第791話 人生で時折訪れる『自分にとってゲンの悪いキーワード』が連なる事象は、おそらく偶然ではない

 城にいくつかある倉庫の管理者のひとりは小柄なご老人だ。妖怪としての正体は油に関する方らしい。現世では油すまし、または油貸しと呼ばれるわりと有名どころの方である。


 かの妖怪が有名な理由はだいたいの日本人ならお分かりだろう。ただしこちらの油すましは御大の漫画のような細身にみのを羽織った姿はしておらず、小柄ながらに力仕事に相応しいガッチリ系。ちょっと汗臭そうなぬぐい頭に簡素な和装をしたご老体だ。


「たまに頭がポロリと取れるんで、ああしていつもてぬぐい被って押さえてんですよ」


 妖怪にさして詳しくない屏風これに代わって油すましという妖怪についてひなわ嬢が教えてくれる。なんでも油すましは現世の峠で首を転がしたというエピソードがあるんだとか。


 元は『この坂は油すましという妖怪が出る』という話をした相手に合わせて返事をして脅かすという事をしていたのだが、そのうち物足りなくなって最後は『生首が転がってくる』という話にしたらしい。


 いや、取れるんかい。知り合いにぬけ首がいるから似たような特技を持つ妖怪がいても驚かないけどさ。たぶんどれも大陸の飛頭蛮みたいな『首だけで動ける』系列なんだろう。


 それにしても妖怪というのは種類を問わず脈絡なく驚かしたりする逸話が多いな。


 聞けば初めこそ驚いて手荷物を放り出すのを期待した窃盗目的だったが、そのうち『驚かすのが面白くなった』らしい。この油すましという妖怪といい、ちょっと悪趣味だが似たような牧歌的な趣味を持つ妖怪は多いのかもしれないな。


「いやいや、そんなかわいいもんじゃねえって。元は死肉から油を作って小銭稼いでた凶妖でさ」


むじな、余計な事を言わんでええ」


 ひなわ嬢の注釈が聞こえたのか、書類にサラサラと流していた筆を止めて心底嫌そうに手を払う油すましのご老妖怪ご老人


 声がしゃがれているのは煙草荒れだろう。吸ってないのに煙草の臭いが強い。


「嫌ならとっとと出す物を出してくれよ。旦那は忙しいんだ」


 意外にもひなわ嬢はこちらの油老あぶらろうとは以前からの知己らしい。火薬の製造や銃の手入れに使う油その他はこの方から調達することが多いんだそうな。


 というか屋台をやっている目玉しゃぶりといい、この子の知り合いは人にとって怖い妖怪が多い気がするなぁ。まあ当妖怪当人からして昔は『人狩りいこうぜ!』を地で行くマンハント妖怪なのでむべなるかな。


「では、こちらにお名前を」


 この倉庫には前に赤への支援物資を貰いに来たときも来たことがある。あの時は悪戯で副官に扮した東名山様が隣にいて手続きをしてくださったので顔パスだったが、今回はちゃんと記録を残すことになった。


 差し出された書面をよく読んで、持ち出す物と数を確認したのち『白石』と名前を書き記す――――御前ボスより頂いたこの名が名前なのか苗字なのか。他人に聞かれるとちょっと困るのだが『どちらとしても使っていい』らしい。


 とはいえ屏風これは『家』を興しているわけでは無い天涯孤独の身。今後とも名前として使うことになるだろう。


「めんどくせえなぁ。白石の旦那が言ってるんだからすぐ出しゃいいだろ」


「おめえみてえないい加減な野郎が勝手に持っていくから、いっつも在庫が合わねえんだよっ!」


 顔見知りの気安さか。ひなわ嬢が悪態をつくのはわりと仲が良い相手なので少し微笑ましくなる。


 たとえ仕事の付き合いがあっても本当に嫌いな相手とは最低限のコミュニケーションしか取らないものだ。こうやって無駄にちょっかいをかけるのは気を引きたい証拠である。やりすぎると迷惑なのでほどほどに。


 倉庫整理をされている男衆の方が要求した物を出してくれるまでの間、今後の予定について考えようか。


 まずは砦で矢盾の容態の確認。起きていたらよし、寝ていたら欲をかかずに撤収準備だ。


 深町の移動に必要な『印鑑』の持ち出し許可の件については朝に白雪様を呼びに来た頭巾猫にお願いして、責任者のリリ様か牛坊主様、そして立花様の何方かとの面会を要請している。出来ればリリ様がいいなぁ。説得できるかどうかはともかくも。


 また残留・撤収に関わらず、捕まえていた下界の人間には今日中に冥府の門を潜ってもらう。


 あのぎゅうぎゅう詰めの掘っ立て小屋に何日も入れっぱなしではそれこそ不憫だろう。殺すならせめて早い方が温情だ。片づける側としても6人×日数分の糞尿にまみれた死体を弄りたくない。


 切った首を入れる塩を入れた壺が6つ。後はそれを運ぶ大八車も借り受ける予定。この大八車は人型矢盾を運び出すためのストレッチャー替わりでもある。


 最悪おんぶでもいいけど、完全に気を失っている相手とは存外重い。『門』での移動中に落としたりしたら困るのでこれを使おうと思う。


 屏風覗きは何かと大八車に縁があるしね。意外とラッキーアイテムかな? いや、これに乗ってるとき何度かえらい目にあってるからそうでもないか。


 油老あぶらろうに小言を言われて嫌そうな顔をしているひなわ嬢とふたりで大八車に乗っていたときも、やはり大変な目にあったものだった。でも使わないわけにもいかないんだよなぁ。


 人の頭部は成人男性で4キロから6キロ近くになる。塩漬けにするための塩とそれを納める壺でそれ以上の重さになるだろう。そんな物騒なボウリング玉みたいな代物を6つも体に括り付けたくない。


