第789話 仮眠のつもりでフルダイブした朝の『やっちまった』感と、『もういいや』の開き直り感
――――ぺち。
ぺちぺち。
ぺちぺちぺちぺち。
ぺちぺちぺちぺちぺちぺちぺちぺちぺちぺちぺちぺち。
何事!?
思わず飛び起きて身構える。もちろん武術の類なんてまともに身に着けていないので、それっぽいだけの隙だらけの構えだが。
「あさっ」
ああなんだ、足長様でしたか。
囲炉裏の炭が橙色に輝く暖かい居間。行燈のおぼろげな明かりに照らされた青い式神様が、畳の上にペタンコ座りをしてニコニコしていた。
どうやら屏風覗きの額をペチペチしていたのはこの子らしい。
小さい手の平で叩くにジャストフィットの面積だから、手太鼓でもベチベチ叩いている気分だったのだろうなぁ。
ええ、あくまで足長様のおててが小さいからです。決して毛髪の無い部分が広くて叩きやすいとかではないはず。つるっぱげって叩くとピシャピシャ言ってなんか気持ちいいけどさ。
大丈夫、屏風覗きはまだ大丈夫。額が天辺に向けてジワジワと面積を広げているわけではない。誰かそうだと言って。
「だいぶ疲れたようだねぃ」
今後の人生の死活問題について暗示をかけていると、囲炉裏の灰を鉄箸で引っ掻いている赤い式神様がいるのに気が付いた。
手長様もおられましたか。よく見ると灰で○×ゲームをしていた形跡があるな。さっきまで相方と遊んでおられたのだろう。
思い出した。あれから遅めの夕食を食べに離れに戻ったのだったか。けれど待っている間にあまりに億劫になって横になり、そしてそのまま寝てしまったのか。
「そろそろ陽も昇る。今日も早いのだろう? 忙しなくならぬようぼちぼち起きるんだねぃ」
「ねぃ」
朝? うわあ、ガッツリ寝てしまったか。座布団かと思っていた下の感触は誰かが敷いてくれた布団だった。
雨戸を開けて覗いた外の暗さは確かに朝が近い感じの群青色で、入ってきた空気からかすかに朝露の湿気の香りがした。
自分の予定をひと通りをこなして、今日はお役目終了と油断したのがマズかったな。睡魔に逆らえなかった。
あーあ、ジャケット着たまま寝ちゃったよ。すっかりシワが出来てしまっている。購入してからしばらく経ったし、このさいメンテナンスに出そうかな。
一瞬、とばり殿を探して部屋を見回す。もちろん離れにいるわけがない。
昨夜とばり殿は公演終了後も少し仕事があるそうで、警備についている他の守衛からの申し送りを受けるため離れた。いわゆるミーティングがあるようだ。
本来は守衛隊長さんのひとりだもんね。昨日みたいに屏風覗きの補佐をしているほうがイレギュラーである。
「あいっ」
ありがとうございます。布団を片付けると足長様が座布団をくれたので、そろそろお役御免になりそうな囲炉裏の傍に座り直す。
座ったところに『座椅子ができた』と言わんばかりに足長様がのしっと腰を下ろしてくる。いや、いいけどね。
まだ肌寒い春の朝。だからこそ囲炉裏で焼ける炭の熱が心地よくてまた寝ちゃいそう。
手長様の言うように昨日は朝から色々あって、さすがに疲れてしまったようだ。
赤の方様から引き渡された学生を殺して。
久しぶりにカタログで行った別世界でゾンビに囲まれて。
下界の無礼な特使たちを捕らえて。
矢盾が倒れて。
体力より精神に来た。一日でこんな量を体験するもんじゃないよ。
公演の前座を引き受けたのがトドメだろうか。舞台袖に掃けてから思い出したように腰が抜けてしまったよ。人間は気力が尽きると本当に動けなくなるもんだね。
いや本当、芸人でもないやつが何の覚悟も何もしていないのにお偉方の前でトークショーなんてたまったものじゃない。
あれは完全に勢いだ。もう一回やれと言われても無理である。今度は壇上に上がる前に腰が抜けるわ。
まあそれでも頑張った甲斐はあった。最初に幕の後ろでちょっとしたトラブルこそあったが、浦風一座の公演は滞りなく終了だ。
成功か失敗かで言えば大成功と称していいだろう。客の中で一番お見せしたい方々が最前列で大いに盛り上がっていたのだから。
「うひっ」
手持ちぶさたもあって何気なく目の前の金色の髪を撫でていると、嬉しそうな声を出してクリクリの目でこちらを見上げてくる。
お三方と共にお座りになっていた小さな式神様たちも楽しんでくれたようだし、それだけでも頑張った甲斐があったかな。
正直なところ公演プログラムには不安があった。完全新作は寸劇くらいだったし、飽きられていたらどうしうもない。
幸い茜こと
ただ残念ながら白雪様はすでにどちらも御覧になっているので、この二本については目新しくはなかったろう。
寸劇のほうはあの方も初めてなので、これだけは同じくお初のおふたりと共に楽しんで頂けたのではないかなと思う。
――――思えばお三方が前座で出た
あのゲラ笑いこそ実はお芝居で、もしかしたら会場の空気作りに協力してくれたんじゃないだろうか?
仮にあの方々がスンとなっていては会場の空気が重いどころではない。最上位が詰まらなそうでは誰であろうと笑えたものではないだろう。
だから目上の自分たちが率先して大いに笑う事で、『無礼講だ、好きに笑いなさい』と皆を促したのでは?
壇上にいるときはいっぱいいっぱいで気付かなかったけど、そうじゃなきゃあんな大笑いはしないだろう。
いや、すっかり騙されたな。これではどちらが役者やら。
「ただいま戻りましたっ! おはようございます屏風様、朝餉にございます」
偉大な君主様たちの名采配に気が付いてひとり感心していたとき、赤い燐光を浮かべた犬耳と尻尾を出したままの秋雨氏が玄関側からやってきた。
どうやら彼女はすでに起き出して、お城から朝食を運んできてくれたらしい。ぱあっとした笑顔が太陽のように眩しいよ。
彼女の毛皮が放つ赤い輝きは興奮していたりすると自然に出てしまうようで、それだけ食事の準備を急いだのだろうと分かる。
その手には朝餉とは思えない量のおかずを乗せた豪華なお膳。もっとも自己主張が激しいのは皿から完全にはみ出ている立派な鯛の天ぷらだろう。うっぷ。
重さはともかく、この一品が出てくるという事は立花様なりに
たとえ不機嫌な時でも部下を褒める事は忘れない。上司の鑑だなぁ。ただ朝食に揚げ物は勘弁願えないものか。
「ちわー、飯屋ですー。今なら大盛無料ですぜー」
秋雨氏の後ろからモコリと出てきたのはケサランパサラン。もとい白雪様。
ほわーっとした笑顔でおひつをしゃもじでカンカン鳴らして威嚇、ではなく主食をアピールしてくる。おかずの豪華さに対抗しないで頂きたい。
しかし白雪様も昨日はお疲れでしょうに。何も朝からご自身で来られずともと思ってしまう。
誰とは言わないがホスト役として色々と気を遣って大変だったはずだ。屏風覗きだったら客と別れた後はグッタリである。
芝居といい体力といい、さすが白雪様は並の者とはモノが違う。やはり上に立たれる方は違うなぁ。
「んっふ」
感心してる最中に人の顔を見て思い出し笑いを堪えないで頂けまいか。公演のあれがマジ笑いだったらさっきまでの感心をどうすりゃいいのよ。
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