第231話 とある下衆の仕込み風景

 パカポコと蹄を鳴らす松に乗って山本組を後にする。見事に空振ってしまった。


 一番会いたい肝心の妖怪物人物が所属する芝居一座に稽古に行っていて、山本組の屋敷に居なかったのだ。夕焼けがかかった町の哀愁が空しい心境を増幅してなんとも言えない。


 南の町はそろそろ本来の顔を出す時刻。色と酒と賭博、そして影に潜む暴力の時間。


 逆に今日の仕事は終わりと腰を下ろす者たちもいる。舞台役者もそのひとり。


 経歴が物を言う芸の世界に新進気鋭の若い衆だけで殴りこんだ芝居一座『浦風一座』。彼らもまた今日の華やかな幕を下ろし、明日のための大道具を作り、小道具の手入れをし、おひねりを数え、帳簿に頭を悩ませ、地道な稽古に立ち戻る時間。


 彼らに貸し出されている芝居小屋は夜鳥ちゃん曰く『そこそこ』の立地であり、儲けが期待できて大御所に睨まれない程度の新参者にはちょうどいい場所らしい。


 通常なら若手たちの取り合いになって業界の大先輩あたりに仲裁され、交代制になるような良物件を彼らだけで占拠できているのは、間違いなく後ろ盾の違いだろう。


 一座のメンバーに山本さんもとの姓がある限り、本人がどう言おうと周囲は背後を気にせざる得ない。


 山本さんもと五郎座衛門。つい『やまもと』と呼んでしまいそうになる姓だが『さんもと』が正しい。実際、昔から紛らわしいと思われていたのか表記するときは『山本』の合間に『ン』を入れて『山ン本』と紹介されていたりする。


 初代の五郎座衛門は妖怪軍の大将とされているほどの大妖怪で、同格の『神野悪五郎』というこれまた妖怪の大将である大妖と脅かし合戦をしたというのが彼の妖怪ストーリーだ。

 殺し合いや謀略合戦ではなく『人を驚かせる勝負』をするというのだから、何かというと刃物を持ち出す卑しい人間よりよっぽど知的で平和的な話だ。仕掛けられた人はひたすら迷惑だったろうけど。現代で素人にドッキリなんか仕掛けたら裁判案件である。


 ちなみに余談として、脅かし合戦の標的にした人物に勝負が終わった後で直々に面会し、『神野悪五郎』がなにかしてきたら五郎座衛門うちが対処するからと勝負後のトラブルケアをするなど中々の好妖怪物好人物だったりする。


 その初代から数えて三代目の山本五郎座衛門がここにいる。襲名前の名は浦衛門うらえもんといい、この名は芸名として引き続き使っているらしい。


「軍、んー、軍ちゅうか徒党ととうやったな。どっちも人が考えるようなガチガチの軍団やなかったで?」


 化け傘ちゃんは初代五郎座衛門にこそ会ったことは無いが『山本五郎座衛門の軍』も『神野悪五郎の軍』も、どちらも見たことがあるらしい。すげえ、歴史の生き証人だ。伊達に長生きしていない。


 その頃の山本組は今のようなヤ〇ザ一家より大きな勢力で、二代目が食わせていた下っ端は軽く千単位はいたらしい。


「まあ時代が噛み合っとったんやな。気風きっぷと腕っぷしで下を従える時代やった」


 松の背で落ちていく夕焼けを眺めながら、ちょっと懐かしそうに話すろくろちゃん。生粋の武闘派である彼女にしても『噛み合っていた』時代なのだろう。


「いやいやいや、うちなんてあの頃のやんちゃな連中からすればおしとやかなもんやったで?」


 果てしなく嘘くさいが見えている地雷を掘り起こすほど愚かではない。過去の蛮行をやんちゃと言い変えるやつはエンジョイ勢かガチ勢かの二極なのだ。この子がどちらかなど考えるまでもない。


 着物に尊いガマズミの紋を頂くろくろちゃんの恩恵か、道中トラブルに見舞われることなく芝居小屋はもう目の前だ。松ちゃんから降りてまずは大いに労う。サンキュー松。


「めっちゃ嫌がられとるな」


 顔を撫でたら触るなさわんな、というようにブルルッと顔を振られてしまった。デレ期はもう終わったらしい。松の塩対応はいつも事なので悲しくなんてないが、離れに戻ったら足長様を撫でよう。


