第788話 ディナーショーはウキウキウォッチン

 右に左に中央に。奥に手前に上段に。お集りのお客様。


 夢と娯楽をお届けするなら白ノ国きってと自負する芝居馬鹿。浦風一座の舞台にようこそ!


 ギラギラの装飾を施した扇子を振るい、篝火とキューブで照らされた壇上にスーツ姿で口上を垂れているのは屏風これである。


 なお顔は海苔で作ったカイゼル髭とごん太眉毛をくっつけて謎にダンディーにしている。接着剤は当然ごはんつぶ。


 なんで? という疑問はこっちが吐きたい。いや事情は説明されたし納得もしたけどさ。それでも『なんでこんなことに』の『なんで?』が頭をリフレインするくらい『ホワイ?』である。


 キューブの発光で照らされた升席には城勤めの見知った方、まったく知らない方がそれぞれひしめき合っている。正気度が下がりそうな見た目の方がいなくても緊張だけで吐きそうだ。


 だがしかし、その甚大なプレッシャーもある一点を見るとスンと落ち着くので問題はない。


「あはははははははっ! は、はひ、駄目っ は、はっ、はははははははっ!」


 さっきから最前列の升席の中で腰からがねじ切れるんじゃないかと思うほど、ウゴウゴとのたうっているのは申し訳程度に女中ファッションのギャル。

 女中さんなのに肩や胸元がお水業界に片足を突っ込んでいそうなほどはだけている。はしたないのでなんとかしてどうぞ。


「馬鹿だ! 馬鹿がいるわっ! このばぁぁぁか!」


 同じくさっきからこっちを指さして高い声で爆笑しているのはちんまい女芸者。前のダンスのお披露目で作った衣服を身に着けていて、ある意味で屏風覗きのスーツより浮いている。芸人だから許される格好のおまえのほうが馬鹿っぽいわい。


「ひゃーはー、死ぬぅー、息がー、息がぁー」


 そして最初は悶絶するほど必死に笑いを堪えて、結局堪えきれずに手長様足長様と一緒にゲラゲラ笑っているのは我らが白いモコモコである。


 女中キャッツと足長様はともかく、あの手長様がゲラ笑いしてると腹が立つより変な感動が来るなぁ。嬉しいまである。それはそれとして白いのと青いのは覚えとれ。


 ごく一部の反応が劇的なのはともかく、とりあえず掴みの空気は悪くない。袖から出ていくときにあれほど感じた心臓の負担がだいぶ楽になったよ。







 ――――開演直前。一座の者たちに呼び込まれた屏風覗きはとんでもないお願いをされた。


 それがこれ。冒頭の掴みトークと導入役である。あ、ダメ、まだ深く考えると胃液が逆流する。


 一座の者たちはそれぞれに覚悟を決めていた。だがその中でただひとり、土壇場になって臆病神に吹かれた者がいる。


 それはお栄さん。一座で一番のベテラン。


 なぜ今になってと問い詰めるのは酷だ――――私見だが、彼女はベテランではあっても看板役者ではなく、その事があっていつも心のどこかで予防線を張っていたのだろうと思う。


 芝居が成功しても失敗しても一番の功罪は自分のものでは無いと。


 うまくいってもそれは看板役者の浦衛門の成果。失敗しても、やはり看板役者の浦衛門の力不足と。


 どれだけ続けても今日まで端役ばかりだった役者人生。浦風一座に組み込まれてからの彼女にとって、客の声援も罵声もどこか遠かったのではないだろうか。


 だからついに自分の力量だけが試される瞬間を迎えて、本当に久しぶりに怖くなったのだろう。


 まるで初めて舞台に立つ新米のように。


 屏風覗きが様子を伺った時点でお栄さんはプレッシャーから憔悴し切っていた。長年の付き合いの一座の者たちから見ても『これを舞台にあげるのは無理だ』と思ってしまうくらいに。


 もっと言えば開演の一発目というのもよくない。


 芸には空気と流れがある。会場をあたためて弾みをつける事は非常に大切な事なのだ。白けた空気の中ではどんな面白いコントをしようと滑ってしまうと例えれば分かってもらえようか。


 そして真打は常に遠く、どんな公演でも前座ばかりだったお栄さんはそれを嫌というほど知っている。期待の視線を向けていた客から失望を感じる恐ろしさも。


 だから動けなくなったのだ。もう立つことさえ出来なくなるほどに。


 誰が励ましても叱責しても届かない。他人が何を言おうと舞台に立てば自己責任。それだってお栄さんは泣きたいほどに知っている。


 夢破れて散っていく同期、先輩、後輩の姿を。悪夢を見るほどに。


 わかる――――今の彼女に必要なのはこんな嘘つきがひり出す口先の激励ではない。


 もっと生臭いもの。身も蓋もない利。


 それは有利。自分のために吹いてくれる『追い風』だ。


 浦風一座の皆は全員にどのタイミングでも役割がある。誰も外す事はできない。カツカツの運営。どれほどお栄さんを援護したくとも限界がある。


 ならば外注しかないだろう。例えば屏風これとかね。


 そうして屏風覗きは一夜限りの前座と相成った。未熟は自覚、不明は重々。ヤジを飛ばされても仕方なし。


 それでもなお。お栄さん、これにて一番の重しだけは外してやろう。


 失敗したら屏風これのせいさ。ぜんぶおっ被せるがいい。名ばかりの真打たちがいつかあなたにそうしたように。客受けが悪いことを格下のせいにするような腐れ役者のひとりもいただろう?


 そして首尾よく空気をあたためる事が出来たなら、それこそあなたの手柄にするがいい。弾みをつけるとは踏み台に上る事。これを踏み越えて駆け上がれ。


 聞こえるか? 感じるか? 前座これの口上はもうじき終わる。こんな稚拙な語りより良い芸を、期待に満ちた目が真打の登場を待っているぞ。


 ――――それではお後がよろしいようで。浦風一座の新舞台、寸劇と侮るなかれ。お栄の喜劇をご覧じろ!


 語りの間も不安で仕方なかった。まだか、まだかと袖に彼女の影を追った。最悪は屏風これが角材持って代わりをしようかと。自分で書いた寸劇だ、細かいフォローは泥土でいどと浦衛門に任せて勢いだけで押し切ろうかと。学芸会以下になってしまうかもだけど。


 はたして。そこに役者はいたのか?


 黒子によって演目の札が捲られる。


 そして右の袖から彼女は現れた。えっちらおっちらと危なっかしく角材を抱えるうっかり者の大工役として。


 用済みの前座は速やかに左袖へと掃ける。


 少しして、会場に爆笑が渦巻いた。

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