二幕二節目 出会いと、噂。
二幕二節目 出会いと、噂。
とある青年side
ちゅんちゅんと、さえずる鳥たちと格子窓や木々の隙間から朝であることを報せてくれる日差し。今日も、お出汁の香り、ゴトゴトと大鍋が踊り、釜戸から
ここは、現世と隠世の狭間に存在する亜空間のひとつ『コトリアソビ』という『旅館』──の炊事場である。
『旅館』と言っても、お客として迎えるのは
「おーい!そっちの料理できたか!」
「いま、あがりますっ」
「了解!盛り付けも頼んだぞ!」
炊事長──と呼んで親しんでいる中年の男性が他の担当たちと声を飛び交わせる。炊事場を切り盛りするのは、大概、体力のある男体と決まっている。その分、盛り付けて用意された膳をお客の前へと運ぶのは
他にも男手が必要とされる仕事場はたくさんある。
『旅館』としてなくてはならない湯殿なんかも、清掃・管理する担当に男手が要るし、ボイラー室を仕切っているのは、専ら初老を過ぎた頑固ジジイだったりするわけで、そんな『旅館』の一員として存在できているのも、なかなかの豪胆さだと自負していた。
「
「あいよ!」
次々と出来上がっては、持ち出されていく煌びやかで美味なのはもちろん、盛り付けの整った料理。そのなかの一品も口にすることは叶わないが、このあとに待っている炊事長が腕を奮ってくれる
──────────
朝の忙しさがひと段落する。
炊事場の外には、ひと昔前まで食材などを保管していた木箱が並んでいる。今となって、ただの腰掛けて一息つく場所として再利用されているわけだが、自分のお気に入りの場だ。
「お疲れー」
「ありがとうございます」
よく冷えたラムネの瓶を差し出され、受け取る。隣に腰をかけたのは、
自分は、賄いで腹が満たされ、ポカポカとした陽気のなかで休んでいた。
「いやぁ、今日もいつも通りだねー」
「そうでありますね。毎日のことですが、やっと慣れた気がします」
「本当にねー。きみ、薪しか割れなかったのに上達したもんだよー」
「……恐れ入ります」
苦笑いを返す。実際、生前の習慣が抜けきっていなかった。男が炊事場に入ることを良しとしなかった時代の名残のせいか、担当として配属された当初は自分の不手際に叱られ、怒鳴られ、イラつく日々だった。なぜ、ここなのか。他にも動ける場所だってあるばすだと。そう、思って馴染めずにいた頃が懐かしい。
この『旅館』の炊事場は、炊事長を除いた働き手が当番制となっている。朝の番、昼の番、夜の番と交代制で。欠員が出たら、他の番へと手伝いに出ると言った具合だ。
朝の番は、隣に座っている
ラムネの瓶を傾け、口や喉にシュワシュワと弾ける炭酸の心地良さに目を細める。生前、高価でなかなか口にすることが出来ずにいた食べ物や飲み物が簡単に手に入り、味わうことが出来る。なんて、いい場所に堕ちたもんだ──と思いふけってしまう。すると、
「そうだった。そうだった」
「なんです?」
「目が覚めたらしいよー、きみが拾って来たさ。旦那さんのお客人」
驚きで、目を見開いたがすぐに笑みが口元に現れた。そして、安堵のため息をつく。そうですか、それはよかった。と自分でもひと安心といった気持ちだった。
「ありゃあー、ついに春かねー」
「何がでありますか」
「んにゃあ、こちらごとさー」
よく分からないが、嬉しそうだ。
そのまま
女中さん達を仕切っている上仲居の
その子を抱えて洞穴から出れば、心配そうに擦り寄ってきた鹿の神獣に助力してもらうことで『旅館』へと戻った。戻れば、裏門で待っていた上中居の
そのあとに聞いた噂によって、自分が拾って来た中性的な子がこの『旅館』の経営者である旦那さんのお客人だったことを知り、驚いたものの。所持品の上等さから妙な納得を覚えたものだ。そもそも、自分とて用がなければ旧館の地区には近づきもしない場所なので運が良かったとも言える。