 松にこの辺に居てくれとお願いして小屋に向かう。外からでも壁の向こうから稽古中らしい数妖怪数人の声が聞こえていた。


 ただ、それに混じって何か芝居とは違う感じで『やり合っている』声も聞こえた。方向性の違いで仲間割れだろうか? あのふわっとした言い訳の実態はファンがドン引きするような醜聞だったりするけどね。


「ちょっとの間だけ置いてくれればいいんだって!」


 垂れ布を捲って覗いた舞台裏では、何やら喧々諤々とやっている浦衛門とその他の一座芸人とおぼしき妖怪たち。そしてひどくやつれて顔色の悪い女がひとり。


 鬼胡桃おにぐるみ? たしかそんな名前の山本組の組員だったはずだ。浦衛門の背後で庇われるように正座し、観念した罪人のような雰囲気でじっとしている。


 なんというか見てて居た堪れない辛い絵面だ。


「邪魔すんでぇ!」


 面食らって入るに入れなくなっている屏風覗きの後ろから、ニュッと顔を出したろくろちゃんが空気を読まない大声を張り上げた。あなた何てことを。


お前おどれから来てオタオタすんなや、やることやらんかい」


 ぐうの音も出ない。このアグレッジブパラソルにかかったら部外者が入れる空気を待つという気遣いは時間の無駄なのだろう。


 こちらに、正確にはろくろちゃんに気が付いた一同が一斉に畏まる。何気に国でも有名なVIPなんだよね、この子。


「おう鼻垂れ。ツラ貸せや」


 タイム。段階を踏もうと思ったがこの際手間を省こう。今回の話は芝居役者の浦衛門氏だけが対象ではないのだ。ちょうど彼らと剥き出しの顔を突き合せて話せる良いタイミングだ。


 悪い言い方をすると、肯定否定どんな顔も作れる役者稼業に『身構える時間』を与えずに進めたい。


 ―――しかし、先ほどの悪い空気に遭遇してしまった身としては何を言い争っていたか気になる。これから持ち掛ける話はギスギスした関係でやられても困るのだ。


 なぜかろくろちゃんが首をかしげつつ3分しか戦えない光の巨人の必殺技みたいなポーズをする中、簡単に自己紹介を済ませて『浦風一座』の一同全員に何があったのかを聞いてみた。






 鬼胡桃おにぐるみ氏は山本組を破門されたらしい。理由は屏風覗きも関わっているというか、切っ掛けは屏風これが原因だ。


 手柄を立てたいがために元組長の言いつけを破って行動したことで、彼女は『親に逆らった子』という〇クザがやっちゃいけない事をしてしまった親不孝者になったようだ。黒いカラスも親が白いと言ったら白と言い張らなきゃいけない世界の妖怪人間が。


 現組長は浦衛門氏とはいえ、依然強い影響力を持つ二代目の言葉を軽んじた罪は軽くない。それは鬼胡桃おにぐるみ氏本人が一番よく分かっていて、閉じ込められていた蔵で首を吊るという形で清算しようとまでしたらしい。


 これらの話をろくろちゃんはすでに知っていた。そんな大事になっていたなら教えてほしかったよ。


「知ってどうすんねん? 組の上下の話や、にいやんは口出せんわい」


 のこのこやってきた屏風覗きを静かに迎えるよう指示した二代目の言葉を無視して、ズラリと組員を並べてヤク〇らしく威圧した話は問題の題材でしかない。


 山本組にとって重要なのは『子が親の指示を無視した』という上下関係を揺るがす行為、その一点であり相手が誰であろうと同じ事。そこに屏風これの意見など関係ない。組と鬼胡桃おにぐるみだけが関係した内輪の話なのだ。


 返す言葉がない。無理に混ぜ返すような真似をしても誰も幸せにならない気がする。


 事情を知って、改めて鬼胡桃おにぐるみ氏を見る。彼女は首を吊ったものの仲間たちの発見が早く、一命を取り留めた。だが、組織のルールを破った者を山本組は許すわけにもいかない。


