第506話 星100突破の感謝を込めて。『寿司と猫』

「へいらっしゃいー。なに握りやしょうー?」


 離れに戻ると玄関前が寿司屋になっていた。


 何を言ってるのかわからねーと思うが、という有名な少年漫画のセリフが思い浮かぶくらいには訳が分からない。


 厳密には城下町によくある寿司屋の屋台が、デンッと離れの前を占拠している状態だ。


 真新しい屋台の向こうにはモコモコの髪を太めのねじり鉢巻きで結び、さも当然のようにたすき掛けをした我らがボ、白雪様がいらっしゃる。


 白く細い腕を腕組みし、フンスと自信ありげに鼻息を吹く姿は味にこだわる頑固親父のごとし。


 ポーズ的には寿司屋というより独立した家系ラーメン屋だが。ここで世に蔓延るバカの真似事なんかしたら、高額賠償どころか市中引き回しのうえで打ち首獄門だろうな。


 さてどうしよう。勝手口のほうに回れば離れに入れないではないけれど。無視したらそれこそ白雪様大好き勢から処刑されてしまう。


 それに先程から2本ある白い尻尾がウニウニして、『私にかまえっ』と無言で仰っておられるのだ。身分の上下に関わらず、猫からの遊んで攻撃を耐えられるわけもない。


 覚悟を決めておもむろに席に着くと、待ってましたとばかりにお茶を出された。


「今日はごはんの良いところが入ってますぜー」


 寿司屋に来てネタじゃなくてシャリを勧められたのは人生で初めてだ。


 ひとまずお茶を啜りながら敵情視察。そこは屋台なので張り出されているネタはそこまで多くない。


 マグロ( 漬け)。サバ。うに。つぶ貝。タコ。卵。アナゴ。かんぴょう。そして本日のすぺしゃる、か。


 最後っ。ひらがなで書いてあるけど最後っ。スペシャルって。いや落ち着け、手慣れた様子で酢飯を切るSUSIキャットの術中にはまるな。

 これはまさしく諸葛白雪の放った八卦の陣。選択を間違えたら大火傷だ。なお9番目は即デッドっぽいので省く。


 しかし白い酢飯か。幽世のお寿司は現代の物と違って赤酢を使っているから、どこの店もシャリが茶色っぽいんだよね。それなのに白雪様が用意している酢飯は白いシャリだ。


 まあ酢飯の話は置いといて、ここでは何を頼むのが正解なのだろうか?


 いわゆる偉い方のお戯れにしても、こちらも楽しまなければ失礼だろうな。客という立ち位置でロールプレイに付き合うべきかもしれない。


 となると1手目で大将のおまかせはよくない。せっかくお品書きまで用意してあるのだから最初の1、2品くらいは別途で注文したほうがいいだろう。


 うーん。初手でマグロは野暮か? マグロの油で味覚が鈍くなるからとかなんとか、食通ぶった誰かが言っていたような記憶がある。じゃあ青物でサバ? それはそれで無難すぎて面白みが無いかな?


 かと言って1貫目でうにの軍艦もなぁ。貝や卵は初手には変化球すぎるし、噛み応えのあるタコは3手目くらいからだろう。


 残るはアナゴかかんぴょうか。ダメだ、何が正解か分からん。


 なお、本日のすぺしゃるは嫌な予感がするから最初から最後までやはり除外で。


 仕方ない。変に通ぶってもそれこそ野暮天だろう。ここは直感で食べたいものを食べる。食とは楽しく悩むもので、困るために悩むのではないのだ。


 さらにあえて白雪様とは呼ばずに『大将』と呼びかける。ロールプレイは呼び方も大事。


 こちらの大将呼びに、にへーっと笑った白雪様。まずは正解のようだ。どうして離れに戻るだけでひりつく選択をせにゃならんのか。


「手長はタコが摘まみたいねぃ」


「ぴよっ」


 ん? 声に振り向くといつのまにか背後に肩車状態の式神コンビがやってきていた。


「へーいー、ただいまただいやー」


 注文を受けた大将こと白雪様は、予め切ってあったらしいネタを持ち出してシャリと合身させていく。

 タコは工作って感じでネタとシャリを張り合わせるような拙さだったが、逆に巻物の手際は良くてこっちは非常にお上手である。


 足長様は空いている2つの椅子のひとつに手長様を下ろすと、自分もよじよじともうひとつの椅子に上がっていく。なんか見てて危なっかしいのでつい手伝ってしまうな。


「うひっ」


 いつも足のきかない手長様を運んでいる足長様。その反動か自分が運ばれるのが嬉しいらしく、だっこやおんぶが好きである。


「へいおまちー」


 おおっ、現代サイズ。出された1貫は幽世の江戸基準サイズの大物と違って、現世のお寿司と同程度の大きさをしていた。良かった、一番の懸念事項が消えたぞ。


 ただ手長様のタコはともかく、足長様のかんぴょう巻きは包丁を入れていないため長さが恵方巻みたいになってるが。


 まあこれで一安心。注文が被らない形にもなるし、みんな大好きマグロの漬けでも頼もうか。野暮なんて知らん。


「へーい、ただいま増量中ぅー」


 ん? その子供の靴みたいなサイズのシャリで何をなさる?


