第10話 別視点。『山伏っ子?』階位四拾壱位 木っ端天狗とばり

 きつねや守衛、階位四拾壱位カラスの化生とばりは走りながらも焦ってはいなかった。迷いの結界で括られた石灯籠は夜に限り道順通りに進まなければ一歩たりとも先へ進めない。昼は翼でひとっ飛び出来る距離を歯がゆく思ってもいない。


 俗に木っ端と呼ばれる、下位とはいえ天狗に類する妖怪でありながらとばりは飛翔の術が使えない。人化を解きカラスに戻れば飛べるが今は夜。人の目のほうがまだ夜目がきくし、何より危険と分かっている場所に飛び込む可能性を思えば脆い鳥の体で挑むのは躊躇われる。


 だから走る。石畳を踏み抜く勢いで一本歯の下駄を叩きつけ、地面と顎が付きかねないほどの前傾姿勢で加速する。術理は不得手だが身体を練り上げる内丹術は殊の外得意だった。


 石灯籠の結界と竹林を終えてようやく外が把握できる場所に差し掛かったとき、とばりは湯気と共に空へ巻き上がる大量の湯とそこに込められた殺気を見た。もはや猶予はないと見るや吸い上げた息吹を糧に、瞬きほどの時間で心の臓から血液を何重と押し出し気を高め今度こそ石畳を蹴り割って跳躍する。


【豪風の術】


 とばりが習得している数少ない術のひとつを湯舟で丸裸の客人に向けて放つ。最初から向こうの貴人が放つ術理に対抗できないと知っているとばりに迷いはない。転げていった客人は擦り傷だらけになろうが大やけどで死ぬよりマシであろう。


「なんのつもりかぇ?」


 なんのつもりとはこの貴人、随分と頭が悩ましい。客を殺める宿屋が許されるわけがないだろう。


「客への無体は禁じられております」


 あれでもかつて大妖として人の世に名を轟かせた貴人。木っ端として自覚のあるとばりは口調だけは畏まることに異存はない。もはやかつての力など欠片もなく、とばりの主人を含む他の大妖の温情で生かされている幽閉の貴人だとしてもだ。


「妾に指図するかぁッ!!」


 怒気を膨れ上がらせる貴人に内心ほくそ笑む。湯気を散らす素振りで位置取りを客からわずかに逸らし、慇懃無礼な態度で注意をこちらに向けさせる思惑はうまくいった。どういうわけか分からないが、とばりは口を開くと目上を怒らせることが多いので自然とこうなったとも言える。


「木っ端ごときが何ができるぅ!!」


「やってみねば判りませぬ」


 弱ったとはいえ相手は元階位一桁の大妖怪。階位四拾番台のとばり程度では相手にならないのは事実だ。しかしこちらにも守衛として引けぬ理由がある。何より主人から下賜された宝具はこのようなときのために預かっているのだ。


 貴人の気勢を受けた湯が石が動き出し濁流となった。自身の領域すべてを武器に変えてでも殺してやるという意思。心の閉そく感と鬱屈した激情と、何よりも八つ当たりを叩きつけんと襲い掛かる。

それを哀れに思うほどとばりは優しくないし余裕もない。


「お手向かいいたします」


 図らずも人の権力者に愛され、その寵愛に真心を持って答えていたこの貴人は脆弱な人の狡知極まる謀略に絡めとられた。


 夫を謀殺した冤罪をかけられ、賢者として献策してきた手柄を横取りされ、彼女の心境は如何ばかりだったろう。ただ彼女は黒幕たちの思惑を越えて生き延びた。その身を憎悪で燃やしながら。


 それでもなまじ力を持つ大妖である彼女は国を傾ける悪女に仕立て上げられて、結局多くの武将、陰陽師を道連れにして最後は討たれることになった。若輩のとばりは伝え聞いたことしかないが。


 地を蹴り濁流を真上に躱す。幅が広く横は躱せぬ、前は濁流が立ち上り跳べぬ。さりとて後ろは間合いが離れる。今から行う技はとばりここ一番の大技であり用意も一回分のみ。そもそも格上に見られたら二度目はない。


 懐から腕に隠れるように取り出した得物は不殺の八角棒とは違う、最初から殺生を目的とした暗器。両の手首に仕込んだ火打石を力任せに擦り合わせ、己の内丹すべてを込めて腕力でソレを投げつけた。


【鳳凰】


 術を不得意としたとばりは技と理でそれを補う。


 黒塗りの苦無にいくつもの羽を括り付け、投げつけると糸がよれて羽が棒手裏剣のように苦無に追従する。その羽には高品質の油を染み込ませており、僅かな火花でも着火するほど燃えやすい。燃え輝く羽が夜の闇を走るとき、攻撃の本命である黒塗りの苦無は輝きに注視した者ほど存在を捉えられなくなる。


 苦無は獣の絶叫のなか狙い通り貴人の肩口に食い込んだ。殺すわけにはいかないし、とばりの術ではおそらく殺せない。本来の【鳳凰】、火薬を混ぜた油瓶も併せて叩きつける技であっても無理だろう。力を持つ妖怪を滅ぼすのは作法、手順がいる。


 苦無であれば石に深く刺さるほどの威力を持つとばりの投擲は貴人を地べたに転がしていた。


「おのれ、おのれぇおのれぇ」


 最初は呪詛、やがて悲痛な啜(すす)り泣きに変わった狐の目には無念の涙が零れていた。世の無常に振り回され、苦しむだけ苦しんで未だ生き恥を晒している己に絶望していた。

 最初は客をどうこうする気はなかったのかもしれない。ただ、彼女のなかの傷は時の流れで薄れるには深過ぎる。


 荒れ切った湯場でひとり礼を取ったとばりはきつねやのある方向に術を使った。


【音送りの術】


 遠方のごく小さな範囲に声を届ける術で事の終息を報告する。おそらくは子細を見ていたであろう上役は最後まで援護を寄越さなかったが、とばりに思うところはない。未だ貴人を縫い付けたままの宝具である黒塗りの苦無はさるお方の呪(まじな)いがかけられており、術が不得手なとばりでは抜けない。後で回収され必要ならまたとばりの手元にくるだろう。これにて落着。


 たぶん無事だと思うが客のために軟膏の用意をしなければならない。今夜はとばりの仕事がまだまだある。

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