第11話 正座した人の足を触りたくなる病気はないが、触りたい気持ちは分かる

  助かったということでいいのだろうか。


 曖昧な話だが横から強烈な衝撃を受けて天地がひっくり返り、さらに湯の上を水切りの石みたいに吹っ飛んで、それでも足らずに石の床を滑って、最後は竹で編まれた囲いにぶち当たったのだ。こんがらがる頭を抱えてしばらく伸びていたこともあって判断しかねるのはしかたないと思う。


 石材製の床を転げまわって擦り傷ひとつ無く済んだ理由は、人ひとり分の幅で通過した床が研磨されたようにツルツルに削げた様から何故かは分かる。<自動防御>様大活躍である。


 湯気の向こうからすすり泣く声が響いてきたあたりで『山伏っこ?』が現れ、こちらを見てしかめっ面をしたのち元脱衣所のあたりを探って浴衣を放ってくれたのでありがたく羽織る。フリーダムチン終了。辺りは手当たり次第に掘削でもしたのかというくらいメチャクチャになっていた。


「不ら、恰好を整えたらついてこられよ」


 今不埒ものって言おうとしたろ。こちらの礼を遮って『山伏っ子?』は本陣、きつねやについてこいと言う。助けてもらえたのだし着いていくのはかまわないが荷物は回収したい。そう言うや、こちらをひょいと片手で担いだ。子供の容姿でありながらとんでもない剛力の持ち主らしい。

 大人が子供に俵みたいに担がれてしまっては恥ずかしいと訴えたが急ぎまするの一言である。


「荷物は後に願う。御前がお待ちでありますので」


 有無を言わさぬつもりらしい。カカッと下駄の音が聞こえた瞬間、視界がありえない速度で急激に引いた。遠のいていくきつねの隠れ宿。すすり泣きも数舜で聞こえなくなった。


 かわいそう、そんな気持がつい込み上げて目を伏せる。


 害意を向けられてもひとりで対処できたなら哀れに思ってもいいだろう。だがこの子やこの子を遣わせた主人に助けてもらったのだ、何もできなかった輩が狐の処遇にどうこう口を出すのはおまえ何様って話である。そもそも忠告されたうえでこのザマでは一言も述べる資格はない。


 門前で急ブレーキをかけ疾走を止めた『山伏っ子?』は恭しく礼をしたのち歩いて門を潜った。こちらは担がれたままなので入ったと言うより殴り倒された下手人の連行のようである。


 門の前のかがり火も大きかったが中もあちこちに明かりが灯っている。色紙を使った色彩豊かな行灯群はさながらお祭りのよう。燃え上がるかがり火から上がる白、自身の炎でより白く見える煙と舞い上がる火の粉も不思議と気持ちを楽にした。


 きつねやに連行されてすぐその御前様という方に目通りかと思ったが、まず薬品臭いところに通され足いっぱいに湿布めいた軟膏を塗布した茶色いろう紙?と、正体不明の葉っぱをベタベタと貼られまくった。

 担がれた体勢で頭は後ろ、足が前になっていた関係で『山伏っ子?』にはこちらの足がひどい状態ということが分かったのだろう。上役の許可を取って治療を優先してくれたらしい。口はアレな子だがやはり気立ては優しいようだ。重ね重ねのご厚意に感謝仕切れない。


 目通りに通された非常に広い一室。部屋は立派な畳敷きで豪華な行灯がいくつも灯され、油が良いのかひとつひとつが妙に明るい。そこで正座平伏の状態で待つ。


「痛くとも足は崩さぬよう」


 『山伏っ子?』は部屋に通す前、ものすごい眼力を込めてそう忠告したのち部屋の廊下に同じく平伏した。軟膏のネチャネチャ具合につい足を蠢かせると後ろから異様な圧、愚鈍でも分かる猛禽のような気配がするので恐い。


「階位参位参権女白玉の前様――」


 先ほどまで誰も居なかった奥の間の左から凛とした女性の声が上がった。『山伏っ子?』の声ではない。さらに正面の他より一段高い場にある、たしか御簾みすと言う偉い人を直視しないためとかに使われる和製カーテン?みたいなものが下がった囲い中から、チリンと鈴の音が布ずれの音と一緒にわずかに聞こえた。


 平伏して目先の畳だけを見つめていると耳に聞こえる音がいつもより良く聞こえる気がする。


 と、女性の声が急に中断される。ここから滔々と御出座ーとかおなーりー続くのかと思っていたので若干モヤッとくる。歌のフレーズとか区切りいい所まで聞けないと座りが悪い感じがするあの微妙な感覚。


「お客人、御前のお言葉である。辛かろう、足を崩されるといい。との事」


 どうやら一番偉い人がこちらの不調を見て取って寛容にも気遣いをしていて頂けたらしい。次いで面を上げられよともお許しが出た。素直に顔を上げるべきか一度は遠慮すべきか、だが逡巡する間も無く足にきたした異常で顔を跳ね上げてしまう。今誰か足突いた、絶対誰か突いたぞッ。


 左に控えていた『女侍?』がこちらの醜態に眉を顰めるのが見えた。先ほどから対応してくれているのはこの人物のようだ。


 紋付き袴に不釣り合いな中坊上がりたてのような幼い顔つき、後ろで結った髪はテンプレなポニテでますます中高生っぽい。ただ眼光はとても鋭く、腰に下げた二本刺しは素人見立てでも分かる異様な空気を纏っている。特に太刀の握りは特徴的で用途不明の隙間が印象に残った。


 いくら向こうが面を上げろと言ったとはいえ、こうも勢いよく顔を跳ね上げては怪訝な表情を浮かべるのも無理はない。『女侍?』に無礼者と言われることを懸念して取り繕うべく手早く礼を述べる。御簾の向こうの影か震えるのが見えていよいよ生きた心地がしない。


 影が震えるのに合わせチリンチリンと鈴が鳴る。改めて聞いた鈴の音は少し音が悪いなと思った。

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