第226話 『紐付き』の十手
再び合流した夜鳥ちゃんを加えて指定された屋台に向かう。
すでに二杯飲んでいるにもかかわらず、もう一杯としつこい酔っ払いの脇腹を
「つまり、我らが気付かぬうちに別の形で町が掌握されているかもしれないと?」
合流した夜鳥ちゃんに屏風覗きの推測を伝えると、彼女は深刻な顔で口元に手をやった。
まだ推測段階の話で確証はないと念を押す。こんな不確定な事をペラペラ話すべきじゃないのは分かっているのだが、どうも一手二手とこちらの手番が抜かされてる気がしてならない。小細工に走りたくもなる。
まあ考えすぎという気はする。両替商として金や物の流れが分かる文鎮堂あたりが何か感づいていてもおかしくないはずだ。あの緑髪の曲者にリアクションが無いとなると杞憂かもしれない。
――――ふたつが結託していなければ。
南の権力闘争の話が持ち込まれた時、勢力の合流は真っ先に考えた事だ。
だが思考が浅かったと言わざるえない。最大勢力同士の合流ばかり危惧していたが、賭場の山本組と両替商の文鎮堂は
水月屋のみずくを守る事を優先的に考えてしまい、町の盤面を戦力という額面通りに判断してしまったのが失敗だ。
町は駒の上限の決まった将棋盤じゃない。盤の外にいくらでも追加の駒は作れるし、そもそも支配しているルールが違う場合さえあるのに。
南の最大勢力同士であり賭場を巡る縄張り争いで潜在的に敵対している両者が合流するより、文鎮堂と飲み屋連盟のような
資金の文鎮、人手の飲み屋。金や物資の融通も半ヤク〇よりずっとスムーズだろう。どうせ手を取るなら誰だって表側だ。この白ノ国でダーティな商売は本当にワリに合わないのだから。
思えばあの夜の勧誘は本当に勧誘だったのかもしれない。急に嗅ぎまわり出した
いやまあ推測でしかないのだけど。
まずはこれから面会する十手八丁氏からどんな話が出るか、どんな印象を受けるかだ。
その屋台は南の中周りから外周にほど近い、火災被害で片づけられたまま空白地帯になっている家屋跡にポツンとあった。
周囲は真空でもあるように人気が無く、屋台からうっすら出ている湯気が無ければ時間が止まっているんじゃないかと思えるほど動く物が無い。
なびく事無く下げられた青い暖簾の向こうにはひとり、町人姿の男性と思わしき影が座っていた。
「嫌な気配だ。旦那、殺しも
具体的に言葉にできない不穏な気配にきな臭いものを感じたのか、ひなわ嬢が手にしていた火縄銃の布をスルリと取る。申し合わせたように胴丸さんも足腰の踏ん張りを確認している。
歴戦の戦士たちが『何か』感じているということは、この面会は
「警戒されるのは良いですが、お二人とも屏風様が侮られるような態度はお控えください。身構えすぎては民草に笑われます」
ホント冗談じゃないけど首を突っ込んだのは他ならぬ己自身だ。ツッパるべきところはツッパるしかない。
小さく息を吐いたあと、
国という後ろ盾に護衛までつけて、己はどこに立っていると誇れるだろう。
うちのおっかない
ならこれがしたいことだ。面と向かってみようじゃないか。
「頭の病気でも貰いましたかい? まあ、なんだ、ご自由にどうぞ。こいつらは抑えときますんで」
なんかごめん。追いかけてこようとしたふたりをひなわ嬢が止めてくれている。損な役回りをさせてしまった。
こちらのやり取りに気が付いているだろうに、暖簾を捲って覗こうともしてこない。その余裕のある人影が憎らしい。
下から見えている足腰の感じは中年男性といった体格だ。守衛ののっぺらぼう氏よりもう一回り上くらいだろうか。どっしりと落ち着いている姿は良い年齢を重ねた大人の雰囲気がある気がした。
暖簾をくぐってやっと見れた彼の姿に目を見開く。そこにいたのは
「空いてやすよ、
十手八丁、貴方だったか。
紫の月に狂った町で逃げた暗殺者を捕縛してくれたひとり。あの時の男性が驚くこちらを見ることもなく、とっくりからおちょこに酒を注いでいた。
やや混乱気味な思考を静めて相手の右側に座る。屋台の主人の姿は無く、夏場の昼間だというのに熱々の煮物が湯気を上げているだけだった。おでんかコレ? すごく味噌のにおいがする。
「こいつは尾張の煮物ですよ。江戸じゃ味噌田楽くらいが馴染みでしょうかね」
いや江戸は知らんけど。確か名古屋のほうに味噌おでんってのがあったか。尾張=名古屋なのかな?
