第793話 水遁
見渡す限りの火炎の林。その上を抜けてキューブの橋を作りながら噴水へと走る。影も残さぬ俊足なんて持ってないからマラソンで使われるトラック走法の真似事だ。
途中で声を張り上げてうるしたちを呼ぶので呼吸が乱れて辛い。空気が暑い、ならぬ
残念ながら『自動防御』は外傷への防御であって、自分自身の内側で起きる不調はなんともしてくれない。つまりこれを使ってようが運動すれば体力相応に息が上がってしまう。
ああ無情。いくら気持ちがあっても火事場の馬鹿力なんてそう都合よく出ないし現実のスタミナには勝てない。早々にヒイヒイ言いながら歩くような速度になってしまう。
横は手すりなど無いのでよろけるとすぐに下が見えて、無意識に足がすくみそうになる。
実際本当に危ない。下手をするとキューブから落ちかねないので気をつけないと。高所落下の怪我を防げないのも『自動防御』の弱点なのだ。
やってきた噴水に人気は無いように見える。特に荒らされた形跡や誰か水に飛び込んでいる様子も無い。
外れか。うるしたちはここに立ち寄っていないようだ。
だが来たからには試すものを試そう。キューブで下り坂を作り、こんな状況でも呑気に水を出し続けている噴水の前に降り立つ。
ここに来たのはこれで二度目。重要な場所だが見張りなど立てる事は考えていなかった。
手が足りないのが最大の理由だが、やはりガマズミの紋の御威光が大きい。あの光に守られ安心し切っていた。
無作法に噴水の貯水地に足を踏み入れ、豊かに水を吐く噴水のオブジェに近づく。ザブリと膝ほどあたりまで入った水は火事の影響か、微妙に生温い気がした。
――――この噴水には町を占領するための機械的な装置がある。それも下界の人間が使っている技術ではとても作れなさそうな高度なものだ。
おそらく系列としてはこの屏風覗きが持つこのスマホっぽいものと同じ。少なくとも無関係ではないだろう。
認証に必要な部分は噴水の彫刻にギミックとして隠れている。前回と同じならスマホっぽいものを近づけると自動的に作動するはずだ。
「っ!」
かすかに風切り音。それが何かと気付く前に誰かの押し殺した苦悶の声が聞こえた。
誰もいないと思っていた噴水場にいつのまにかナイフを持つ詰襟姿の学生がいた。背後から水の音などしなかったのに。
こちらが完全に振り返る前に噴水からバク転で鮮やかに飛び出し、まるで『スタイリッシュ優先の忍者』のようにそれっぽくナイフを逆手に構える少年。
「オレが仕損じるとは」
声はやはり若い。下手をしたら高校ところか中学生かも。なのに仕損じるって言い回しがものスゴク芝居掛かっていて、正直ちょっとイタい。
目線がキョロキョロしているのは狙撃手探しかな? 敵の前でそんなに露骨に探すもんじゃないぞ。
思わず思考がツッコミから入ってしまった。ええと、これは暗殺者? なんだろうか。それもかなりテンプレートというか設定のセンスが古いタイプの。
例えば『表向きは学生として学校に通っている目立たない少年で、裏では秘伝の忍術を納めた伝説の暗殺者』。みたいな。
いかん、推測しただけで背中が痒くなりそうだ。子供時代ならまだ受け入れられたかもしれないが今はもう無理。あまりにも設定が厨二すぎる。
だが
少年のパットが入っていそうな角ばった学生服の肩。そこには一本の矢が生えていた。
間違いなく矢盾の放ったものだろう。砦で監視している彼女がこの少年の出現に気が付き、高所から超遠距離の狙撃をしてくれたに違いない。
援護ありがとう、矢盾。
こちらの声など届かない距離だろうけど、あえてはっきり礼を言っておく。
そうすることで『自分はひとりではない』と言い聞かせる。ここにいるのはひとりでも、
「裏奥義! 真・百二式・流星!」
ナイフを持たないほうの手から煌めいたのは何本もの棒手裏剣と苦無。
なにせ苦無と手裏剣に関して誰よりも熟知している仲良しの子がいるもので。あの子にはお遊び程度に手ほどきも受けているのだ。使う才能はまったく無いけどさ。
それにしても炎の光を反射するのは忍者の道具としてどうなんだ。艶消しにするべきだろう。だから素人の目でも見えてしまうのだ。
それ以前に長い技名をベラベラ叫ぶな。技だって裏も表もクソもなく、数だって102も絶対に研磨して無いくせに! ああ、痒い。過去の古傷が痒い! それにうちのちっちゃい
格好だけのカッコつけ忍者め。どうせド派手な戦闘をする漫画のニンジャ! の影響だろそれ。
こんな風に脳内で突っ込んでいられるのは平気だからだ。投げられたものは『自動防御』によってひとつとして到達しない。
だからじっくりと観察できる。誰だこいつ? 懲りずに『02』が
「しゅくち!」
声だけなのでハッキリしないが、たぶん『縮地』とかそんなような事を言ったと思う。バトル漫画なんかだとよく見かけた名称の技。
本来は武道なんかで使われる『地面が縮んだように思えるほど、相手に悟らせずに間合いを詰める』という、ごくごく地味な『技術』の名称だったかな。だから叫ぶなよ。
気付けば今どきの男子らしいさわやかな髪型で、それなのに詰襟という古風な制服を着た少年が
「絶技! 月下の朧風!」
どれほど寒くて残念な名前の攻撃でもその速度は確かに速い。
そして振るわれたナイフを躱す技量など、
首を刈り取るような勢いで飛んできた刃は、一気に喉から首の向こうまでも素通りしていく。
――――関係無いが、ボクシングなどで一番疲労するアクションは空振りであるらしい。
パンチを打っても無駄になったという精神的なものもあるだろうが、体重を乗せた拳を引き戻すのは存外疲れるのだ。体勢を崩さぬよう飛ばした拳の勢いを同じ労力で殺さねばならないからだろう。
では当てるつもりで放った攻撃が『当たったのに何の抵抗も無かった』ら?