「いやぁ、話によるとさー。かなりのベッピンさんらしいよー」
「別嬪って、あの子は男体でありましたが?」
「えー?そうなのかー。ま、関係ないでしょー。美人を褒める言葉なんだしさー。その子が郡性だと良いよねー」
なぜ、汎用種のベータ性を望むのか。答えは分かりきっている。アルファやオメガだと何かと問題が起こるからだ。お客人の前で粗相したり、迷惑がかかったり、働いてるもの同士の揉めごとに繋がったりと散々だからで。
だから、あの中性的な子を拾ったときもアルファのように狂うこともなく、オメガのように誘発されることもなかった。
自分の生きていた世界は、外国語を使うことが許されず、外国語を学びとして
そのさいに、アガリ・アマタ・ナサケなんていう言葉が出回って日常的に使っていた。だから、種族や出身によって第二の性を表す単語に個性が出る。しかし、話題にしていることは同じなので通じてしまうのが不思議で面白い。
「それでさー、ムラサキー。そろそろ思い出せたー?」
「いえ、まったくです」
「そっかー、一日でも早く きみの名前を呼べる日が来るといいんだけどなー」
「お手間を取らせてすみません」
ムラサキ、自分の愛称だ。
自分には、名前がない。
本当は、生きていた頃に呼ばれた名があったはずなのに。この亜空間へと堕ちた影響なのか思い出せなくなってしまったのだ。それ以外の生前の記憶はありありと残っているにも関わらず。なのに。なぜ、名前だけがコロリと溢れてしまったのか。原因も分からないし、転生の時期に到達しないと閻魔に会うことはできない決まりなので、追求できずにいる。
亜空間には、もうひとつの存在理由がある。それが、煉獄としての役割だ。極楽と地獄の狭間。ゆるい刑罰で転生するまで過ごすというもので。死んでからの間、覚えていることは酷く辛くて悲しい思いを長い間していて、その後に一筋の光と強風に吸い込まれて亜空間へと堕ちた。しかも、堕ちる場所はかなり運任せだったらしく『旅館』の敷地に倒れているところを拾ってもらった。
「あの、
「なにー?」
「自分が拾って来たあの子に、名前はあるのでありましょうか」
「あー、名前ねー。たしかー」
首を傾げながら、何だったかなー、
自分の記憶にこびりついて離れない記憶。悔しさと涙。怒号と痛み。騒音、炸裂音、黒煙、そして血と潮の香り。全てが生前に経験したことで、それを皮切りに自分の命が終わったことを覚えている。『世界大戦』と今となっては呼ばれている出来事だ。もう、かれこれ百年も前の出来事だと言われてもピンと来ない。『旅館』のお客として仲良くなった出雲に仕える白狐さんがお酒の場で教えてくれたことだ。ショウワという時代が六十年も続いて、その後にも、別の時代が始まって終わって、また新しい時代が続いていると知れたときはとても驚いたし、安堵した。ああ、自分がしてきた事は間違いじゃなかった。あの後に、国は存続できたのか。よかった。本当に良かったと涙を流したものだ。
いまだに、この亜空間で生前の親族や身内に会うことは叶っていないので極楽に行けたのかと勝手に思っている。むしろ、そのほうがいい。たぶん、こんな場で会ってしまうと何をしでかした!?と問い詰めて、叱りつけてしまうだろう。
「おーい、
炊事場と『旅館』を繋ぐ渡り廊下を駆けてくる少年。
「坊ちゃん!何しに来たのさー!」
「えへへ、あんね!お姉さんに、ご飯を作ってほしいの!」
「おねえさん?それは、教育係の?」
「違うよ!お姉さんは、父様のお客さん!」
「あー、目覚めたっていうー」
「うん!そう!」
無邪気に受け答えする少年は、『旅館・コトリアソビ』の経営者の息子──
「こんにちは、雀乱さま」
「あ、ムラサキいたの……?」
「ええ、居ましたよ」
「そっかぁ、えっと僕はそのぉ……」