 そこで境遇を憂いた現組長が鬼胡桃おにぐるみの身柄を一時的に引き取り、三代目『山本五郎座衛門』ではなく役者の『浦衛門』のテリトリーである浦風一座ここに連れてきた。

 かなり強引だがある程度の言い訳も出来たのがよかった。逆らったのは引退した二代目の指示であって、現組長の自分に逆らったわけではないと。


 屏風覗きたちはその説明の最中にお邪魔したというわけだ。


 しかし、一座の仲間は厄介ごとのにおいがする鬼胡桃おにぐるみに拒絶反応を示してしまい、芝居小屋で匿うつもりだった浦衛門は困っていたらしい。


 浦風一座という名前から浦衛門氏が座長をしているのかと思ったら、あくまで看板役者なだけで経営にはタッチしていないらしい。責任者を名乗り出た妖怪物人物はガチケモ系の狸の経立で男性。彼がこの一座の座長を務めていた。


 座長としてもドル箱である人気役者の無理は聞いてやりたいが、今回はリスクが大きいと踏んでいるようだ。


 ある意味で鬼胡桃おにぐるみが妖怪の禁忌である約束破りをしてしまった状況だからだろう。下手に匿っていたら客が不快感を示して離れてしまうかもしれない。外聞の悪い話は隠したくてもどこかで漏れるものだ。


 途中から再び言い合い出した匿いたい浦衛門と拒絶する一座。主張はどこまでも平行線。


 そしてとうとう黙っていた鬼胡桃おにぐるみがボロボロの声で『死なせてほしい』と言い出してしまった。組に迷惑をかけ、組長に迷惑をかけ、生き恥を晒していたくないと。


 部外者に組の裁定を覆すのは無理だ。国の権力を笠に着て強権を振るっても誰も納得しない。形ばかりの赦しなど鬼胡桃おにぐるみにとっても生き地獄だろう。


「にいやん。アホな事考えてへんやろな?」


 ろくろちゃん、人間は卑しい。損得であらゆることを考える。お金の問題じゃないと言いつつ、頭のどこかでソロバンを弾いている生き物なんだ。


 ――――この場の全員を無視して、たったひとりの『死にたい女』に問いかける。


 また・・、親の言葉を無視するのか? と。


 身も心も疲れ切り、幽鬼のようだった鬼胡桃おにぐるみがギクリとした。


 浦衛門はあんたに生きていてほしい。が生きていてほしいと願うのに、あんたは死にたいのか。


 こんな事を素人に言われるほど軽いのか、あんたらの任侠は。


「なにが、言いたい?」 


 彼女の潰れた喉はまともな音を出していない。けれど屏風これには鬼胡桃おにぐるみの言いたいことが十分わかった。


 そんな彼女を追い込むような物言いしかできない。やはり人でなしはどこまで行っても人でなしだ。


 勝手に口上をおっ始めた屏風覗きに周りが困惑しているのが分かる。でも、やめるわけにはいかない。


 首吊る覚悟はあっても、それだけ・・・・か。あんたのために仲間と言い合いしてる浦衛門がかわいそうだ。そう告げると片目の女は強く唇を噛んだ。


 あんたがこうなる切っ掛けを作った屏風これに言われるのも業腹だろうな。だけど親が踏ん張ってるのにあんたは逃げるのかと、そう思ったんだ。


「てめえ! うちの胡桃姉くるみねえを侮辱したら許さねえぞ!!」


 浦衛門が激昂し、屏風これの胸倉を掴もうとしたところにろくろちゃんが無言で割って入ってくれた。


 ここだけ見ても分かるよ。たぶん鬼胡桃彼女と組長はただの親分子分だけじゃない関係なのだ。


 でなければ普段組を放り出して役者やってる放蕩者がここまで奔走するわけがない。


 ―――こんなに愛されているあんたが、死にたいなんて言うなよ。


 片目で人相の悪い大きな子分から、ガマガエルのような潰れた嗚咽が漏れた。その震える体を小さな親分が強く抱き、共に泣く。


 死にたくない、死なせたくない。契りを結んだ義理の親子は、間違いなく親子だった。


本当にっとに、アホやなぁ。どうするんやコレ?」


 調子が狂ったというように頭をかく化け傘ちゃんに、ちょっと思い出した事があると告げた。それは初めて城の離れに案内されたときの事。白雪様が冗談交じりで仰ったことがあるのだ。


 『ふたり』まで住まわせていいと。

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