして降参という身振りをする。


 姉も意地が悪い。今のはあくまで心構えの話だろうに。


 大きな手札を切るならもっと効果的なところで切れと、立花様はこの感情だけで動いてしまった間抜けに指導してくださったのだ。実際に首都で爆弾を落としてこいという意味ではあるまい。


「新しい『板』の持ち主と新しい刺客。そやつらにとって深町とやらの価値、まだあるようだな」


 小さな溜息ひとつ。それで凍ったような空気を戻された上司は、この報告でいくつかあった大事な事のひとつを取り上げた。


 初めのチートズル持ちたちの生き残り。深町宝石ジュエルが敵にとって価値があるのは明白と言っていいだろう。


 投入された戦力とその使い方。いずれもいびつ。ただの砦攻めとは毛色が異なる。攻め落とす気にしては無駄が多すぎる。


 まるで騒ぎを起こしてそのドサクサに別の犯罪を行おうと言うような、火事場泥棒のような手口。火計も下界軍も目くらましの賑やかしに思えてならない。


 誘拐しようとしたのか暗殺しようとしたのか。あるいは奪還・・しようとしたのかはまだ分からない。


 それでも『02』か『06』がこれだけお膳立てしてでも、どんな犠牲を払ってでも彼女に用があったのはほぼ間違いないだろう。


 ならばその理由は?


 あるいは深町という少女は、『02』『06』の急所に辿り着けるヒントを持っているのかもしれない。


「深町とやらの話は分かった。しばらくは餌として砦にぶら下げておけ。もしもに備え例の印鑑のひとつを用意し、そやつが退避できるよう整えておこう」


 すぐさま安全な場所にとはいかないか。座敷牢あたりでも用意してからになるのかな。


 そして口調のニュアンス的に砦を放棄する事も考えてはおられない。残されている付喪神たちの事にまったく言及されない事を考えると監獄としての役割も現状維持か。


「砦はそのまま『ごねりる』まで進めよ。ここに至り躊躇こそ悪手、いっそ完全に攻め落としてしまえ」

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