見るからに目を逸らされた。明らかに苦手意識を持たれている。それもそのはず、自分が彼の世話役を任されている
「ご安心を。今回ばかりは、言いつけません。戻るときは 十六夜くん に見つからないようにしたらいいのです」
「ほ、ほんと?十六夜に言わない?」
「ええ、言いません。この……」
自分の名前が思い出せない。
それがこんなにも不安になるとは情けない。しかし、名が言えないと、宣誓にならない。誓いの効力が薄くなってしまうように感じるのは自分が東ノ国の出のせいだろうか。雀乱さまが、不思議そうにこちらを見ている。首を振って、微笑む。
「いいえ、それで?お客人の種族などは分かりますか」
「うーんと、なんか術を使って傷を治してくれたし、お姉さんはすごく真っ赤な目してるの!」
「なるほど。妖術使いなら、異種族ですよね。亜人なら人間の食事でも口に合うでしょうし……。そうだ。消化にいいものにしましょう。炊事場を使えるか聞いてきますね」
「え、ちょっとー。おいらを置いていく気かー?」
「
「ええー!ひでぇよー、ムラサキー!」
何とでもどうぞ。そう、告げて
炊事場には、やはり炊事長が居て
袖をタスキで結い上げて、髪の毛が落ちないように柄物のてぬぐいで頭を覆う。手を洗って、冷蔵庫の中身と睨めっこする。
ああ、そうだ。消化にいいものならば、母さんが作ってくれたあれにしよう。生前の記憶だよりに食材を用意し、さて、作りますか。と気合を入れたのだった。
──────────
───────
暮无side
「はぁ〜、さっぱりしたー」
用意してもらった着替えの浴衣に腕を通して、濡れた髪や肌をタオルで拭きながら廊下を歩く。
久しぶりの広い湯船に感激しながら、のんびりと浸かった。『西洋街』に寝泊まりしていた時間は長くないけれど、水浴びとかシャワーでは物足りなかったのは事実だ。湯に浸かるほうが疲れが取れる気がするのは身についた習慣と言える。
まだ、館内を把握していないせいもあって寄り道せずに歩いて来た通路を戻っていた。
「にしても、だいぶ広いな……」
ペタペタと湿った裸足で歩く通路は、ちゃんと手入れされているのが見受けられるし、もしかしたら今回だけは特別に広い湯船を使わせてくれただけかもしれない。
仮にも[旦那様(経営者)の客人]という扱いなわけだし。
何せ、さっきの
とりあえずは、十六夜を見つけて風呂から上がったことを告げなければならない。
あくまで、オレはココで働く意思がある。つまり、一番下っ端になるわけなのだから印象だけは悪くしちゃいけない。……既に遅い気もするけれど。最善は尽くす。人前に出ておもてなしするのは、得意だ。好きではないが。
──改めて。
オレは、
まだ仕事はできていないし、到着早々にオメガとしてのヒートに
「ああ、そうだ。
妙案だ。自分で思いついたが、源氏名でもないし、呼ばれ慣れた下の名前でもない。大旦那が養子として縁を結んでくれたお陰で、家名もあるのだ。新天地で名乗るなら最適だと。心躍る。名乗る名が決まって、あとは十六夜がどこに居るのかを探せばオレの目的のタスクの消化は進むはずだ。そう、胸の内で考えつつ館内を歩く。すると──、
「ちょいと、おまえ」
「え?あ、はい。なんですか」
随分と上から目線な声掛けだ。だが、残念ながら視線は下にある。つまり、相手は低身長なのだ。たぶん、小人族(の中でも大きい方だ)。一応、初対面の相手を見下ろすのもどうかと思ってしゃがみ込む。だが。
「おまえ、うちをダレだとおもってんだい」
「えっと、すみません。オレ、来たばかりで知らないことが」
「イイワケはいらないんだよ。うちをみおろすことも、うちがみあげることになるジョウキョウはゆるさないよ」
