第229話 出発点。金と信用の天秤を摘まむ方法

 今回通されたのは公務を行う部屋とは違う、どこか砕けた空気を感じる一室だった。感覚的には他人の家の居間が近いだろうか。砕けているけど余所者には入り辛いイメージ。さっきまでくつろいでいた家人の気配が残っている気さえする。


 畳にわずかに落ちている白い抜け毛からすると、たぶんみるく様かリリ様あたりだろうか? 立花様たち重鎮がここでお茶でも飲みながら楽しくコミュニケーションを取っているとするとほほえましいのだが。


 しかし屏風覗きの前におられるお方は先ほどから人を圧死させるような気配を放ち、猫をかまって遊んでいるようには微塵も見えない。


 最初のうちは部下の定時報告を聞く普通の気配だったのに、気付けば無音で迫りくるロードローラーの回転が目の前にあるようだ。わずかにも揺れることのない群青色のポニーテールは刀身を抜く寸前の鞘のように思えて、沈黙がひたすら恐い。


 立花様は上座でこちらの話を一通り聞いたあと、小さな溜息をついて無言で屏風覗きを手招きした。


 ビビりながらも中腰でいそいそと近づいたのち、改めて正座した屏風これの視界に間髪入れず火花が散る。


 上からゴンッという固いものが当たった音がした。まるで三キロくらいの鉄アレイを遠慮なく頭に落とされたような問答無用に痛い感触には覚えがある。立花様の拳骨だ。


 この方は刀の付喪神であるためか、あるいは鍛え上げた武士もののふの肉体であるためか、まるで鋼鉄のような拳をしていらっしゃるのだ。


 とばり殿の拳骨も十分痛いが、やはり立花様の得物は衝撃の浸透率が違う。外見は中坊くらいで手足も女の子らしく華奢なのに。これもまた『化けている』ということなのだろうな。


「おまえはそれでおめおめと逃げ帰ってきたのか。預けた国の威光をなんと心得ている」


 冒頭に肉体言語こそあったが、立花様はそこから怒鳴るでなく罵るでなく、出来の悪い生徒を諭すように淡々と屏風覗きを叱ってくださった。ただ、話の流れが失敗した下っ端へのお説教から徐々に脱線し、にわかに不穏な空気が漂いだした。


「もはや縄張りの話など関係ない。これでおまえが手を出せぬ、が手出し出来ぬと思い上がる輩が出かねんのが問題よ」


 利益よりも面子。妖怪にとって絶対に譲れない物のひとつ。それは国という規模でも例外ではない。


 国とはすなわち我らが白玉御前ボスと同義。どんな手段を用いようと絶対に守らねばならないと、忠臣は覚悟の甘い屏風下っ端を強く諭した。


「文鎮堂? 山本組? どちらであろうとどうでもよい。理があろうが益があろうが、国の意を通さぬ行いは何であろうと許されぬ。御前の慈悲によってこの国に住まわせてもらっていると忘れるならば、それは白の民ではない。異国の闖入者よ」


 ――――ならばお国お上を虚仮にした連中、残らずなで斬りにするまでだ。


 先ほどの力説から一転、ひどく平坦な声に寒気が走り無意識に喉が鳴った。


 いつのまにか乾いていた喉が奥で張り付いてうまく唾が呑み込めない。目の前にいる立花様のお姿が直視できない。


 今、この方は本当に人の姿をしているのだろうか? 揺らめくような気配は幽霊のように朧で、生者の形をしている気がしない。


 妖刀。そんな陳腐な言葉が頭に浮かんだ。


「どうしてくれようか。なあ屏風よ?」


 妖怪は義理と人情を大事にする。国の庇護の下で暮らしている自覚がありながら、その手を振り払うというのならそれは不義理。不愉快だと立花様は吐き捨てた。


 ここに座っているだけで、ただそれだけで首に刃を当てられているように恐い。何も触れていないはずの肌に金属の冷たさを感じてしまうほどに。


 ほ、報告の表現・・を間違えたかもしれない。


 これは良くない、良くない兆候だ。逃げ帰った嫌味な小物が大物に告げ口してまたやってくるみたいな王道パターンになっている? もちろんこの場合、屏風覗きが嫌味な小物ポジションであり十手氏が小物をやり込めた正義側である。


 上司の口が再び開かれ、決定的な言葉が紡がれる気配に思わずその場で強く手をついて立花様上司に『お待ちを』とお願いした。


 このままでは屏風覗きがいらんこと言ったせいで南に粛清の嵐が吹き荒れてしまう。これは違う、そんな主人公が回想する復讐ストーリーの冒頭みたいなイベント発生のために報告に来たわけではない。


 彼らは国を自分たちなりに良くしていこうとしているだけなのだ。お金の話だって別に脱税とか偽金で違法に稼ごうとしているわけではない。やや暴走気味な感はあるけれど、まだギリギリラインは越えていない。国として法に乗っ取って裁くというなら、それは踏み越えた後の話のはずだ。