 午後には茶会。そんな場面に血なまぐさい格好で行くのも問題だし、一度砦なり城なりで身なりを整える必要もあるな。


 血の匂いは簡単に落ちないと言うし。


 臭気という意味だけでなく、人を殺めたら後戻り出来ない体になるものだ。


 恥を忍んで言えば人殺しに後悔はある。恐怖もある。


 それを上回るだけの殺す理由があった。それだけの話。


 ――――どんな理由があろうとして人殺しはいけない。この定番の説教はきっと正しいと思う。正しいだけでうまく流れる事ばかりじゃないという、世の無常を抜きにすれば。


 船板から蹴りだした命を前に『何があっても人殺しはいけない』と説教されても困る。そうしなければ自分が船板から降ろされるなら猶のこと。


 正しいを抱えて海の底に沈めは、あまりに酷い言い分ではないか。その行いは高潔ではあってもひとつの生物としては愚かにも程がある。自分を殺しているのは殺人では無いとでも?


 分かっている。つらつらと考えてしまうこれらは全部言い訳だ。


 彼らが直接屏風これに害を与えてきたわけではない。でも殺す。


 努力すれば話し合いが出来るかもしれない。でも殺す。


 連中の意図は聞き出しても意思疎通などする気は無い。交流など御免被る。奪われた幽世の宝を人間から取り返す。彼らとはそれで終わりだ。


 獣と植物の多くは人がいるから死滅した。ガラパゴスのドードー鳥はなんの害意も無く人に近づいていったところを『簡単に捕まえられる鳥』だとして乱獲されて滅んだ。カメたちもまた好き勝手に食われた。


 何も悪意など向けていないのに。


 人は自分以外を『資源』としか見ない。あるいは同じ人間でさえも平気で。


 なら妖怪を見たら彼らはどうする? 妖怪の国を見たら彼らはどうする? そんなもの、とっくに人の歴史が証明している問題だ。


 交流したいやつがいるかよ。そんな何もかも食い尽くす化け物と。


「旦那ぁ、用意できましたぜ」


 言わずとも運んでくれるつもりなのか、荷台の取っ手の片方を掴んでいるひなわ嬢。この子は常に鉄砲という長物を持っているからこういうときに両手が使い辛くて不便そうだ。


 礼を言って代ろうとすると『まあまあ』と言って代わってくれない。しょうがないので鉄砲そっちを預かろうかと提案すると、少し考えた後に『壊さんでくださいよ』と真顔で言ってからよこしてきた。


 ひなわ嬢の携帯している銃はこれ以外にもある。むしろこの小銃はフェイクとしても使う見せ武器と言ってもいい。


 例えばこの銃を奪うなりして丸腰になったと思ったところで隠している暗器の銃でズドン、というのがこの子の常とう手段のひとつである。


「なんなら御指南しましょうかい? 得物もお古でよけりゃ格安で譲りますぜ」


 そんな気は微塵もないだろうに。ヘラリと笑った彼女は人気のない場所まで移動する束の間の暇つぶしにか、お古の銃の性能について語り出す。前は自分の左腕に骨と兼用の暗器として仕込んでいた年代物らしい。


 そういや前にも聞いたな。通常の短筒を暗器として改造した銃のためクセが強いせいか、まだ買い手がいないようだ。


 なんであれ屏風これが銃なんて持つもんじゃないさ。何かというと生き物を殺したがる人間が大量虐殺の象徴たる銃を持つなど、獣の妖怪からしたらゾッするだろうしね。


 ここらでいいと大八車を停めてもらい離れてもらう。悪いがしばらくここで日向ぼっこでもしていてほしい。


「咎人ども、こっちについた端から逃げ出しませんか? あたいじゃ一人か二人撃ち殺すのがせいぜいですぜ?」


 咎人は3名で内のひとりは堅気の大工だ。その数えならひなわ嬢だけでも全員討ち取れるだろう。それに城から逃げるとなればそれこそ大変だ。特に今はお偉いさんが集まっているからいつもより多く強い戦力で固めているし、あっという間に捕まるか殺されるだろう。


「逃げられたうえに他の手を借りちまったらそれが大問題になるんですよ。旦那の失態になっちまうでしょうが」


 分かってんのかコイツ? みたいな顔で返した銃を肩に担ぐひなわ嬢に苦笑する。心配ありがとう。


 まあ、そうならないよう言い含めるさ。


 ケースに入れたスマホっぽいものから『門』を出そうとしたとき――――腕のケースの角に引っかかったのか、袖に入れていたお手玉がひとつシャンと軽い音を立てて地面に零れた。


 このお手玉は運気を操る妖怪『赤しゃぐま』から頂いたお守り。


 その飾り布の色合いが渡された時よりもかすかに、かすかにだがくすんでいる気がした。


 お手玉を拾い『自動防御』を先に使う。このお守りは効能不確かな現世の物とは訳が違うのだ。


「だん――――」


『門』を起動する直後、ひなわ嬢の呼びかけが聞こえた気がしたがもう遅い。すぐに世界が灰色に染まり、風に流れていた草木の揺らぎがギシリと止まる。


 何かを言いかけて口を開けているひなわ嬢も。気のせいでなくその表情は不安気に見えた。


 現れた門は大きい。最初は古民家の裏手にありそうな貧相な『木戸』だったのに、今ではすっかり大仕掛けの砦やお城の正門みたいになってしまった。


 上へと持ち上がる方式の分厚い門。その先にはいつもの美濃英みのえのだだっ広い甲板が――――大八車など牽かずに門の先へと駆け出す。


 止まったままの灰色の世界でもわかる。甲板は火にまかれた戦場になっていた!

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