第3話 豆をおいしいと思ったら歳

 端で湯が流れ落ちる小さな滝が特徴的なこの温泉。ひとりなら広いが浴場自体は五、六人程度が入ればギュウギュウの小さいものだ。滝は区切った小さい浴槽に一旦溜まってから人の入る浴槽に流れる形になってるので直接の熱湯に触れる心配はない。それでもだいぶ熱めの湯だ。


 外から見たら湯気なんて形もなかったのにな。


 滝のバシャバシャ流れる音と風の音、あとは一度だけ遠くから何かの鳴き声。最近は田舎でもこうはいくまい。なぜか夜中に走るランナーの足音、峠から聞こえる改造マフラーのバイク、自粛しても流れてくる繁華街の町音。そんなものが何も聞こえない。ここにくるまでに見た『きつねや』はどこにあるのだろう。茂った竹林はひと筋の光さえ通さずまるで見通せない。開けているのは黄色いお月様が浮かぶ天面だけ。


 夜景を見飽きてふと洗い場に目を向ける。現代の温泉や銭湯と違って鏡や蛇口はなく、もちろんシャワーなんて影も形もない。何よりソープ関連がないのが現代人には収まりが悪くて困ったのだが、


「よければこちらどうぞぉ」


 先ほど声掛けなしで入ってきた『女将?』は硬直するこちらを気にせずたらいをひとつ置いていった。入っていたのは白い水。自炊する人には非常に馴染み深い香りがするもの。米のとぎ汁である。


 日本文化が西洋化する前はシャンプー代わりに米のとぎ汁を洗顔やらに使っていたなんて話は聞いたことがある。あるのだが実際これで洗うのはちょっと抵抗があるよ『女将?』さん、使ったけど。


 浴場から出ると脱衣所の籠が別のものになっていて、代わりに浴衣が置かれていたのでこちらを羽織る。そして生まれて初めてのふんどし。


 褌、FUNDOSHI、英名LOINCLOTH。サムライパンツ。籠に用意されていたのは一般的な赤の六尺褌。地域によっては現代でもお祭りあたりで穿いた人もいるだろう。ねじってあって尻がほぼ丸出しのアレだ。穿くけどさ。


 てぬぐいと下帯(ふんどし)、洗濯代は事前にそれぞれ別<ポイント>でしっかり取られた。(お店側が)安心安全の前払い制らしい。てぬぐい一枚でいちいち新しい木札に焼き印を入れるとか大変じゃないのだろうか。こちらが考えることでもないか。


 脱衣所を抜けて短い廊下を通る。およそ電気というものは通っていないらしく、明りはろうそくや行灯のささやかなものぐらいしかない。『女将?』の持ち歩く光源も室内では手燭(てしょく)になっている。火のゆらめきにならって和室の陰影が変わるさまは不気味の一言だ。


 現代家屋でろうそくなら停電や災害のイメージだが、和室でろうそくでは時代劇か和製ホラーの類を連想させる。気分を紛らわせるためスマホっぽいものをライト替わりにしてみたものの、さらにホラーゲームっぽくなっただけだった。電池が残量制だったり、遭遇イベントで明暗して消えたりするヤツ。


「ではごゆっくり」


 飾り気のない木目お膳の占拠するは器にこんもり盛られた白飯。平皿にはみそをかけた焼豆腐、魚(炙った干物)たけのこ、小鉢に煮豆、みそ汁の具は細く切った大根。揚げ物も刺身もお肉も無い。個人的に魚はお肉に含まない。質素。みそ汁と煮豆だけ異様に美味しかった。


 眠気を推してせめて指なりで歯磨きしようと襖を開けると『女将?』が闇の中気配無く控えていた。行燈の灯りで目だけがふたつ光っているさまに心臓が跳ね上がるも、なんとか声は出さなくて済んだ。渡されたのは小さな器に乗せられた炭と端がほぐれた棒。房楊枝という歯磨き道具らしい。当然<ポイント>は支払うことになる。


 戻ってくるとお膳は片付けられ、代わりに布団が敷かれていた。敷布団と掛布団、どちらも厚みのある昔ながらの重いものだ。枕は台のついた変な形をしていて高く首が痛くなりそう。

 昔は上流階級も板の間なり畳なりにゴザなり敷いて上着を被って寝ていたとか聞きかじったことがある。ここの時代考証がよくわからない。いつ頃の基準なのだろう。


 いい加減睡魔で頭が回らないので眠ることにする。確認すべき大事なことがたくさんあるけれど全部うっちゃって布団に潜りたい。行燈を吹き消すと煙の臭いを残して暗闇だけが残った。

 

<自動防衛すますか? YAS/Nぅ 12H拝借1000ポイント>


 残らなかった。寝転んで首を回せば見える位置に置いたスマホっぽいものがそんな表示を爛々と光らせている。ぼんやりした頭でYESをタップ。お高い。けどなにかゾワゾワするのは事実だ。必要経費だろう。完全に板っ切れから光が消えるのを待つことなく意識が途切れた。


 かすかな意識の残り香で、そういえば『N』が大文字で『う』が小文字になってたな、違うそうじゃないと突っ込みながら。


<実績解除 初日よ生存しる 5000ポイント>




「口惜しや。あや口惜しや」

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