第790話 春祭り二日目。風穏やかに晴れ、ところにより曇り
「そんじゃまあ、今日はよろしく頼みますぜ旦那」
朝早くから何が楽しいのか玄関前で妙にニヤニヤと笑っていたのはひなわ嬢。
一応それなりに、という感じに正装していて普段の腋とお腹全開の服装からするとかなり着込んでいる。ただ下に関しては丈が膝までしかない袴だ。ダボいハーフパンツと言うと伝わりやすいだろうか。
自慢の火縄銃に見せかけた火打ち式銃もいつもより豪華な柄物の布に巻いており、何気に品よく飾っているのが印象的。ひなわ嬢的に銃は女子のバッグとかの感覚なのかもしれない。まあ職業的に商売道具なのは間違いないか。
祭りらしくめかし込んでいる事を褒めるとお世辞に聞こえたようで、ぞんざいに礼を言った後は顔を背けられてしまった。
これでわりと素直な感想なのだが。やはり日頃のフワフワな行動や言動で信用が無いのだろうなぁ。
朝からさっそく満腹のお腹を抱えて挑む春祭り二日目。
疲れた時こそ食事で英気を養えと言わんばかりに無尽蔵に飯が盛られていく恐怖に震えていたが、幸いにして飯の供給先が頭巾猫(目つきの悪いシベリアン)にお呼ばれされたため五杯で打ち止めとなった。
式神コンビを伴ってドナドナされていくニャンコの顔に、『接客めんどくせえ』という感情が浮かんでいたのは見ないふりをしておこう。
あなた様はこんなところで下っ端にかまってないで、
ああ、無理やり送り込んだ炭水化物と揚げ物が胃の中で元気にパーリィピーポゥ! している。今100メートルそこらでも全力で走ったら吐く自信があるぞ。
出来ればひなわ嬢をダシに食後のお茶で消化の時間を稼ぎたいところだが、今日も今日として予定はみっちり詰まっている。
特に難関なのが午後に予定されている茶会だ。前々から場の作法など
何せ直接の茶の師をして頂いたのはあの東名山青江様だ。つまり
東名山様は現世から伝わる『にっかり青江』の名を持ち、敵と見たら過剰に痛めつける事を愉しむ刀の付喪神である。その嗜虐的な性質のせいか『妖刀』とか、『切りたがりの青江』と暗に呼ばれる事が多いようだ。
白においては守衛隊に四名だけいる連隊長の座を預かるおひとりでもある。同じ守衛に属する小隊長のとばり殿からすると役職が何個も上の怖い上司様らしい。
そんな東名山様にお茶の師をして頂いた身となった以上、弟子の
たぶん屏風覗きが知る妖怪の中で一番のドSなんだよなぁ。人の頭を踏んで高笑いしたりと何かとおイタの多いお転婆な
でも東名山様は立花様と同じく基本がガチガチの武門の出。叱責と躾にグーが飛んでくるのが当たり前の業界出身だ。
下手をしたら粗相をしたケジメに耳や指のひとつも切られかねない。実際にそうなるかは置いておいて、そう思えてしまうくらいには厳しい面があるお方なのだ。
まあいずれ確実に来る試練について今から怯えてもしょうがない。それは午後の
「とばりの野郎は一日でお役御免ですかい? 急に呼ばれたからその辺を聞いてないんですよね」
目つきの妙に怖い秋雨氏に見送られながらしばらく歩いたところで、鼻歌交じりに機嫌よくしていたひなわ嬢が石畳の上に転がっていた小石を脇に蹴り出しながらそんな事を聞いてくる。
カツンと音を立ててビリヤードのように別の小石にぶつかったのは狙ったのだろうな。手裏剣に銃に弓、
その手裏剣が得意なとばり殿だが、別にお役御免にはなってはいない。この場合はひなわ嬢が追加されたと表現するべきだろう。
あの子は茶会の席の近くに配置される警護の
信用と実力と容姿。この三つを備えたとばり殿は高貴な方が参加される茶会のような優雅な席の警護として、とても重宝するらしい。
いかに強くて信用できても、そういったしとやかな場では厳つく粗暴そうな兵士は雰囲気ブチ壊しになるのでホストとしては配置し辛いのだ。
そのため今回だけ守衛や見回りの各隊から、力と美と信の三拍子揃った
ただし、防犯の観点からこの事を事前に知っていたのはごく一部だけ。
お偉方を守る兵の素性が丸わかりでは、そこにつけこんで変な事を企む輩がその兵士に何かする可能性も出てくるしね。
なので当のとばり殿も直前まで知らなかったはずである。早朝に上司に役割を命じられて驚いたんじゃないかな?