喉を切り裂くナイフが本当に何の抵抗も無く振り抜かれてしまったらどうなるか。
世間で認知されている『ライトな忍者や暗殺者』みたいな身のこなしをしていた少年の場合、持ち前の脚力を殺せずわずかに体勢を崩した。
手に感じた違和感に驚いたのもあるだろう。まして振り抜いたナイフの刃がスッパリと無くなっていたらなおの事。
これは隙。訓練を受けた戦士なら間違いなく反撃できるほどの『死に体』。急所ガラ空き。剣術の『突き』のようなフォローのきかない状態。
それでもなお
――――再び噴水の中に踏み込んだ少年の足に、しゅるりと蛇のような水浸しの布が絡みつかなければ!
その動揺の隙、素人でも
両足を封じられながらもその場でバク転し、スタイリッシュに距離を取ろうとしていた少年は逆立ちの体勢のままビクンと体を震わせた。
やがて体に乗った勢いのままに首から折れるようにしてグタリとうつ伏せに倒れる。
頭が地面につかずに少し仰け反っているのは頭蓋骨内部にキューブが入ったからだ。そこで頭部が空中に固定されてしまったからである。
たぶん頭の中でキューブを支点として体が回転したんだ。もちろん脳はグチャグチャだろう。棒を刺してグルリと捻ったようなもの。
後はキューブを消さない限り彼はこのまま。肉が腐って体が崩れ落ちても頭蓋骨だけは浮きっぱなしになるだろう。
助かったよ、むすび。
「こいつやっぱり敵でしたか。なら親分の手を煩わせるまでもなく。
少年の足に絡みついていた布が解けると、次の瞬間にはびしょ濡れの姿のむすびが顔の水気を手で払いながら現れる。
そうだった。むすびは帯の付喪神。火に焼かれぬように薄い布地の姿に戻ることで深度の浅い噴水の底に退避していたのだろう。それはそれとして誰が親分やねん。いや、突っ込んでる場合じゃないが。
おかげでキューブのサイズ調整をする時間もできた。これでもスピード自慢の大天狗と戦った経験がある。そのときの知識と覚悟も少しだけ生きた気がするよ。
宙を走るために出していた3メートルサイズだとこんな接近戦ではうっかり使えない。よもや自分を巻きこむかどうかの実験なんて怖くて出来ないから、キューブのこの辺の性能は未だに判らないんだよね。
しかし喜んだのも束の間。てっきり一緒だと思ったうるしの所在を問うと、炎にまかれて
「捕縛した人間どもは油かぶって焼け死んでやした。申し訳ありやせんっ!」
そんなのはいい。むしろ非常時は気にするなと言っておいたはずだ。
濡れた体で平伏しようとするむすびの頭を軽く叩いて、そんな事してる場合ではないこと告げる。これであとひとりだ、さっさとうるしを見つけよう。
「へいっ。おやぶ、じゃなくて白石様。
むすびが指で示したのは当然死にたてホヤホヤの少年の死体。暗殺者っぽいが一応これも戦果。首として持っていけば手柄になるんじゃないかと思ったようだ。
必要ない。懐だけ漁って身分証の類や物品だけ回収してくれ。君の働きのほうは上にちゃんと伝えるから。
いや、
子供という言葉を出すとさすがの無頼も少しバツが悪そうにして、後はむすびも言われた事だけを始めた。
幽世的にはもう十分
それにしても本当に誰なんだこいつ? 深町と同じクラスの生き残り、『日本刀』ではないはずだ。あの少年の顔は見ている。学生服も違う。
やはり『02』がまた現世から呼び出したのか? よくもまあこんな。
子供を何度けしかけるつもりだクソ野郎が――――いや、もういい。少年の検分はむすびに任せて先にすべき事をすませよう。
他に敵の仲間がいても屏風覗きに索敵能力なんて無いから分からない。ビクビクと警戒しても時間の無駄だ。出るならさっさと出てこい。
<ようこそプレイヤー04>
<<当SHIP’S DOGは現在プレイヤー06が権利を持っています。強奪しますか? ※工作費用として10000ポイントを必要とします YES/NO>>
06!?
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