第224話 椿屋の後家さんは白粉上手
三者三様の妖怪たちを連れだって訪れた椿屋は、前に来た時よりどこか見すぼらしい印象を受けた。
娼館の営業時間である夜間であるならば、まだ闇というカーテンが覆い隠してくれるのだろうか? 建物の傷や壁のくすみ、鳥のフンの後など爛れた夢から現実に引き戻してしまう空しい細部が見えている気がしてならない。
いや、前に来た時も日中だったか。あのときは建物全体から『労働時間外』な感じの気の抜けた雰囲気こそしたが、見すぼらしいというイメージは湧かなかった。
「御覧の通り、過去の威光も今は昔。碌に術者も雇えず、聞き耳避けの簡単な結界も張れぬ有様です」
浅葱色の袖を優雅にヒラリと振りつつ、椿屋の具体的な窮状を話す夜鳥ちゃん。以前はもっと高度な結界、城やきつねやなどの特別な場所には及ばないが、それでも強力な物を張り巡らせていたはずだった。
ここを根城にしていた牡丹女郎は南の裏街道を仕切っていた黒い女傑。己が過去にしてきたこと相応に身の危険を感じて防御を固めていたのだろう。
だが牡丹が失脚し後釜のいなくなった椿屋は、なぜか敵対的な周囲からも店内の日和見の身内からも、まるで腫物のように放置されていたらしい。
普通、こういうおっかない組織の権力交代劇の幕の中では、店を見限った店員の夜逃げや持ち逃げ、待ってましたとばかりに外野の略奪や報復の嵐が吹き荒れるものなのだが。
幽世の妖怪はヤク〇者でもお行儀が良いのだろうか? いや、無いな。いくら妖怪でも完全に素人さんと棲み分けできていたらビックリである。
「旦那。あれだ、
店の前に着いたというのに一向に足を進めず、ひとり訝しんでいたこちらの考えに察しがついたのだろう。見るものを挑発するような朱色の布を巻いた火縄銃をクイッと持ち上げ、あれだと椿屋の屋根をひなわ嬢が指し示す。
―――――あ、ヤベ。出した
いくつかの屋根瓦から突き出ている、不自然に白く輝く
うわぁ、やっちまった。感情的になると色々ポンポン抜けるのは
「ご明察。かように屏風様のご威光がありますれば、どれだけ落ち目でも怖くて近寄れないというわけです」
別に
しかしそんな弁明はもう無意味か。こちらの意志に関係なく、南の
コレどうすべえ。一応聞いてから解除しようか、厄除けっぽくなってるようだし。
「では先陣を切らせていただきますっ」
はい、ステイステイ胴丸さん。屏風覗きが歩き出す気配を感じて『護衛の出番』とばかりに、胸元で拳を突き合せた胴丸さんが太い三つ編みを揺らして前に出てきた。
手でTの字を作ってタイムを宣言。これは話し合い、戦いに行くんじゃないんだから。そんな鼻息荒く入ったら向こうも身構えるでしょう? 幽世ではどうしてこう『まずは殴ろう』という思考が蔓延しているのか。
タイム? とオウム返しされてしまったがひとまず止まってくれたので、店に入る順番を考えてみる。我々は日頃の垢を落としにいかがわしいお店に繰り出した若者じゃないのだ、格安ツアーの団体客みたいにゾロゾロ入るのは如何なものか。
この場合、まず先触れ役もした夜鳥ちゃんが先頭として順当かな。ひなわ嬢は後ろで警戒しててくれるとありがたい。話し合いとはいえ向こうも鼻息の荒いヤツはいそうだし。胴丸さんは夜鳥ちゃんを守る位置がいい。
「それは困ります。この鎧の命じられた役割は屏風様を守ることですっ」
困った、気弱そうなのに思ったより頑固だこの子。鼻息がフンスフンスと聞こえそうなほど意気込んでいらっしゃる。そのやる気が今は困るんですと遠回しに言っても理解してくれない。
そろそろ一言くらい援護射撃がほしいところなのに、ふたりいる味方はどっちも助けようという気がないようだ。
誰の目も気にせず後ろで大きなあくびをするひなわ嬢は『どっちでもいいからさっさと行けよ』といった感じで放置。夜鳥ちゃんは『待てというならいくらでも』と言うように、これまた傍観の構え。
言い募ってもこんにゃくを掴むみたいなとっかかりの無さ。なんか面倒くさくなって先陣を切ることにする。考えてみたらこの中で椿屋に用があるのは屏風覗きだけなのだ。他の子たちはあくまで付き添いである、文句を言う権利は初めから無かったのだ。
用があるヤツが先に行く。用のあるヤツが率先して動く。何もおかしいことはない。