主人は席を外してるんで好きに取って下せえ、そういって皿を渡してくる十手氏。完全にペースを取られてしまった感がある。やたら腰の強い中間管理職にいるんだよなぁ、こういう人。下手に逃げても踏み込んでも打ち負ける、流れに乗るしかないな。
赤味噌ベースの汁が煮える地獄のような色合いの中から、味噌に染まりに染まった大根とこんにゃくを取る。具材に纏わりつく汁の粘度が屏風覗きの知ってるおでんと違うッ。
再び座ったところで流れるようにおちょこを渡され、ちょろりと一献注がれてしまった。間合いの
注がれて飲まないわけにもいかず口をつける。清酒、ミドルクラスの中間層くらい。庶民でも十分手が届く範囲の良酒の味がした。
「夏はさすがに冷ですがね、ぬる燗くらいがあっしの好みでさ」
酒も人も、ぬるいくらいが付き合いやすい。
ポツリと呟いた男は懐から一枚の割符を出してこちらに滑らせてきた。木製の符は渦を巻くような複雑な形に切断されていて、青色の珍しい色で描かれた印は何を描いたのかは分からない。
「五百です。いかかでしょう、うちらについちゃくれませんか?」
こんにゃくもそうだったが、クセのある味噌をたっぷりと吸った大根は特に味が濃いな。それに赤味噌だけじゃない、別の味もする。魚と豆? べったりした印象そのままのようでいて味の奥に隠し玉が見え隠れしているな。ストライクゾーンが変な方向に広くて狭い味だ。
事情がさっぱりの中で意味深な割符を出されても反応しようがない。まずは前々から引っかかっていた話をしよう。
あの時は本当に助かりました。助力に感謝します。誰かが応えてくれなければ八方塞がりだった。
「はは。いや、あっしも白ノ国に拾われたようなもんですんで」
ちょっと面食らったような顔をして十手氏は頭を掻いた。
―――――――――目線や仕草に嘘は無いように見える。
そんな調子で水を向けると十手氏は自分でもおでんを取って皿に玉子とはんぺん、焼き豆腐とちくわを並べた。
合間に
要約すると彼の言い分は
頭の上に
金持ちも貧乏人も真っ当に稼いでいける社会。そこに暴力は必要ないと。
その主導的立場に文鎮堂を据えて。
「
――――確認したいことがある。なに、別に変な事じゃない。ただの好奇心だ。
あんたはまるで砂鉄を集めるようにカタギの店を吸い寄せて、それをポンと他所に渡してしまうのか? それで店の連中がどう思うかは考えないのか?
たとえ、最初から
文鎮堂の
「暮らしが今より良くなるなら笑って許してくれやすよ。この国だって、そうして生まれたんじゃありやせんか」
――――ご高説どうも。お代はこれで足りるかな。
古いものを壊して前より良いものを。極めて合理的で正しい話だった。
そこに義理が無いだけで。
勝敗は決した。決していた。この話を覆すには手札が足りない、どんな形に持っていっても文鎮堂の勝利は揺るがないだろう。強権で結末を歪めても国に不満が出るだけだ。
介入する時期が遅すぎた。
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