第797話 女を人質に取るような男は未成年だろうと人権は無いと思う

 個人的に人の1日の体力は最大値から目減りしていく感じだと思っている。


 途中で休む事で疲労は軽減はするが、使った体力自体は十分休んだ翌日以降でないと戻らないという感じ。ゲームなんかでもたまにあるシステムだ。

 ダメージを受けても回復するまで再び攻撃を受けなかったら徐々にゲージが戻るシステムだったのはどのゲームだったか。格闘ゲームだった記憶がある。


 何が言いたいかと言うとすでに走り続けることが出来なくなった。一度足を緩めて心拍を落ち着けても、再度走り出すとあっと言う間に息が切れてしまい、ダラダラと汗が噴き出て止まらなくなってしまう。


 幽世は文明の利器が少ない土地なので必然的に現世にいた頃よりは鍛えられたけど、やはり本格的に運動してないやつではこんなものだ。


 いや、本当に申し訳ない。汗だくの人間の懐中に収まっているむすびはさぞ閉口している事だろう。


「ああいえ? 気にしちゃいませんおりやせん。親分、あっしは帯ですぜ? 汗ぐらい平気でさ」


 ケロッとした声で言われるとなるほどと思ってしまいそうになるが、そんなことは無い。こちらに気を遣っているのだろう。


 布と言ってもタオルじゃないんだ、帯に汗染みでも出来たら大変である。これが終わったら手入れのひとつもしないといけないな。着物の洗い方はまったく不心得なのだけど洗濯でいいんだろうか?


 前にろくろちゃんの手入れをしたことはあるけれど、同じ付喪神とはいえさすがに番傘では参考にならないかな。専門家に任せたほうがいいだろう。


 先程の矢の音を頼りにヒイコラ言いながらやってきた場所は広場。屏風これにとって嫌な意味で見覚えがある場所だった。


 恐らくはこの町における下界軍の駐屯地。


 近辺の建物からは遠い事もあってか、この辺りの火の手は薄い。


 もしくは外を包囲している下界軍が後で使うために攻撃を避けた区画なのかもしれない。点在する建物も特に燃えている箇所は無かった。ほとんどは脱出後に胴丸さんたちと調べに来たままだと思う。


 その中で無意識に目に留まったのはやはりあそこ。屏風これが押し込まれた牢屋がある建物だ。


 あの地下で拷問を受けた記憶は忘れたくても忘れられない。本当に忌まわしい記憶。


 それ以外に大した印象はない。せいぜい外にある『無敵』の少年の火葬を行った痕跡や、別の一角に屏風これの火炙りの準備がされたまま薪が積まれた場所があるのと、脱出の際にキューブで斬殺した兵士たちの跡が残るのみ。


