第804話 どんなお店も調理場と解体現場は別の場所

 じわりとした緊張が走った食堂室。しかしそのねばっこいほどの嫌な空気は『降参』というように手を上げたレッドパージ嬢のジェスチャーによって霧散した。脇ツルツル。


「私たちが殺した人間の死体をちょうだい。それでひとまず満足よ」


 先ほどの顔の歪みなど嘘のよう。夏の太陽のようなカラリとした笑みを浮かべた赤ビキニは、その眩しい笑顔に見合わぬ恐ろしい要求を提示してくる。


 砦に入り込んだ刺客は発見時にすでに絶命していたのを確認している。死因はニュースでよく聞く『全身を強く打って』というやつだ。


 かの少年の場合は頸椎の損傷か内臓破裂が最終的な死因だろう。体内に起因する原因なので彼が叩きつけられる事となった通路の壁や床に汚れは少なかった。


 詰襟学生の死体は空母の備品にあった死体袋に入れて保管している。海外ドラマではよく見られる小道具だけれど、実際に間近で見る日が来るとは思わなかったよ。


 渡した人の死体をどうするかなんて聞くほど間抜けでもない。思うところはあるが、人間だって動物の肉や皮を加工して自分たちの財産や糧にしているのだ。獲った獲物が人間だからとて、その扱いを残酷だと責めるのはおかしいだろう。


 今の感情で何を言っても余計になる気配を感じて一呼吸置く。カスほどの重みもありがたみも無い道徳やら説法やらを吐いて何になる。


 黙って首肯し、それ以外で欲しいものだけを問う。


「気前がいいな」


 わざとオーバーリアクションをしたがる完全ビキニのレッドパージ嬢に対し、ガンマンスタイルのネイルガン嬢はこちらの質問を受けて空母の簡素な椅子に足を組んだまま、呟くほどの静けさで応えた。


