二幕一節目 到着、新天地。
二幕一節目 到着、新天地。
天の声side
「……ここで、あってるのか?」
亜空間のひとつである『花街』から新天地を目指して旅することになった元 陰間の売れっ子・
ではあるものの、今は自身の辿り着いた場所と教えられていた事前情報との違いに首を傾げていた。何せ、完全に苔むした洞穴がポッカリと口を開けているのだ。仕切りにピチョンピチャン…と響く水音と洞穴の奥なんて終わりが見えず真っ暗である。周囲も生い茂る草木ばかりで明らかに人の出入りがある様には見えない。
「はぁぁぁ……、こんな場所なわけないよなぁ……」
暮无は困惑と、疲労でその場にしゃがみ込んでしまう。何せ、既に不運続きだ。『花街』を出て真っ先に向かったのは、
だが森に入らなきゃならないと知った時点で、疑いはしていた。そして、着いてみれば案の定である。本当にこの洞穴の中に『
「あー……、今は何時なんだ?陽が隠れるくらいに木々が生い茂ってるのが悔やまれるなぁ」
時間も分からないし、世話になっている女店主の宿屋に戻るにしても少し休まなければ暮无の足は動きそうにない。洞穴をちらりと見やる。ズゥゥゥン……と不気味に口を開いた場所が待ち構えており、半魔人だとしても臆する雰囲気だ。しかし、グダグダ言ってられない。意を決して重い腰を上げる。辺りを見渡して、とりあえず一〇歩先の木を殴る、殴る。ベキベキッ、メキッメキッ…無惨な音を立てて殴られた木が真ん中から折れて倒れる。『花街』を出ても怪力は健在だ。むしろ、細やかな力加減が出来るようになったようにも見受けられる。もういっちょと言うように枝の部分に拳を振り下ろす。この木の気持ちを代弁するなら『なんつー、馬鹿力…!』『解せぬ』であろう。そして、まさしく手折った枝を拾い集めていそいそと洞の中へ──
──パチンパチン、と火の爆ぜる音が洞穴の中に響く。一応、外の光が見えるくらいの場所で地面に布を敷き、手折った枝を組んで焚き火にする。火元は、背負っていた木箱──異空間に繋がる魔法がかけられた無限に収納可能な引き出しが備えつけられている──『
暮无にとって、自分の持ち物と価値的にどのくらい差のある物なのか分からないでいた。しかし、この箱を背負っているだけで商人として顔が利くから譲ろうと口車に乗せられたのだ。たしかに、副団長の言ったとおりに立ち寄る先々の関所を兼ねた街では怪しまれずに出入りが可能だったし、両手に荷物を下げなくていい利点を暮无は気に入る。見てのとおりの、愛用品となった。箱から『西洋街』の露店で買えるチーズパンと瓶入りのミックスフルーツジュースを取り出す。あちち…小さく呟く。どういう仕組みなのか分からないが、パンも焼きたてのままでジュースも冷えたままだ。焚き火の爆ぜる音、奥のほうから聞こえる水の落ちる音、洞穴の外から聞こえる風の唸り。そういった自然の音に耳を傾けつつモソモソとパンを口にする。この瞬間だけ気が楽になれた。一夜明かすくらいなら良いが、このまま洞穴の中で過ごすわけにも行かない。すでに『花街』から出立して約一ヵ月は過ぎている。そろそろ、先方も到着してないのはオカシイと思うのではなかろうか。すっぽかすにしたって大旦那や奥方のメンツもある。破天荒を売りにしてたとしても、さすがに親不孝すぎる。そう、暮无は問いかける相手もいない場所で自問自答して自嘲した。
──────
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軽い食事を終えて寝床の支度をしようと立ち上がり、ふと疲労感とは違う怠さを感じる。何だろ、この感覚。そう、首を傾げる暮无。箱のほうを見やってそう独り言をごちれば、ここ最近は移動ばかりに集中していて『花街』の謎多き医者──ハーメルンから手渡された大量の抑制剤を飲んでいなかったことを思い出した。
暮无がそんなことを考えているうちに、ドクンッ!と弾け飛ぶような強さで心臓がはねた。
それでも、こんな無様な姿を晒すくらいなら……!残っている体力で、箱の中から黒色の羽織りを引っ張り出してカラダを覆い隠す。これなら、直接見られることはない。安心してしまえば、ゾクゾクッ…ゾワァゾワァ…と欲が胎内を這いずり回り出した。羽織りのお陰で暗い視界の中で、悪態をついた。
