第510話 傘の傷を想う

「どうやった?」


 病室から出てきたこちらを、通路の先で壁に寄りかかっていたらしいろくろちゃんが見もせずに気付いて通せんぼする。


 通行止めバー代わりになっている現身の傘を除けつつ、多少の成果はあったことを伝えた。

 もとより1回で済まられる事でもない。ここから山内ベリーと証言の擦り合わせを行い、また少年側にと繰り返して情報の精度を上げる必要がある。


違うちゃう。兄やん取り調べなんぞやったこと無いやろ――――続けられるか?」


 どうやらこの化け傘のお姉ちゃん、頼りない弟の仕事ぶりを気に掛けてくれているようだ 


 大丈夫。屏風これは『何があろうと暴力はいけません』なんて言い切れるようなお人好しではない。それが必要と思ったら殴るし殺しもする。


 実際にもう何人も殺してる。これで苦悩するほど繊細な神経はしていない――――あいたっ。なんか腹をどつかれた。しかもそのままグリグリしてくる。


 怪我人ということで加減はしてくれているようだけど、鳩尾は軽くてもキツイんですが。


 グリグリが収まったので腹をさすろうとしたら、今度はその手を掴まれて袖の中にろくろちゃんの手が突っ込まれる。何をするのかと思ったら、袖の中に落としていた薬の包みを取られた。


「リリから捕虜に使え言うて渡された薬はこれか? なあのうひとつひとっつも使っとらんやんけ。後から飲ませるんは面倒やで?」


 黄色い油紙に包まれ三角形に折られたそれらは、いずれも粉末の飲み薬である。1本より2本、結ばれた赤い糸が多いほど薬効が強い。


 ただし、強かろうが弱かろうがいずれも危険な薬――――麻薬だ。依存性を持ち、取り返しのつかない人体の破壊を伴う。


 もっとも弱い薬でも阿片アヘン以上なので、絶対にご自分では試さないようにとリリ様にキツく言われている。現世に持ち込んだら確実に警察のご厄介だろうな。


 ろくろちゃんの言う通り、使うとしたらこちらへの警戒心の薄かった小生意気な最初が一番飲ませやすかっただろう。鎮痛剤や抗生物質とで言えば、少年はさほど疑いもせず服用したに違いない。


 ――――考えはした。脳裏に過らなかったと言えば嘘になる。敵対したけど子供相手だからと思い直して助ける大人を演じて、薬と偽って飲ませるのなら簡単だと。


 でもその選択を選ぶつもりは無かった。もちろん良心があったからじゃない。手間とリスクを考えただけだ。


 確かに騙して飲ませるのは難しくなったのは事実。彼との友好関係は最悪だ。


 けど人は水を口にしなければ生きていけない。数日そこら水を与えないだけで簡単に追い詰めることが出来る。追い詰めればどんなに疑わしくても飲むことになるのは必然だ。たとえ泥水だろうと海水だろうと、極限の乾きの前には飲んでしまうのが人間である。


 なら今じゃなくてもいい。


 薬で安易に頭をクルクルパーにしてしまったら情報の信ぴょう性が疑われるし、後で聞きたい事が増えたとき薬の影響が進んでまったく聞き取れなくなる可能性もある。


 つまり薬を初手で使うのは危険だと判断した。それだけだよお姉ちゃん。


 そう言って薬を取り返すと、ろくろちゃんはタンを吐きそうな顔で鼻を鳴らした。


「甘ちゃんが」


 最後にもう一度グイッと腹を押してから、気の良い番傘の付喪神は不満そうにしながらも屏風これを解放してくれた。


 別に甘くしているつもりはないんだけどね。今の時点でも現世で知られたら連日報道されそうなレベルである。

 それを思うと陰惨な歴史を繰り返している人類も、多少は道徳を学んでいるのだなぁとか他人事のように思ってしまう。


 あまり極端に行くと弱者ビジネスとかの、本当に訳のわからないことをし出す輩が現れるから、人権とか平等を盲目的に賛美するのもアレだけどさ。


 個人的に人権って錦の御旗を振りかざせばなんでも正義って考えは、それこそ不健全で危険な事だと思っている。


 おっとっと。これは君主制の国に住まわせてもらっている者の考えることじゃないか。義理の娘さん大好きな化け傘ちゃんや、御前を敬愛するその他大勢の皆様に怒られてしまう。