夜鳥ちゃんと胴丸さんから『お待ちを』と静止されたがそのまま進む。埒が明かないなら動くのみだ。これが別行動中のちっちゃい守衛さんなら、とっくに屏風覗きの重い尻を叩いている頃だろう。
あの子が長い一本下駄の上で凛々しく仁王立ちする姿を思い出したせいか、つい気が大きくなって『頼もう』なんて口走ってしまう。脳が憧れの時代劇に毒されている気がしないでもないが、今回はこういう物言いができる数少ないシチュエーションだろうし一回くらい堪能させてもらおう。
「お待ちしておりました。手前は椿屋を預かっております、『後家女郎』と申します」
後から勿体つけて部屋に入ってきた牡丹の時と違い、通された一室には最初から相手が平伏して待っていた。もちろん過去に悶着を起こした部屋とは別室である。キューブで襖どころか壁や天井、柱までスパッちゃったからね。やった本人が言うのもなんだけど、あれを直すのは大変だと思う。
平伏している女主人の印象として、まずうなじまで塗られた白粉、次いで顔を上げたとき鮮やかな朱を浮かせた口紅が目に入った。
後家さんというと伴侶に先立たれた女性の事なわけだが、後家女郎氏もそうなのだろうか。あるいはそういうイメージ作りのための源氏名かもしれない。
実際に彼女の見た目は30代くらいで、後家さんと言われると納得できる大人の色香がある。幽世で見てきた外見年齢層ではマイノリティの部類だ。妖怪はどんな年長者でもやたら
互いの挨拶を終えて、まずは相手の話を聞いてみる。
こちらが要求を上から伝えるだけと思っていたのか、後家女郎は少し戸惑ったようだがすぐ自分たちの窮状を訴えてきた。トロンとした目つきのおば、お姉さんだがそこは客商売。チャンスを嗅ぎ分ける嗅覚は優れているようだ。
内容も意外とまともで『牡丹の事はこちらも終わった事として考えている』『牡丹の手下だった者も国からお叱りを受けなかった者しか残っていない』『真っ当な仕事をするので、もう勘弁してほしい』というものだった。
牡丹女郎の勢力による金毛様たちの密入国の件は、総合的な国益のために『無かった事』になっている。つまり手引きした彼らもそのままでは罪には問えない。
しかしそこは叩けばいくらでも埃の出る連中。裏切られた金毛様の報復混じりの密告で別件が次々と持ち上がり、国の兵士が椿屋に押し寄せてきたそうな。
予め身を守るために連中の事を調べ上げて
ただ、どんな謀略も後さき考えない発作的な暴力には意外と無力なことがある。虫みたいな思考回路の相手に人質や社会的な脅迫とか意味がなかったりするから、どんな策士でもアクシデントは尽きないのだ。
屏風覗きは
兵士が踏み込むより数日前、肝心の牡丹は落ちぶれた裏社会の権力者らしく他勢力によって粛清された後だったようだ。
そしてほとんどの利権が他勢力(文鎮堂と山本組と水月屋、らしい。未確認)に毟られた後、牡丹個人が残したわずかな隠し財産の扱いで揉め始めていた残党もまた、目を血走らせて踏み込んできた兵士たちによって芋づる式に捕まる事となった。
この国で白玉御前に不利益を被らせて得られる利益など、危険度に対して本当にワリに合わないだろうに。実に馬鹿な連中である。
多少は賢い者たちは早い段階で逃げ散ったらしいが、これもほとんどが捕まっている。捕まっていないのは捕縛中にうっかり殺してしまったヤツくらいらしい。兵士たちの『御前に唾を吐いたヤツは殺してでも逃がさない』という鉄の意志を感じる。怖い。
まあ相手は死に物狂いで抵抗してくるのだ、加減してられないというのもあるだろう。何せこの国では一定以上に重い罪に対しての刑罰はすべて極刑となっている。島流しとか牢屋で懲役刑とか重罪人を『長く生かす』刑罰は存在しないのだ。捕まる=死。そりゃ必死にもなるだろうよ。
「つまり、おまえさんが南の裏路地でお山の大将をする気は無いってことかい?」
哀れっぽい女主人の長々とした口上に飽きたのか、まだ続いていた後家女郎の話に割って入ってきたひなわ嬢が内容を纏めにかかる。
この割り込みにわずかに嫌そうな気配を出した後任の女主人は、それでも表情は動かさず『へえ、その通りです』と首肯した。どこかの関節が鳴ったようなピキピキという音が聞こえた気がしたが気のせいだろう。さっきまで無かった白粉の粉が畳にわずかに散っているけど。
はて、左官という言葉を思い出したのはなぜだろう?
