第15話 とにかく白飯で腹を満たすのが江戸っ子の食生活

「残しちゃダメですからねー。命に感謝しましょうねー」


 主にごはんがボリューミーな夕食に奮戦している最中、立花様が来訪された。先ほどのやり取りを考えるに今日はもう用はないはずなので別件と予想される。案の定、入室した立花様の視線は『仲居さん?』に一直線に向けられていた。


「立花様ー、白雪に何か御用ですかー?」


 今回の食事のMVPは醤油。強いはずの塩気を辛く感じさせない奥深い旨みと味わい、香りの膨らみも只事ではない。

 スーパーで売ってるお徳用を特売で買うような輩が醤油の何を語るのかと言われそうだが、本当においしいからしかたない。


 この醤油に比べたら今まで使っていた醤油は黒い塩水だ。それで平気なバカ舌なので普段使いなら一向にかまわないけど。贅沢はたまにが一番だ。


「白雪様、その、御前がお呼びでございます」


 刺身は食べたことがない種類で正直比較対象がこれまでの人生に無く、高いのか美味しいのかよくわからない。


 透き通る白身は絵皿の模様が見えるほどの透明度で素人目にも新鮮には見える。これだけの鮮度を維持できる技術が気になるところだ。


 ところで寄生虫とか平気なのでしょうか? 夜中に腹を押さえてのたうち回るとかは勘弁して頂きたい。


「えー? 今日はもうお呼びは無いんじゃないかなー、勘違いじゃないかなー」


 鍋は小さいながらも具の要点を押さえた隙の無い陣営。白菜、しいたけ、人参、豆腐、エビ、タラの切り身。タラもそうだが特に足の速いエビが入るあたり、やはり海が近いか。


 それぞれ理想的な味の染み具合からして、沢山の量を調理したあと鍋ごとに取り分けたものだろう。力士部屋のちゃんこが美味しいのは量が多いからと聞くし、一度に大量に作れる設備がある店舗は強いな。


「このような所に来られてはなりません」


 茶碗蒸しの卵の味が実に濃い。熱く蒸された出汁の風味が一口ごとに鼻を抜けていく。定番の赤が鮮やかなエビ以上に、翡翠色に慎ましく鎮座する銀杏がふくよかで愛らしい。


 赤、黄、緑を包む光沢ある黒い器が高級感を感じさせてよりお高い味に思える。


 なお白雪様いわく日本の茶碗蒸しは元禄の時代にはあったという話で、わりと歴史がある料理らしい。


 子供のころは和製の残念プリンみたいなものかと思っていた。甘くないので子供にはコレジャナイ感というか、裏切られた感があったのを覚えている。

 

 って日本知ってるんかーい、聞きたいこと山と出来ちまったわーい。でもめんどくさいから今日は聞かなーい。


 ああ、食い過ぎで味わう余裕が無くなってくると器とか歴史とか、余計なことに注意がいくなぁ。


「これがお仕事ですよー? おかまいなくー」


 やはり白雪様は偉い人のようだ。日常に退屈して暇つぶしの一環に仲居の真似事でもしているのだろうか。ここが身分社会だとするとかなり破天荒な人物だ。


 ただ双方の立場に上下があれど、どこか信頼を担保にした気安い雰囲気も感じる。立花様は白雪様の教育係あたりでもしているのか? いわゆる『じい』ってヤツ。女性だと何て言うのだろう。乳母?


 その後ものらりくらりとはぐらかす白雪様と渋い顔で諫める立花様のやり取りは食事が終わるまで続いた。


 ようやく白飯を食べ切ったときしゃもじを持った白雪様がおかわりを受けようと手を出してこられたのでやんわりお断わりする。


 お構いなしにガッと茶碗をもぎ取ろうとしたので本気で抵抗した。食えねぇって言ってんだろッ、炭水化物三杯だぞ。次に鍋へごはんを突っ込もうとしたので体を被せて防いだ。


 シメも入らないもう無理食えないゆるして。


「こちらは我が持っていきますので、どうか」


 胃から諸々出そうなこちらを置いて、お茶を淹れますと立ち上がった白雪様が膳に手を伸ばすと立花様が再び諫め始める。片づけまで揉めるのか。

 強引にすべての膳を取り上げようとした立花様が器をひっくり返しそうになり、それを白雪様が支えることでなんとかぶちまけずに済んだ。


 やらかした雰囲気に気圧されてその後は膳を白雪様、お櫃(ひつ)を立花様が持つ形で落ち着いたらしい。群青に近い黒髪ポニテがとても無念そうに垂れている。


「はいお客さまは座っててー」


 なんというか偉い人を働かせている状態が申し訳なくて、つい片づけを手伝おうかと思い腰を浮かせた瞬間に両肩を掴まれ座らされる。


 頭に四段の膳を乗せてバランスを崩さない白雪様の手は驚くほど力強い。客が仕事を取るなど店にとってはあってはならない醜態。おとなしく止めておく。時にこの権力者、曲芸の心得を持っていらっしゃる?


「それではお休みなさいませー」


「夜分失礼した」


 その後、しっかりお茶まで淹れて頂いた。お茶を飲む間も立花様が無言で居座るので熱いお茶を急いで飲んだ。


 せっかくのお茶もこの雰囲気では香りなんて分からない。終始笑顔の白雪様と仏頂面の立花様、このやり取りに付き合うのが宿賃というなら黙って受け入れるしかない。


 去り際、両手でヒラヒラお別れしてくれる白雪様と一瞥も無い立花様の落差よ。そういえば歯を磨きたいのだけど狐から購入した道具はもう無い。


 とばり殿はどこまで行ったのだろう、今日はもう直帰してしまったのかもしれない。疲労に満腹、もう起きてられない。

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