第504話 ブラックフードとゴング(幻聴)

 ひりつく空気に包まれた質素な部屋で、後ろの傘と正面の猫の目線がかち合うのが視覚的に見える気さえする。


 再び口を開いたのはろくろちゃんだった。


「確かに兄やんはちょいとヘタこいたわな。けどな、ちゃぁんとひとりでケジメ取って帰ってきたんじゃ。どっかの馬鹿猫と違うて玉の手ぇ煩わせるなんぞしとらん」


 威圧を乗せた彼女の言葉は本当に質量があるかのように室内の空気を重くしていく。胴丸さん、矢盾、そんな『なんとかして』って視線をチラチラ向けてこないで。


「のぉ、それでもおどれが嫌味言いたいっちゅうんならうちに言ってみいや? どんな理屈か聞いたるで」


 黒い布の先にある赤い瞳を睨みつけているだろう化け傘の言葉はどこまでもきつい。短気で気性の荒い彼女らしい粗暴な声色。


 けどその怒りはみるく様に過去の因縁から侮られている屏風これのための憤怒。それが少し嬉しく、同時にとても恥ずかしくもある。


 いい年して情けない。胴丸さんたちに『止めろ』の視線を向けられる事など最初からあってはならない事だった。


 彼に面と向かって物を言うべきは他の誰でもない、まず屏風これであるべきだった。庇われて喜ぶより、こんな風に弟想いの姉に口を挟ませた事を恥と思わなければ。


 後ろで凄むろくろちゃんに手を挙げて『待った』と伝える。ここは自分が、という気持ちを込めて。


 情けないなりに自分でやるべきことは自分でやりますと、無言の宣言が伝わるように。


 ろくろちゃんからわずかに鼻白む気配がするも、やがてゴソッと布の擦れる音がした。不貞腐れたのか二日酔いが辛くなってきたのか、肘を枕にして寝ころんだらしい。いずれにせよここは任せてくれるようだ。


 改めて正面に座る頭巾の彼、その目と目が合うようにまっすぐと見つめる。薄布の向こうを突き抜け、ここからは逃げも隠れもしないと目で伝える。


 彼とはお互い顔を合わせるのがまだ早かった。それはそう思う。みるく様が自身の気持ちを堪えて体裁を整えてくれたのも理解している。


 だけど、それでも内心の苛立ちが匂ってくるという点だけは指摘させてもらう。こちらが私情で言いたいことはそれだけだ。あとは仕事の話だけをしよう。話すのも不愉快だというならなおのこと。わざわざ見えている棘を触り続ける趣味はこっちにも無い。


「―――――ご無礼を。青臭くも無様を晒しました」


 猫がすうっと息を吸い、鼻から出す。その息で布が少しだけ揺れた。目線は寝ころんでいるろくろちゃんではなく、こちらに向けている。


 今の言葉はきっと和解ではない。みるく様には変わらず人間の屏風これへの敵意があり、抑えられぬなりに隠していたそれを、今まさにはっきりと出したのだ。


 隠しているのがそんなに不愉快だというなら、遠慮なく見せてやるぞというように。


「白石殿。私はあなたが嫌いです。どのような功績を挙げようと嫌いです。御前があなたを召し抱えておられるから我慢しているだけ。あなたが今後、もし国から放逐されたら喜んで殺しに行きます」


「言うやないか。さっきの糞詰まりみたいな汚ったない声よりはええで」


 このあまりのセリフにギリッと歯が鳴る音がして、後ろ足で跳ねるように立ち上がる。さらにはうっとおしいというように黒い頭巾が畳に叩きつけられた。


 フカーッっと、彼はきっとそう威嚇の声さえ出したかったに違いない。だがギリギリのところで理性を残していたみるく様は、数度だけ呼吸を整えると頭巾を拾って座り直した。


「うちは外野や。気にせんでええよ? 若いんやから存分にやり」


 ろくろちゃんの不気味なほど軽い口調に背中の側だけブワッと鳥肌が立つ。横に控える胴丸さんも小さく身を竦めたのが見えた。矢盾に至っては顔こそ引き締まっているけど、明らかに大量の脇汗で上着が変色し出している。


 そしておそらく一番怖いと感じているのは、外ならぬ目の前の猫に違いない。


 これはもう引っ込みがつかないと悟ったのだろう、みるく様は八つ当たり気味にこちらを睨みつけると、そのまま頭巾を被ることなく白い毛皮と赤い瞳を晒したまま続けた。


 冥途の土産だ、やりたいことをやってやるぞと言わんばかり。


「ですので! せいぜい御前に愛想を尽かされぬようになさるよう、お願い申し上げる! 私が殺しに行ける理由をお作りになりませぬように!」


 さあ、ここからはお役目の話をいたしましょうと、まるで啖呵を切るような勢いで言い切ったみるく様。これはいわゆるブチキレている状態ではあるまいか。


 物事に対して冷静で常に余裕を持っている様子を見せていた彼。そんな彼がとても感情的に言葉を叩きつけてくる。


 脱獄の夜に相対したとき以上の激情をもって。


 これはきっと和解ではない。みるく様には屏風覗きへの敵意があり、これを当人の前ではっきりと口に出した。


 でもその事によってお互いの気持ちが少しだけ近づき、前に進んだように感じたのは屏風これの思い違いだろうか?


