第805話 気が抜けると一気にくる謎の現象

 開いた『門』の先。人気の無い城の敷地にある一角で、背の低い樹木に寄りかかってとても退屈そうに待っていてくれたひなわ嬢の姿を見る。


 物を背に。得物はいつでも抜ける位置に置き。不利となったら樹木を回り込むことで背中を気にせず一目散に逃げられる。そんな場所と姿勢で休んでいる。


 都会の一角で逞しく生きる野良猫がほんの少しばかり日向で休んでいるような。そんなしたたかさを感じる姿に酷く安心してしまう。


 ほっとする。血生臭い非日常から戻ってこれたようで。


「やぁぁぁぁぁっと戻って――――」


 視線を送るまでもなく『門』から出たこちらの気配を察したのだろう。待たせっぱなしにしてしまった事への批難を含んだ声色を出し、彼女は木から背中を離した。


「――――待った! 旦那っ、そこ座ってろ! むしろ寝てろ! しゃがんどけ!」


 パチリと目を開けてこちらを見たひなわ嬢は、一度真顔でこちらを見返すとグワっと驚いたように目を剥いた。そして『腰を下ろせ』と言うように手首を上下にバタバタとさせる。


「誰か来てくれぇ! だん、白石様が!」


 急に何を焦っているのかと考えたとき、なんの前触れもなく地面横倒しになった。


 まるで跳ね上がる板のトラップのように。地面にビンタでもされたように。


 横からビタンと地面が来た。ビタンというほど軽くは無いが。土でもそこそこ固いね。


「旦那っ!? 糞がっ、嫌な予感はしてたんだよ! 誰かぁ!」


 いや、もしかして屏風これは転んだのか? 例えるなら乗っていたテーブルクロスを横から思い切り引っ張られてコケたように。バタリと。


 己の身に起きている異常に気が付いて、初めて手足が細かく震えているのを自覚する。


 疲労? ストレス? 頭は回るのに体がまったくついてこない。地面に打ち付けた頭の土を払う事さえままならない。


 ひなわ嬢の呼びかけで集まってきた妖怪たちによって城に運び込まれるまでに、ついには口まで震えて喋れなくなっていた。










 前にも通された漢方臭い部屋に寝かされている。


 ここはリリ様たち薬師の心得を持つ頭巾猫たちの仕事場だ。天井から吊られている植物は薬で使う材料だろう。独特に臭い。


 漢方独特の『明確に不快というほどではないが、気になるくらいには不愉快のふの字を掠っている』くらいの臭気って、なんでこんなにおいなんだろうね。


 医療に関するとはいえここは調剤室のようなもの。他に適当な部屋が無かったのかな? まあその部屋の横にある従業員用の休憩所みたいなところだけどさ。


 春だし部屋の中央にあった囲炉裏はもう店仕舞いされたようだ。また寒くなってきたら正方形の畳を捲くって炭の香る小さな囲炉裏に戻すのだろう。


 そんなちょっと猫の毛が落ちている部屋にて。


 リリ様を始めとした頭巾の猫たちによって調べられた屏風これは、診察のために脱がされた服の下からまだらに変色した肌が現れ我が身の変化に驚いた。


 その色は皮膚が炎症を起こしての赤ではない。アレルギーや火傷のような赤色ではない。


 青だ。皮膚の一部がまだら状に死人の肌のような血の気を感じない真っ青になっている。


「これは――――生気を急激に吸われましたね。向こうで強い死霊にでも触れられましたか?」


 屏風これの口がうまく動かない事に気が付いているリリ様は、指で畳を叩く動作で『はい・いいえ』を示すよう指示してくる。はいなら叩くだ。


 叩くと言っても肝心の指が本当にチョンチョンくらいしか動かせない。参ったなこれは。


 死霊には覚えがない。しかし不吉な存在と言える相手との接触はあった。青まだらになった肌の形からしても、たぶんこの予想は間違っていないだろう


 血の気が失せている箇所は人に抱き着かれたような形で広がっている。これがついさっき付いたとしたら該当する相手はひとりだ。


 レッドパージ嬢。彼女とのハグの時。


 どうやらあのとき彼女にかなりの生気を持っていかれたらしい。


「肌の変化は生気抜きが急激に過ぎてのものでしょう。ただ抜かれた生気は見た目ほどではないので、しばらく安静にしていれば活力は戻ってくると思います。安心して良いですよ」


 それはよかった。過去に東名山様から生気とやらを多く抜かれた経験があるけれど、総量的にはあれより軽いらしい。向こうの時は身体が動かないどころか失神したものな。


 体感的に生気のやりとりというものは献血の感覚に似ている。


 献血でゆっくりと400ミリ抜かれるより、急激に200ミリ抜かれるほうが体の負担になるようなものかもしれない。


 こうしてひと通りの診察を終えると、布団にグッタリと寝かされた屏風覗きの体に猫たちの前足が一斉に添えられた。


 青みの掛かった部分の血流が良くなるようにか、四名もの猫たちが両方の前足でフミフミと体を揉んでくれる。低体温の状態の患者の肌を擦って活性化させてやるものようなものだろうか?