 シャリの白い平原に青々と塗られたワサビの面積がもうおかしい。何貫を想定しているの。


 やがて醤油に付け込まれたマグロのブロックがべろんと乗せられ、足長様のかんぴょう巻きと同様に切られることなく出された。


「へいおまちー。おまけしときましたぜー」


 いやあなた、『ヘヘッ』という感じに頑固おやじがたまに常連に見せるような照れ臭そうな演技をされても。

 というかなんだこの面積。これは指で摘まむとは絶対に言わない。もはや両手で掴むサイズのマグロ寿司。これは完全に工場のベルトコンベアでベーッと流れてきたのを丁度良くカットする、その前段階のヤツだわ。


 どうすりゃいいのこれ。いくら大きくてもこれはお寿司。箸でブツ切りにして食べるのも行儀が良くない気がするし。


「ふむ。さすがに片手でこれは食べにくいだろうねぃ。どれ」


 ご自分の人差し指をピトリとつけた手長様がすっと指を放すと、指と指の間にあやとりの糸のようなものが伸びた。これはおそらく手長様の指の肉を連結して細くしたものだろう。


 その指肉の糸を使い、ところてんの要領でマグロ寿司をすっ、すっ、と食べやすい大きさに切ってくれる。多少大きさにバラつきがあるのと、昨今ちょっと衛生面で方々にお叱りを受けそうなのはご愛敬。


 でもこんなピトピトなら屏風覗きが食べる限定でかまうまい。お優しい手長様にお礼を言うと、人形のような無表情のままのお顔に、少しだけ照れ笑いが混じったような気がした。


 そして出来上がった大小のお寿司の山。あれだ、スーパーの鮮魚コーナー近くで売ってるパーティ用お寿司セットの一番大きいサイズみたいな個数である。


 えーと、食べ終わったおふたりさん。マグロいかがですか?


「寿司はいくつも摘まむものじゃないねぃ」


 タコ1貫で我が道を行く手長様は、そのままスマートにフィニッシユらしい。今の寿司の切り分けで屏風覗きに対する優しさは在庫切れのようだ。


「から」


 対して足長様はまだ食べられるようだったので期待したのだが、お箸でマグロの端を摘まんで持ち上げると、そこから見えるシャリについた緑を確認してすぐに箸を引っ込めてしまった。そういえば辛いのは苦手でしたね。


 しかたなく片っ端から食べていく。味は良い。シャリもネタも、薬味のワサビからして城内で使うような高級品なのだから当然だろう。


 ああそれなのに、なんて残念な気持ちになるマグロの握りなのだろう。


「さあさあどんどん握りますよー」


 おあいそで。


「えー?」


 パーティ用サイズを1人で食ったら十分だわ。食生活が腕白すぎる。


「しかたないですねー。それじゃあ秋雨ちゃんー」


「し、失礼いたしますっ」


 いたのか秋雨氏。どうやら土間のすみっこ辺りにいたらしい。突然に離れの玄関前を板前ニャンコに占拠されて、さぞ困っていただろうに。今の今まで気配を殺して一言も発さずに堪えていたようだ。


「じゃーんー、ちゃっちゃっちゃっーちゃっちゃららっちゃーちゃっちららっちゃー」


 なんか始まった。秋雨氏と大将が屋台の両端を持ったかと思うと、そのまま180度回転させてしまう。

 さらに座っていた手長様と足長様も、秋雨氏によって椅子ごと反対に連れていかれてしまった。


「白石さま、あ、頭を失礼いたします」


 呆然としている間に、さっきまで白雪様のつけてたねじり鉢巻きを頭に巻かれた。ホワイ?


「たいしょー、やってるうー?」


 屏風これかい!? 今度屏風これの番かい! 片手でどうしろと。


「大丈夫です白石様。この秋雨がお手伝いいたしますからっ」


 そういう問題? これそういう問題?


「おっ? こんなところに寿司屋があるやんけ」


「「ちょうど小腹も空きました。ひとつ摘まんで行きましょう」」


 やってきて早々にセリフが白々し過ぎるぞ、傘と十字剣の姉ちゃんたち! さては最初から仕込みだなコレ!? だから片手でも何とかできるように、初めから食材を切り分け済みなんかーい! じゃああのマグロ地獄はなんだったのさ!?


 それから材料が無くなるまで、ひたすら秋雨氏の助力の下に寿司を片手で作り続けることになった。終わるころには小手返しを習得してしまったのだが、たぶんもう一生使わない。

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