 まだグレー。グレーゾーンなんです、立花様。


 何よりあのふたりは御前のお命を救った者たち。決して謀反気があるわけではないはず。商売拡大のチャンスを前に、ちょっと切る手札を間違えただけのはずだ。


 懇願して下げる下っ端の頭をどう見たのか、上司は危惧していた言葉を飲んで別の言葉を出してくれた。


「つまり、おまえが何とか治めるというのだな? 国の面目を保つ形で」


 立花という銘を持つ、恐るべき切れ味を持つ刀身の圧がじわりと強まる。もし本当に首に刃が当たっていたら、滲み出た血で首筋に赤い線が表れている頃だろう。


 これ以上ないほど下げていた頭をさらに首肯して、今少しご猶予をと付け足す。もはや畳に鼻が埋まるほど下げている屏風これの後頭部に、数秒ほど突き刺さるような視線を感じた。


「よかろう」


 緊張で止まりかけていた息がぶはぁと漏れた。


 分かっている。この方とは本来このくらい恐れた形で向き合うのが正しい。白雪様の行動に引っ張られたいつもの調子は気安すぎるのだ。こうしてお目通りをして話をすること自体、かなり異例の措置なのだろうから。


 夜鳥ちゃんやひなわ嬢の話では、たまに城勤めの妖怪町妖怪町人から『うまいこと取り入った坊主』とか『太鼓持ち』とか『成り上がり』とか陰口を囁かれているらしい。言われていることはあながち間違っていないので反応に困る。特に前々から仕えていた妖怪は気に食わないだろう。


 それでも好意的に向き合ってくれる相手もいるのだ、同じくらいマイナスに見る相手がいてもいい。


「他にあるか? 無いのであればこれまでとする」


 おっと弛緩していたせいで忘れていた。纏まったポイントを得ることができた事を伝えると立花様はわずかに眉を寄せ、下界に行ったのかと強めに詰問されてしまった。もちろん嘘偽りなく実績解除による物なので違いますと言える。そもそもこの方に嘘や誤魔化しが通じない事くらいは愚鈍な屏風覗きにも分かる。


「分かっているだろうが、おまえがぽいんとを得られる事はしてしておけよ」


 立花様が懐から取り出した木札は御前の力で作られたものらしく、ポイントの受け渡しが出来る。我らの白玉御前ボスは同じような木札を国中にばら撒いており、運よくポイントを手に入れた者は国に献上することで相応の褒美が貰えるのだ。


 そうした人海戦術で集めたポイントを使って白玉御前は幽世のルール外から利益を生み出し、国を大きくしていったと思われる。


 なんの取柄もない人間偽妖怪が白ノ国に好待遇で迎えてもらえたのも、このポイントという謎の力を『下界踏破』で堅実に取得できる事が大きい。今回のポイントは実績解除分なので堅実側の力ではないけどね。


 許可を貰って袖の中からスマホっぽいものを取り出したとき、立花様から待ったが掛かった。どのような操作をするのかを聞かれたので相手に見えやすいよう、こちらにスマホっぽいものの頭が向く形で畳に置いて操作する。畳で滑ってツルツル動くから、片手だとやりずらいな。


<大将にポイントを譲渡しまちゅか? YE巣/濃>


 最後にポイント譲渡の決定をタップすると、立花様が持っていた木札からジュッという音と共に焦げ臭いにおいがした。木札は焼き印式の使い捨て。受け取った場合は『了』の字が現れる。ちなみに渡したポイントは表記されない仕様だ。


「まるでわからん。して屏風、これはいくらだ?」


 機械ボタン式をすっとばしてタッチパネルでは困惑するもの無理はない。屏風覗きもガラケーから初めてスマホになったときは操作に難儀したものだ。


 今回取得した7割、3万と1500です。そう告げると上司はまじまじと木札を見たあと、何故か咳払いをして『良くようやった』と労ってくださった。





 退室した廊下で待ってくれていた猫ちゃんの尻尾に付いていく。


 スマホっぽいものを操作して見せたのはやり過ぎだったか? 信用を得たいがために安易な方法に走ってしまったかもしれない。南の話で評価を下げられたのは確実だからつい飛びついてしまった。


 今のところこの板っ切れを扱えるのは屏風覗きだけだ。だが今後もそうとは限らない。人材としての価値が下がり他者が使用できる方法が見つかれば、国によってあっさり取り上げられてしまうかもしれない。


 それでも信用を得るためだ、まずは一歩。


 猜疑心ばかりでは向こうにも不審が伝わってしまうだろう。そろそろこっちからも踏み込む必要があると考えた。


 信用。積み上げるのは一生、失うのは一瞬の宝物。


 人は生まれながらに賽の河原にいるのかもしれない。この因果な石積みを続けなければ真っ当に生きていけないのだ。特に義理人情、何より約束を重んじる妖怪の世界では、人間社会でしばしば行われる利益優先主義は許されない。


 ――――信用、信用か。


 利を示されれば人は黙る。知り合いに1万騙し取られたとして、それが声を上げた途端に10万になって帰ってきたらそれでも相手を訴えるだろうか?


 たぶん信用こそ消えるが10万を貰って黙る人が少なくないだろう。訴える手間もあるし。それが人間、そして人間社会だ。


 行動した結果の利益が下回れば、人間の世界は犯罪の罪さえ問わないことがあるのだ。


 屏風覗きの名を貰い妖怪を名乗っても、結局これ・・はただの人間だ。妖怪の社会に入り込んでも人間社会の常識が染みついていて、どうしても考え方が偏っていた気がする。


 ここは幽世。妖怪ばかりが住む世界であると忘れていた。


 まだつけ入るスキはある。

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