 民主主義は社会の一形態でしかない。善政を敷くならそれ以外でも国民は幸せになれるし、悪政を敷くなら民主主義だろうと民の行先は真っ暗だ。


 どこまでいっても制度は道具。使う者の心がけ次第でどんなきれいな制度であっても凶器に成り代わる。屏風覗きは民が幸せなら君主制でもかまわない派です。


 特に人間と違って妖怪は寿命が長いだけに世代交代も緩やかだし、年食ってボケたりして暗愚になる可能性も低い。


 それに白ノ国は跡目争いとかのお家騒動はまだまだ先の話だろう。御前は未婚のようだし。


 うーん、あのニャンコのお婿さん探しは大変だろうな。いや、もちろん容姿とか性格とかに関しては、誰からも好かれる素晴らしい方で疑いの予知はありません、まる。


 次は本命である山内の番。彼女には先日の時点で因果を含めているというか、平たく言うと脅しをかけているので多少は尋問がスムーズに行くだろう。たぶん、いやほんとお願い。


 殴るのはアレなので首を締めたり耳をつねったりしたけど、男子が相手でもこんな嫌な気分になるのを女子にやりたくはない。


 そうやってぼやんと今後の流れを考えていると、こっちを解放してから付かず離れずだったろくろちゃんが『ん?』という顔をして『なんやねん』と呟き、屏風これの袖を引っ張ってきた。


ちょっとちょいしゃがめしゃがみ。包帯取れとるやんけ」


 ああ、少年への脅しの一環で耳の縫合を見せつけてそのままだった。どうせなら山内にもこのまま挑むというのもアリかもしれない。


 やった事が自分に跳ね返ってくるかもしれないと思い至れば、彼女とて口がよく回るようになるだろう。包帯のまき直しは少し待――――


「阿呆、小賢しいわ」


 痛い痛い痛い! 包帯を締めるついでにウメボシの刑、眉間を拳でグリグリするのはご勘弁。


 どうもろくろちゃん的には、わざと傷を見せて『おまえもこうなるぞ』作戦はお気に召さないらしい。性根が豪快な子だから今の言葉の通り、心理的な駆け引きにしてもあまりに小賢しくて鼻についたんだろうな。


 まあ前回の時点で爪を剥がれ指を折られた手を見せつけて脅しているし、同じ事をしてもインパクトが弱いのも事実だ。


「ど阿呆。あのねあんな兄やん。傷ちゅうんはの、治すだけでええんや。いちいちなんかに使つこうて見せびらかすもんやないわい」


 思いがけず、それは心配の言葉だった。自分の傷まで使って役目をやることはないという、ろくろちゃんなりの気遣い。


 気性が荒くてケンカっ早くて、それでも彼女は時折こうしてとても優しい面を見せてくれる。何事も大雑把なようでいて、見ているところはちゃんと見てくれている。


 ――――それはたぶん、この子が誰よりも傷ついて来たからだろう。


 人に作られた物の妖怪、付喪神として。


 生みの親たちの醜さと残酷さを嫌というほど見せつけられてきた、血まみれの付喪神。彼女はその傘の一部に、未だ人の生皮を使っている。 その皮はかつての切支丹狩りにて、現世の長崎奉行が行った地獄のような責め苦によって剥がれた民の皮。


 人が人にするおぞましい所業を見続けた物言わぬ傘は、きっとその愛が深かったからこそ人間という生き物に絶望し、そしてそれでも見限れなかったのだ。


 自らの力を削ぐことになっても、人の悪行と生きた証を傷ついた皮という形で己の身に残し続けている。


 立花様は化け傘を痛め続ける古い皮を、できれば捨てさせたいと望んでいた。それはきっと立花様だけの望みではあるまい。


 愛する娘からの言葉でさえ聞き入れないこの子が、いつか古い痛みをかみ砕いて、新しい姿を受け入れる気持ちを持ってくれることを願ってやまない。


 立花上司様から説得を引き受けた屏風これだけれど、今はまだ役者が違い過ぎる。


 それでもいずれ切り込もう。たとえ嫌われることになったとしても。君が長くみんなと笑える日々のためなら、短い命の人間との付き合いなど安い物。


 嫌われることには慣れている。泣いている子は少ないほうがいいんだ。

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