 せっかく猫まみれで肉球まみれなのに残念至極。まだあまり感覚が無いのが無念極まるなぁ。


 リリ様の見立てではもうしばらく寝ていれば感覚も戻ってきて、体の震えも収まり問題なく動けるようになるという。


「気つけも処方しましょうね。強い酒にハブと人参をつけたものがあります」


 メッチャ効きそうだけどメッチャ臭そう。一応午後から茶会なんですが。


 いやそれ以前に出れるかな? 出席してもお茶の香りがおまえの体臭で台無しだと文句を言われそうだが。


 朝から難事が続くなぁ。砦は攻められるわうるしは怪我をするわ。あげくに生気を抜かれてダウンとは。


 それでも生きて戻ってこれた。捕虜こそ死なせてしまったが、砦の皆は全員生きている。あれだけの災難を受けてこれならまだ運が良いほうか。


 何よりおかげで頭巾猫たちの肉球マッサージを受けられたと思えば、これはむしろラッキーイベントかもしれない。


 猫が足で誰かを揉むのは愛情表現であり精神的に満足している表現でもあり、母猫に甘える仕草の名残でもあるという。


 ペットのニャンコにモミモミされたらその飼い主は誇っていいだろう。少なくとも嫌われてはいないのだから。


 ああ、癒される。やっと肉球の感覚が肌に伝わってきた。


「兄やん! どないしたんやお前おどれ!?」


 至福のひと時を破る無粋な大声。


 例によってドタドタピシャーンという擬音が似合いそうな勢いでやってきたのはろくろちゃんだった。


 急いでいるとき廊下を走るのはともかく、襖の開け方はもう少し落ち着いてほしい。ニャンコたちがビクッと驚いて爪立てられたじゃん。感覚が戻ってきたからチクっときたわ。


 何よりこれを見て育ったあの方も、義理の母とまったく同じ事をなさるのが困りもの。子供は身近な大人を写す鏡と言われるのは本当の話ですな。


轆轤ろくろ様、患者はまだ口がうまく動きませんのでもう少しお待ちを。幸い命に関わるほどではありませぬ」


「おう。ついさっき玉から話があったわ、下界の人間どもが砦を攻めよったとなぁ!」


 御前にもやっと下界からの通知が行ったのか? あるいはお抱えの術者による占いの結果かもしれない。


 やはりあの御方は限りなく『01』に思える。でもまだ確定ではない。うーんモヤモヤするなぁ。


「やってくれるやないかい。うちがおらんときにのぉ」


 砦を攻められた事ですっかりヒートアップしている気配のろくろちゃん。それでも怒鳴るでなく、逆に声が重く低い事にこそ強い憤怒を感じる。噴火の寸前までマグマを溜めた山のよう。


 だが沸点が低いこの子らしくこのまま怒りっぱなしかと思いきや、寝ている屏風これの傍にドカリと座ると、姉は先程の態度がウソのようにすっと怒りを消した。


「まあ、なんとか兄やんだけでも逃げてこれたんは良かったわ――――砦の連中は残念やった」


 兄やんだけで戻ってくるなら、錦はんも他も駄目やろなぁ。


 そう呟いてとても無念そうに首を振るろくろちゃん。


 ん? なんだこの違和感。


轆轤ろくろ様っ、それはあまりに!」


「ああっ、違うちゃう。責めとるんやない」


 リリ様の言葉を手を振って遮り、姉は自分の言い方が悪かったと訂正した。


「分かっとる。兄やんやったら最後の最後まで砦の連中をなんとか助けようとしたやろ。それでも駄目やったんなら仕方ないとしゃあないて――――すまん、うまい言い方が思いつかん」


 ずずっと強く鼻水を引き摺り、目元に浮かんだ涙が誰にも見えないようにか、人情家の番傘は顔を背けた。


「そうやなぁ。こない嘆くよりも、むしろ兄やんだけでも無事に逃がしてくれた事を褒めるべきやろな。立派や。最後まで人の役に立った良いええ付喪神や」


 さっきから聞いてる限り、何やらろくろちゃんの持っている情報にとんでもない齟齬がある模様。


「弔い合戦はうちらで必ずしたるさかいにのぉ。ちょっとだけ待っとったってくれや――――のお兄やん? 歯がゆいやろうが今は休むんやで? いくさはちゃんと体を戻してからや」


 屏風これの頭を優しく撫でて、うんうんとひとり頷いている姉の図。


 どうもろくろちゃんの中では『弱った体を抱えてすぐにでも復讐戦に行きたい屏風これを冷静な姉の自分が抑えている』、という流れであるらしい。


 いや違うんです。別に砦は落ちてないし全員無事です。


 やめてっ、そんな優しい顔をされたら逆に不安になる。本当は負け戦で屏風これだけ逃げ帰ってきたんじゃないか、とか。みんなが無事なのは極限状態の屏風これが夢見た願望だとか。そんな想像しちゃうから!


 その後。復調した屏風覗きから早とちりだと聞いた姉は、下唇をキュッと噛んでとても居心地の悪そうな顔をした。


 もし屏風覗きの体調が万全だったら誤魔化しの逆切れで殴られていたかもしれない。


 何かと手の速い暴力的なお姉ちゃんだが、これで本当に弱っている相手を殴ったりはしないのだ。


 ――――ただ立花様への報告に同席する気マンマンなのが恐い。


 西洋の付喪神客人の事。どう説明したもんか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る