 少年を焼いた薪はかつて『05』こと山内ベリーらが屏風これを焼く予定の物だった薪から拝借したものだ。


 そして予想通りあれだけあった血も死体の山もすでに消えている。


 むき出しの地面に残るのは連中の身に着けていた鎧や剣と言った道具だけ。


 やはりこの世界の人間、もしくは生き物全般は死んである程度の時間経つと消えさる仕組みのようだ。


 頭にチラつくのは虚構の二文字。この世界は現実ではないと突き付けてくる――――そこに連なる幽世もまた同じではないかと無言で突き付けてくる。


いましたいやした! 囲まれてます!」


 むすびの声とほぼ同時に屏風これにも見えた。例の建物の中、雨戸の向こうにチラリと。過去にここから脱出する際に外を伺った窓だ。


 あのときはせめてもの偽装のために敵兵の臭い兜を被ったっけ。いや、それはどうでもいい。


 しかし建物の中というのがネックだな。これでは正確にキューブを設置できないし、何より室内で交戦中らしくうるしも敵も動き回っている。


 急いで坂を作って下に駆け下りる。とにかくうるしと合流さえすれば後どうとでもなる。ここが体力の使いどころだ。


「うるしぃ! 踏ん張っとけやぁ! 親分が加勢に来たぜ!」


 むすび怒声のようなの啖呵が響き渡る。奇襲するつもりだったのだがしょうがない。どうせすぐ気付かれてしまっただろう。


 それなら劣勢らしいうるしの士気を上げるのが正しい。さすが名持ちの無頼、勝負所を分かっている。


 うるしたちの戦闘の結果か、破壊されてドアが無くなっている出入り口から踏み込む。まさかもう一度ここを潜るとは。


「しゃらくせぇっ!」


 入った途端に懐からビュンと伸びた帯が、こちらに伸びてきた複数の黒い鎖を絡めていなす。ありがとうむすび。


 中にいたのは三名。内二人は武装した詰襟の男子。


 一人は大柄で何故か荒く千切ったようにノースリーブの制服。黒い鎖をアクセサリーのように体のあちこちに巻きつけ、さらに腕に包帯を巻いていた。


 一言で言えば大昔の漫画に出てくる番長スタイルとでも言えばいいか。さっきの鎖はこいつの仕業のようだ。


 自慢の鎖が躱されたのが意外だったのか、あるいは腹から蛇のように帯を吐き出した姿に驚いたのか目を丸くしている。


 もう一人はそのまま番長の舎弟という感じ。小柄で出っ歯気味の男子。


 そしてその一人によって首下に刃物を突き付けられているのは――――うるし。


 致命傷こそ無いようだが、その体は傷だらけで着物に少なくない量の血が滲んでいる。


 おそらく今の今まで劣勢ながらも拮抗した戦いをしていたのだろう。だがなまじこちらの接近に気付いたために気が逸れてしまい、その隙を突かれた形ではないだろうか。


「動くな!」


 わずかな隙を制して圧倒的有利に立った。とでも言いたげに勝ち誇った顔で言葉を続けようとした大柄な少年。


 その少年らしからぬ邪悪な笑みに構わず、舎弟らしく番長の口上を待っている小柄な方にキューブをふたつ。


 うっかり刃物がブレてうるしの喉を切らぬよう、まずキューブでナイフを持つ手を包む感じで切断。続けてもうひとつを頭の中へ。


 立方体にナイフごと切断された少年の手から一気に血が噴き出す。だが痛みを感じる前に脳が破壊されただろうから、まだ楽な死に方だろう。


 そう、人工的な尿管結石で何十時間も苦しんで死ぬよりはずいぶんマシなはずだ。


 人質作戦に対峙するのは二度目。屏風これにとって最初の戦いでとうに体験している事態だ。人質を取られようと動揺など無い。


 対して味方から噴出した血に仰天した番長ルックの少年にもキューブをひとつ――――躱された。意外にカンが良い。


「奥義発動! 黒鎖旋風ぅ!」


 痛ましい叫びと共に猛烈に吹き上がった風。突風が部屋の埃を舞い上げたせいで思わず目を閉じそうになる。


 番長はこちらを得体の知れない相手と認識したのだろう。室内だと言うのに両腕に巻き付けていた黒い鎖を巧みに使って、さながら扇風機のような指向性のある風を起こし目つぶしを見舞ってくる。


 それは攻防一体の動作。風を起こすために何重にも展開した鎖はうちわの如く面となり、部屋一杯の暴力を力任せに叩き付けに来る。


 だがそれは正面のみの話。


 背後を完全にお留守にする無謀を彼は理解できただろうか? 名持ちの傭兵であり暗殺者でもある武闘派妖怪がいるのに、その存在を忘れて背を見せてしまった意味を。


 例えば耳の穴に力の限り箸を突きこまれるというのはどんな気分だろう?


 静からの動。突如として跳ね起きたうるしが己の写し見の箸を逆手に持ち、番長の背後から襲い掛かったのだ。短くも太い悲鳴が上がる。


 そこからダメ押しとばかりに拳も一発。釘をハンマーでブッ叩く要領で一本の箸が根元近くまで少年の耳の中に入って行ったのが見えると、彼の体は短く痙攣して耳を抑えようとした姿勢のままグタリと倒れた。


 お見事。うるしは無頼としてやられた分をキッチリやり返した。


 逆にこちらは反省することしきりだ。キューブを過信して戦い方が雑になっていたよ。


 キューブは動きが速い相手に使うには難しい面がある。タップしなければいけないため僅かだがタイムラグがあり、基本的に見てから設置位置を決めるので、素早い相手には間に合わない場合もあるのだ。


 ただそれ以前の問題として、所詮素人の屏風これはつい『何をするのだろう』と物知らずバカのように目で相手の動作を追ってしまった。この場合は様子見などせず、周りにバンバンキューブを作って相手の動きを阻害するだけで良かったのに。


 情けない。あまり学習してないな。


 かつて韋駄天の速さを持つと呼び声高い大天狗と対決した事を思い出す。あの時も勝つためにはひと工夫が必要だと悩んだものだった。


 もしもあの大天狗がここにいたのなら、やつはきっと盛大に舌打ちしたに違いない。やり方次第で屏風これを十分殺せたのにと。


『自動防御』を使っているからそれは誤りだよ、黒曜。


 反省材料は多くとも結果は似たような物になっただろう。彼らの攻撃は通じずこちら攻撃は通るのだから。


 連中の生還の目はただひとつ、最初から『逃げる』を選ぶ事だけだった。なまじ人質なんて取って交渉に移行しようとした事がそもそもの間違い。こっちの手札を知らない証拠。


 まして肉の盾を得てあっさり気が緩んだガキなんて、素人でも仕留め損なうもんか。


 頭の中に幻視した大天狗は汚い舌打ちを残して消えた。


 あんたの事はやっぱり大嫌いだが、あんたとの殺し合いを経験した事は幽世で生きていくために無駄じゃなかったと思う。腹立たしいけどそれだけは本当だ。


「やられたな、うるし。大丈夫か?」


 少年の血を浴びて顔の周りが真っ赤になってしまったうるし。彼女は先ほどの俊敏さが嘘のように力なくヘタリとその場に蹲っていて、屏風覗きの懐からしゅるりと出たむすびが人に化け直して心配そうに駆け寄っていく。


 顔についた血を拭うでもなく強く目を瞑っているのは、きっと涙を堪えてのものだろう。


 てぬぐいを出して顔の血を拭ってやると、うるしは一層に体を震わせた。


「白石様。申し訳ありませんっ。とんだお手数をおかけしました!」


 まあとっくりと説教すべき事はある。だがそういうのは全部が全部後回し。今すべき事は他にある。


 だからひとまず一言だけ。


 おまえが生きていてくれてよかった。砦に戻ろう。


 そして反撃開始だ。

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