「へえ。つまり旦那はそんな大事な話を知らされてたんですかい? うはっ、さすがだねぇ」
大げさに持ち上げる穴熊さんに肩を竦める。これはさっき褒めた事への意趣返しだろう。本当に社交辞令じゃないのにな。
これはあくまで仕方なくの特例だと伝えておく。普通だったら入社1年に満たない
あの時はおっかない上司たちからこの場限りの情報として頭に叩き込んでおけと言われて泡を食ったよ――――たぶん一部にはフェイクもあるだろう。
もし何か事件が起きて内通が疑われるなら、その
仕掛人は牛坊主様あたりかな? 立花様もあれでいて絡め手の策謀もお得意だからそちらの可能性もある。元みるく様がいたら陰険なあんにゃろめの策だと決めつけてやるんだがなぁ。
なんにせよ、今日のとばり殿は『門』の出口にし辛いというわけです。うっかり使うと『門』について知らない方の目にまで留まる可能性が高くなる。
この力はあまり広めるものではないし、場合によっては急に現れたことで赤や黄の護衛から暗殺者扱いをされかねない。疑われないための予防措置でもある。
――――場合によっては
わざわざそんな方々を前に
そんな訳で申し訳ないけどひなわ嬢にも協力いただく事になった、という訳です。
ひなわ嬢は見回り組の隊長格だが基本は単身で動くタイプだ。活動範囲も広い。組の性質上どこにいてもとりあえず不自然ではないのもいい。
「なんでい、とばりの野郎が旦那から暇くらったかと思ったよ。まあなんでもよござんす。あたいとしちゃあ今晩にでも良い
当てにしていた酒というのは浦風一座の打ち上げの事のようだ。
屏風覗きは仕事もあるので最初から不参加だったのだが、公演が終わって城から出た後の彼らはまあ酷いものだったらしい。
君主様方からお褒めいただいた上に十分な褒美も貰った。そして何よりプレッシャーからの解放で完全にはっちゃけてしまった模様。
「町中を一座で酒かっ食らいながら練り歩いて馬鹿騒ぎ。最後はあちこちでげえげえやってるところを西や南の見回りにとっ捕まって、何人かは詰所で一晩明かしたそうでさ」
本来は『裏町屋』と呼ばれる夜周り担当のひなわ嬢。昨夜の役目終わりに軽く一杯引っかけているところで知り合いから浦風一座の顛末を聞いたらしい。
テンションが上がる気持ちは分かるけどアホだなぁ。
しょうがない、余裕があるようなら後でちょっと見てくるか。一座の身元引受けをしている設樂氏やお栄さんまで騒いでいたら当面誰も出てこれないからね。
せっかく昨夜に最高の錦を飾ったというのに、その栄光の翌日がブタ箱明けでは聞いているほうが情けないわ。
「浦の字はさすがにおらんでしょうがね。それで旦那、朝はどういうご予定で?」
まずは城の倉庫に寄って、それから砦だ。あれから矢盾がどうなったかを見なければならない。
最悪はひとり残らず撤収し、後の下界での始末はすべて
そう、以前のやり方に戻るだけ。むしろある意味でやり易くなるだろう。妖怪たちの目を気にする必要がなくなる。
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