 互いの首を張り付けた笑顔のまま死なない程度に絞め続ける関係より、おまえなんか嫌いだと正面から切り結ぶほうがまだ辛くない、そんな関係もあると思うのだ。


 好きは好き。嫌いは嫌い。完全に色分けできるなら、そのほうがきっと楽だろうから。


 みるく様は屏風覗きが嫌い。でも屏風これはあなたの事が少しだけ好きになったよ。


 ―――――それはきっと、色分け出来たからだろう。曖昧が一番怖いから、ね。







「そないな顔せんでも咎めたりせんて。粋がった餓鬼ジャリを相手に本気で怒るのも阿呆らしいわ」


 内心で冷や冷やしているのを見抜かれたらしい。退室後すぐにろくろちゃんはやる気なさげに手をヒラヒラさせて、不敬を働いたみるく様を処分する気はないと明言した。


 これには胴丸さんや矢盾もほっとした顔をする。相手は国の中枢を担っていたこともある方、その彼が重い咎めを受ける場面に遭遇するというのはあまりにショッキングだものね。


 ろくろちゃんは振っていた手でわしわしと頭を掻きながら、実に詰まらなさそうに屏風覗きをねめつけてくる。


「それにしてもお行儀のええ餓鬼ジャリ同士の喧嘩は面白くないおもんないのぉ。たまには若いもんらしく掴み合いでもすればええやろが」


 彼から渡された呪物を入れた小箱を抱えて廊下を進む中、ケンカっ早い化け傘が自分の妖怪性人生観基準で文句を付けてきた。


 猫と人。体格差的に掴み合いは無理、なんて反論は頭が悪い返答だな。つまり『もっとバチバチやれよ』と言いたいのだろう。先ほどのやり取りさえこの姉にとってはお行儀が良い部類のようだ。


轆轤ろくろ様、お戯れはほどぼどに」


 思わずといった感じに胴丸さんがやんわり諫めようとしてくれるも、上役であり師匠らしいろくろちゃんに舌打ちされるとピタリと口を閉じた。うん、ありがとう。その一言でも援護十二分です。


 それでも多少は弟子の言葉を聞き入れる気になったのか、荒く低かった声質を少し戻してどこか意地の悪い口振りに変わった。あれ? むしろ悪化した?


「兄やん。あのあん餓鬼はの、兄やんがおどれに似とるから気に入らんのや」


 その一言にしずしずと廊下を進んでいた矢盾が『は?』という顔を向ける。警護に集中しているようでいて、こっちの護衛対象の会話くらいはしっかり聞いているらしい。


 若くして仕官しスピード出世、同じ術使いで、御前に目をかけられている。というのが姉の言う共通点の根拠である。


「似て、ますでしょうか?」


 うん、胴丸さん。言ってやって言ってやって。あんなイケメンでインテリで努力家のニャンコと、ただチートズルを手に入れただけの人間が似ているわけがないのだ。


「不敬ながら―――――冷淡な方とお見受けしております。白石様とは似ていないかと」


 ―――――そういう意味では似ているのか?


 彼は屏風これを殺す謀略のために使ったひなわ嬢を、証拠隠滅のために同じく殺すつもりだったらしい。


 我欲ではない、すべては御前のため、国のためにだ。自分の欲という熱が入らないさまは残酷・冷酷ではなく、無機質・冷淡と評したほうが似合っているかもしれないな。


 ならやはり彼と屏風覗きは似ていない。こっちは1から10まで欲まみれだもの。


「似ているかもしれませんな。殺意なく、当然のような顔をして刃を突き立てに来そうです」


 この話題に矢盾が真顔で話しに入ってくる。言ってることは当たってると思うけど真正面からは失礼すぎるわ。みるく様との間は確執を表に出すと決めたけど、君はもう少し猫を被れ。さてはしおらしかったのは単に朝から気分が乗らないだけだな?


「ま、噛みついとるんは別の理由やろ。なんのことはない、あれは兄やんに玉を取られた思うて嫉妬しとるっちゅうだけやねん。青いのぉ」


 けっけっけっと笑いながらこちらの肩を叩く化け傘ちゃん。彼女はこんな感じに意地悪なところがあるのが玉に瑕だ。あと短気なのと酒癖が悪いのも。


 そこからしばらくみるく様の事で女子の話が盛り上がっていた。地力のある方だし白玉御前ボスもまだ目をかけているので、いずれは返り咲くだろうというのが御前のご母堂たるろくろちゃんの見立てであった。


 口ではなんのかんのと言っても、やっぱりろくろちゃんだって彼の事を心配している。そんな空気が漏れていることにひとり苦笑した。


 したら速攻で尻を蹴られた。解せぬ。


<実績解除 ライバル認定 3000ポイント>

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る