第2話 きつね=サン
庭の勝手口にありそうな簡素な木戸だ。取っ手が簡素な錠前替わりになっておりスライドすることで開け閉めできるのどこにでもありそうな代物。もちろん庭も家も無い街道にあるのは場違いなのだけど。
そして今さらながらに手を引っ込める。無造作に戸を開いてしまったのは疲れて頭が働かないだけではないと思う。気付いたら取っ手に指がかかっていたのだ。開けた記憶さえない。
木戸の向こうから漂ってくるのは竹林の匂い。闇にポツリと灯る小さな石灯籠の灯りに浮かび上がる白い玉砂利と点々と続く石畳が見える。
街道と野原の境に出来た扉という境界線。普通なら開いた先にはただ野原が続いているだけのはず、しかし開いた先には別世界が続いている。好奇心にかられて回り込むと、ある一点を超えた時点で木戸が見えなくなる。手で存在を確認しようとしても触れる物がない。しかし正面に戻ると木戸はやはり在り、触ると年季の入ったガサガサの手触りが伝わってきた。
<00:07:58 ポイント戻りまえん>
闇に光の点滅は目立つ。手元のスマホっぽいものがまるで急かす様に明暗を繰り返すのを見て思わず木戸を潜ってしまう。振り返ると木戸は変わらずそこにある。ただ開いた向こうの景色は空さえ遮る竹林の闇。さっきまでの街道も野原もどこにもなかった。
その場にいる気にもならず飛び飛びの石畳を進んでいく。点在する石灯籠は誘導灯のように続いており足元を照らしてくれるので思ったより不自由はない。ただ進んだ後の石灯籠の灯りがひとりでに消えるのは気味が悪かった。
戻れないよ、そう言われているようで。
玉砂利から外側は鬱蒼(うっそう)と竹林が茂っていてまるで視界が通らない。天然の壁が突き当たるたび道は直角に左へと向かっている。左しばし行ってまた左。同じ方向に曲がり続けるということは螺旋状なわけだが、外側に膨らんでいるのか内側に萎んでいるのかも判別がつかない。そもそもどこまで続いているのか。
疲労と眠気でいい加減うんざりしてきたあたりで曲がった先でようやく開けた場所に出た。門前に焚かれたかがり火に映るのは緑の竹林が包むように聳(そび)える朱色の門構え。掲げられているは樹木を切り出してそのままの大看板。漆の光沢が黒々しく力強い『やねつき』の文字。
やねつき、たぶん右から左に読んで『きつねや』なんだろう。はたして何階建てなのか、開かれた門遠くに浮かび上がる、いくつもの白い障子越しの灯りがついた天を突く大きな屋敷。そのくせ先ほどの木戸のように門の外側から屋敷は見えない。入口の囲い越しでないと真っ暗な闇しか見えないのだ。
どこか気圧される気分で視線を彷徨わせるうちに灯篭が目についた。ここまで誘導してきた石灯籠が門を素通りしてまだ続いている。促されるようにしばらく歩くと門の壁が終り、その先は腰ほどの高さの垣根道。灯火はそちらに続いている。
垣根|今ココ|垣根|壁
素直に門を潜って屋敷に向かえばいいものを魔がさしたとしか言いようがない。それでも引き返す気にもならず黙って石灯籠の灯りを追う。数分ほど歩いただろうあたりで空気が変わり再び開けた場所に出た。
続いていた玉砂利とと石灯籠が終り、その先にはむき出しの土の上にポツリと建っている玄関の開かれた古めかしい平屋。何の建物なのか確認するより先に、用は済んだとばかりに最後の石灯籠から灯りが消えて辺りは真っ暗闇になってしまった。
さすがに心細く感じてスマホっぽいものを取り出しライト替わりにしようと懐に手入れたとき、音も気配なく平屋の玄関にぼんやりとした提灯の灯りが点いた。
「あらあらいらっしゃい。お泊りですか?」
近づいてきた提灯の火の向こうにいるのは着物を着た直立する狐。創作でよくある狐耳の幼女でも妖女でもない、完全ガチケモ。見た目がとかく可愛い、あるいはカッコイイせいか日本では稲荷の遣いあるいは化生の定番として知名度の高い動物だ。
どういった方法か知らないが提灯の付いた棒が前足にペタリとくっ付いている。提灯と一緒にぶら下がっているかまぼこ板ほどの板には『湯』とだけ書かれていた。
「申し訳ないんですけど商売でしてなぁ。ぽいんとが無いなら遠慮してくれませんか?」
思わず硬直するこちらをどう思ったのか声のトーンが落ちるガチケモ。ただその冷たい言葉に含まれていたフレーズに思い至り、件のスマホっぽいものを出してみる。懐から出した輝く板っきれに目を細めながらも注視する狐の目が一転商人の目つきになったと感じたのは間違いではないだろう。
<きつねの隠れ宿 一泊500ポイント YES/Nぅ>
弄るまでもなく表示された選択肢でYESをタップする。いつのまにかもう一方の前足に木札を張り付けていた狐がジュッと音たてた木札を満足そうにこちらに見せてくる。文字は『了』。わずかに赤熱を残す焼き印の焦げた臭いがした。
「ようこそきつねの隠れ宿へ。いや人が悪いですなぁお客さん、からかわんでくださいな」
優雅に袖と提灯を振ってこちらを宿へと促す狐についていく。着物の裾から覗く尻尾が一度だけふわりと揺れた。
<実績解除 初めたの遭遇 3000ポイント>
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