要約すると椿屋は勢力としてまだ数えられはしているが実力は無い。残っているのは数だけ。けれど数にしても牡丹とは無関係に表の商売に使われていただけのカタギか、本当に末端の関係の薄いチンピラ程度。
町の仕切りをしたくとも『金と人材の枯渇でお話にならない』というのが実情。現実に店を直せないほど
椿屋の望みは残った者たちと肩を寄せ合い一介の娼館として残る事。他の勢力から理不尽に潰されないよう守ってほしいというものだった。南町の経済レースに覇を唱えるなど最初から考えていないらしい。
「ここには
後家女郎に店の前まで見送られ椿屋を後にする。下の者に徹底させていたのか、初めに主人と繋ぎをした案内役以外は気配こそしたが息を殺すようにして誰も出てこなかった。
前は外で練習中らしい三味線の音など壁の向こうから聞こえてきたのに。今日はひっそりとしたものである。
ここでみずく花月と夜鳥ちゃん、そして屏風覗きで金毛様と茜丸の奪還作戦を練った時間がウソのようだ。
かつて悪党の根城だったこの店は、今や単なる人員整理を終えた潰れかけの娼館になっていた。盛物必衰とはまさにこの事だろう。
よもや店の転落のきっかけを作った
さて、なんとも中途半端な時間に終わってしまった。お昼には早すぎるし、このまま休憩は入れずに飲み屋連盟の下に向かおうか。
「なら軽くひっかけましょうや。向こうさんだって前倒しで来るとなったら大変だ、お上なら腰の重さも時には必要ってもんですぜ?」
物は言いようだ。さては君が飲みたいだけだろう? 名前ばかりとはいえ国の名代を預かった身として一理あるとは思うけど、だからと言って迎え酒はお勧めしないぞ鉄砲娘。
まあまあと言って強い力でこちらの腰を押すひなわ嬢に根負けし、情報収集込みならと考え直す。それまでやる気ゼロだった彼女は途端に元気よく前を練り歩き出した。
「見回りはアレで勤まるのでしょうか。守衛では考えられません」
胴丸さんはこの中でひなわ嬢と一番接点が薄いらしく、態度が露骨に余所余所しい。
ほんの一月そこらの屏風覗きのほうが長く幽世にいる彼女よりも、ずっとひなわ嬢と付き合いがあると言うだから縁とは不思議なものだ。
まあアレです、彼女は要所要所で活躍する
「はあ、アレで大丈夫でしょうか?」
やはりお酒が残っているのだろう、何も無いところで急に蹴っ躓いたひなわ嬢。それを鎧の付喪神は呆れた様子で見ていた。
「屏風様、少し椿屋に用を思い出しました。小半時(約30分)ほどお時間を頂きたく」
いつの間にか最後尾になっていた夜鳥ちゃんが申し訳なさそうに頭を下げてくる。どうせ時間はあるのだし一緒に戻ろうかと提案したが、やんわり断られてしまった。
「椿屋に知り合いを見かけまして。不義理にも水月屋から鞍替えした輩ですが、それをネタに何かしら後家女郎の話に裏が無いかなど、こっそりと聞けるやもしれません」
屏風様が同席されては委縮するでしょうから。そう言うと浅葱色の雀はクルリと踵を返し、勝手知ったるというように椿屋の戸口へと音も無く消えた。
――――そういえば夜鳥ちゃんがきつねやで広げた勢力図の紙から香ったにおい、あれは椿屋で嗅いだ
何がどうという訳ではない。ただ少し、気になった。
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