は、はぁい?と間抜けな返事が漏れてしまう。なんて、横柄な態度か。しかし、会話にならないのはどうかと思う。この人がどんな立場なのかは全くもって理解できないし、させてくれない。仮にも[旦那さんのお客人]であるオレに対して、こんな不親切があっていいものか。つい、しかめっ面になった。
相手がため息をついた。
「まったく。なんだって、こんなイシュゾクをおくことにしたのか。おまえ、まじってるね?あー、ヤダヤダ。そんなソンザイがこのやかたにいすわるなんてしんじらんないよ」
睨んできたかと思いきやベラベラと好き勝手に物を言う。本人を目の前に堂々と悪態をつけるのは肝が据わってて嫌いじゃない。陰口しか叩けない陰湿な奴らとは違うってのは分かった。けれど、何がどうして。こんなに毛嫌いされているのか。異種族が何をした。混じってるってのは、オレの[魔神の血]に対して言っているのだろうか。
疑問が疑問を呼んで、マトモな返事や表情ができない。
「で!おまえ、キレイなかおだけど、ナサケなんだって?あー、はいはい。まった、けったいなはなしだよぉ!ゴクツブシがふえてイヤだね!」
あー、コイツ。こんなに真っ向から喧嘩売ってくるとはいい度胸してる。よーし、オレの力で沈めてやろう。そうしたら、この騒々しい音からも解放される。
発情期の病み上がりってのあって、あんまり闇の力に頼るのは気が引けるけどオレが敵と見なしたヤツだし、さっさと
オレは、相手の頭を鷲掴みにする。やっぱり、抵抗しようとギィギィと騒ぐ。あー、本当に耳障りだ。勘弁してくれよ。一番の下っ端として良い子ちゃんで居ようって決心したばっかなんだよぁ。まあ、不可抗力か。
「オメェ、いい加減にしろよ?」
自分のなかでも低い声を出す。鷲掴みしている頭にギリギリと力を込めて、圧迫する。オレの怪力でやられたら下手したら潰れてしまう。相手は、イギィ!ヒギィ!と悲鳴をあげている。もっと、メギッメギッと圧迫死をさせるつもりで指に力を込めていく。けど、ピタッと喧しい音が止む。なんだ。まだ、力を使ってないのに黙っちゃった。その瞬間だった。
「うぉわ!!」
カラダに風が纏う。そして宙に浮いて、オレが殺ろうとしていた相手とも引き離された。
あれ?この感じ。めちゃくちゃ覚えがある。そう、あれだ。ここの経営者の息子の
「まったく、なかなか帰ってこないと思いきや。旦那様の思ったとおりでしたね」
そう、ため息混じりに呆れた様子をありありと見せたのは淡々とした物言いの美青年・
「では、事情をお聞かせくださいね。翠哀さま」
「あ、えっと、これはですね……」
あー、なるほど。ヤバい。
これは、年齢関係ナシに恐いわ。けどね、十六夜さん。オレ、だいぶ我慢したと思うんだよね。そこは褒めてほしい。
オレは、そう弁解しながら胸の内で泣きそうになったのだった。
作務衣の壮年男性は、無言で気を失っている小人から風で引き寄せて肩に担いだ。
オレから穏やかに風が逃げていく。廊下の床板に降りた。足を着いたのを確認した作務衣の壮年男性は、その場から歩き出してしまう。礼をいいそびれてしまった。鋭い眼差しが返ってきている。相手の顔色を
「下女の指導が悪かったことは、謝罪いたします。ですが、翠哀さま。あんたもやり過ぎです。ご自身の力ってのが分かっててやらかしたってんなら──」
言い訳するタイミングも与えてくれないチクチクとした
二幕二節目 日常と、噂。
2022年3月3日 初回公開日
作者です|ω・`)
半年ぶりの更新がこんな話でスミマセン。
まだまだ、オメガバースを名乗るのも気が引けるレベルに進歩のない内容が続きます。お付き合いくださいませ。 瀧月。
内容公開
▷2022年7月5日(火)
惹愛─hi-ai─ 瀧月 狩織─Takituki Kaori @sousakumin
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