 ――――胸の前で無造作に腕を組んでいるようでいて、その面持ちにはどこか圧がある。


 なんとなく立花様の立ち振る舞いを連想させるな。上座に座られて屏風これを詰問されるとき、あの方は剣や手の位置で無言のままにこちらの信用度を示される。


 内心の信用が無いときは抜きやすい位置にあるのだ。


「理由を聞かせてくれ」


 どうやらここからはネイルガン嬢のターンらしい。立って前に出ていたレッドパージ嬢は特に異論なく椅子に座り直すと、飲みかけの自分のコーヒーカップに指を添えた。


 カップの弦に赤いマニキュアを塗った指を入れないあたり、見かけよりお行儀が良い。


 当面の障害が後ろに下がった事で前にいた矢盾の気配も少し落ち着く。彼女の名を呼んでこちらの横に並ぶ位置まで下がってもらった。


 向こうがガードを下げて話を聞くのだ。こちらも盾なしで口を開かねば格が知れるし、何より相手に無礼だろう。


 この場の視線が集まったと感じたので、礼についての単純明快な理由を告げる。


 刺客を仕留めたのはそちらだ。なら死体あれはそちらの討ち取った獲物であり、美濃英こちらからの礼に含むべきではない。それだけ。


「明解な返答をありがとう。我々としては軽く手伝っただけのつもりだ。死体以上の礼はいらない」


 椅子から立ち上がったガンマンはカウボーイハッドを脱ぎ、胸元にあてると誠実な瞳でこちらに顔を向けてくる。


 礼を尽くした態度を受けてこちらも立ち上がって応える。そしてどちらともなく手を差し出して、しっかりと握手をした。


「ネイルは固いわねぇ。椅子だからクッション足りないんじゃない?」


「パージがだらしないだけ。ソファだからだらしない」


 なんとなくそうじゃないかと思ったら、やはりネイルガン嬢の正体は椅子でレッドパージ嬢はソファの方らしい。経立と同じく付喪神もどことなく外見に元の正体が出るようだ。


 平和にまとまったかな? 取り引きに人の死体を使っておいて平和と称するのは変に思われるかもだけど。


 しょせんあの死体は屏風これとは何の繋がりも無い敵の物だ。今回の刺客には『無敵の少年』ほどの接点さえ無い。大事に弔ってやるほどの義理は感じない。


 飼っていたペットの亡骸は泣いて弔っても、道端に落ちている車に轢かれた動物の死体は見ないふり。それが普通の人間の感性だ。


 関わりの無い存在に抱く感情なんてそんなもの。見つけてはいちいち弔ってやっている人のほうが奇特だろう。


 いずれ業者にでも片付けられるはず。そう思って通り過ぎた事が無いなんて言わせない。行きで見つけて帰りに無い事を期待したことが無いなんて言わせない。


 『かわいそう』で他人を批難する資格なんか、『普通の人』には誰にもない。


 道徳的な方ならそれでも屏風これの態度に嫌悪感を示すのかな? 悪人に愛を説く使命を帯びたような立派な面持ちで。


 人は動物じゃないと。その遺体は未成年で少年で。そもそも人間の死体に対してなんて事をと。


 ――――同じだよ。人間だって獣の一種だ。他種族からすれば命なんて『資源』だろう? 人がそうしているように。『狩り』なら『飼育』しないだけマシだろうさ。


 ストレスかな。ついバカバカしい言い訳を考えてしまう。誰に向けてするでも無いのに。


 言い訳中止。大筋の話はまとまったから次は細かいところだ。


 死体を引き渡す事には同意するけど、さすがに食べたり解体バラしたりは見えないところでやってほしい。使えそうな道具は貸すから。


 前に山内苺05を脅す時に使った整備道具の類なら用意できる。結局使ってないから実用性は保証しかねるけどね。


「道具は自前のものがあるから不要だ。ああ、洗い流す水は欲しい」


 ふたりがここにどれだけ逗留するかはまだ分からない。なら空母の水回りの使い方を教える必要があるな。


 処理用にあてがったのはこの船に最初からある囚人用の独房だ。元になっているのが軍艦だけにこういった設備がMIDWAYの船内には存在する。そこにもトイレやシャワー設備は最低限供えられているからちょうどいいだろう。


 ただし念のため周りを当面立ち入り禁止にする必要があるな。妖怪たちはともかく、深町が現場を見たら精神的なショックを受けるのは確実だ。人の解体など目撃したら我々の事も信用しなくなるかもしれない。


 ブツの引き渡しは深町を下がらせた後で行った。


 終始一言も口にしなかったけど、唯一の堅気である喜平から無言の批難を受けたような気がした。








 客妖怪客人のフィーバータイムから逃げるように幽世へ戻る準備をする。甲板が空かないと『門』を出すとき邪魔なので、ある程度は爆撃機がエレベーターに乗って格納庫に降りていくのを待つことになった。


 こちらでも錦さんが報告の手紙を書き切れていないのでちょうどいい。


 気が抜けるとドッと疲れが被さってくる。まだ昼も過ぎる前から色々とありすぎだ。


 下界とついに防戦を飛び越えて完全な交戦状態に突入した。昏倒していた矢盾が復帰したとはいえ、もはや錦さんも含めて砦の住妖怪住人を幽世に退避させるべきだろう。


 特に怪我をしたうるしは早めに付喪神向けの医者に見せたい。空母の医療室で人間用の治療をしてもらったけど、あれはどこまで効果があるやら。

 むすびの話だと正体本身が傷ついていなければ人用の治療でも十分効果はあるそうだが。まあ念のためだ。


 ここに来るのはもう屏風これだけでいい。次の都市『リーガン』の城にも爆弾を落として、最後に構える下界の首都でも同じ事をするだけだ。


 いや、最後の爆撃の前に宝の位置を確認しないといけないか。目当ての幽世の宝が首都の宝物庫にでもあったら大変だ。ラストアタックは術者の方に相談してからにしよう。


 後はナンバー同士で排除合戦になるのかな。途中脱落が決定している身としては『01』のための筋道をどれだけ遺せるか。


 ――――『02』か『06』。どちらか片方だけでも道連れにしたいものだ。


 残ったレッドパージ嬢とネイルガン嬢の事は悪魔の服飾店のグレイス氏を頼ろう。少なくともゴールド氏はあのテーラーとは知り合いのようだし、ふたりの身柄を引き受けてくれなくても、せめて繋ぎのひとつも付けてくれる事を願う。


 西洋の人喰い付喪神。彼女たちには人間の皮が使われていると、ふたりの居ない場所に行ったところで矢盾たちが酷く真剣な顔で警告してきた。


 だから油断するな、あれは魔に近いと。


 さにあらん。それが付喪神なら人の皮を使って彼女らを作ったのは彼女自身らではない。他の誰でもない。


 人間だ。人の職人が作ったのだ。


 なら、人の身で彼女たちを嫌悪する理由も資格も無いさ。


 その身に人間の皮を使っていながら、誰よりも人の無念に寄り添っていた番傘のお姉ちゃんも知り合いにいるしね。

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