「……もぅ、どうにでも、なれ……」
羽織りの裾を掴んでいた指の力が抜けきって、地面へと───
────────
暮无side
とても美しい場所だと思う。
けれど、見覚えはない。
『ここは、どこだ?また、誰かの夢に紛れ込んだのか』
夢だということは、すぐに理解した。けれど、あの煙と、炸裂音と、赤黒い世界ではないのが。自分にとって不思議だった。少しだけ歩を進めてみる。夢なのに地面がある。そんな砂利の上を『花街』に居たときは、装飾が華美な草履(陰間時分でよく履いていたやつに似ている)で地面を蹴りながら歩く。身につけているものも、陰間時分で着ていた振袖なのも、髪の結い方さへ同じなのも、夢だからで片がつく。先の方が霞がかって見えず、それでも何故か進まなきゃ行けないと気持ちが急いた。ただ歩く、進む。すると、急に色彩豊かなものが目に飛び込む。青々とした葉を纏った木々の中で、一本だけ爛々と花を纏う美しい桜の大木。そして、異質な存在──人影を見つけた。顔は分からない。本当に、影と言って間違いない。その影は大きな桜の樹の下に立っている。すらりとした高身長な影が、オレの存在、こちらに気づいて振り向いた(気がする)。何か、話しているのか。ユラユラと揺らめいたあとにスッ……と腕があげられ、あきらかに手招かれているように見受けられた。
『どういうこと、だ?』
違和感を覚えて、進めずにいる。しかし、影の腕が下ろされることはない。どうせ夢だ。意を決して歩み寄ってみた。触れそうな距離、異質な存在に問おうと口を開いた。その瞬間──
抱きしめられたのだ。驚くオレを他所に、桜の花びらが一気に弾けるように舞う。ヒラヒラ、ヒラヒラ…そんな薄桃色に囲まれたなかで、嗅覚をくすぐるのは『藤の花の香り』で。目を丸くする。
勢いつけて、相手の顔であろう部分を見やる。そこにあったのは藤色の双眸で。その眼差しが語るのは──
────────
─────
詰めていた息を吐き出す。怠くて、重いマブタをあげる。口から漏れるのは熱を孕んだ吐息で、流れ落ちてくる汗を手の甲で拭って一呼吸のあと、見慣れない天井に目を細める。
「……オレ、なにしてたんだっけ……」
カラカラに渇いた喉がひきつって痛みを覚える。いったい、何があったんだっけ。思い出そうと朧気な思考を手繰り寄せてみる。
洞穴で、一夜を過ごそうとした。けれど急な疲労感とは違う感覚に襲われて──
「やべぇ……ってことはわかる……。たぶん、オレ、ヒートになってんだ……」
ベッドから降りようとした。
けど、全くと言っていいほどに力が入らなかった。そのままズベンッ…と床に倒れてしまう。
「痛てぇ……鼻ぶつけた……」
ああ、どうして。こうなった。
おかしいだろ。次の発情期なんて、もっと先だったはずだ。
力が入らない。無様にも床を這いつくばるような体勢で部屋の出入口だろう扉を見つめた。手を伸ばしたとこで、届くわけもない。でも、とにかく水が欲しくて、とにかく部屋に充満する熱気が苦しくて。──この部屋から出たい。
誰か、気づいてくれ。
「失礼しま──、うわっ、大丈夫かい!?」
男にしては高くて、女にしては低めな声が鼓膜を震わせた。その声に応答する気にもなれず、ただ地面に顔を伏せる。でも、恐怖を感じない。部屋に現れた人は、アルファじゃない。それだけは理解できる。やさしい風に包まれた気がする。そのままカラダが浮遊感とともに、──あれ?これ、本当に浮いてるな??
意思に反して閉じたがるマブタをあげ、扉のある位置から動いていない相手を見る。黒っぽい服装に、銀色の髪だろうか。肩くらいまであるのは分かる。もしかしたら、結んでいるのかもだが。この人が、オレをこの部屋に連れてきてくれて人なのか?だとしたら、めちゃくちゃ恩人だ。でも、声を出そうとして出てくるのは、熱を含んだ呼吸のみで。今の状態じゃ、多くのことがわからずじまいだ。
カラダは、ベッドの上に戻された。やさしい風が止む。
「ふぅ〜……、人を持ち上げるのはチカラ使うなー」
それは、申し訳ない。
「さっ、何があったのか知らないけど床で寝るよりはマシだよね」
そう言われたが、返事する体力が残っていない。とりあえず、頷いておこう。また、やさしい風を感じた。薄目で確認すると浮いたタオルが汗を拭ってくれている。この人、異種族かも。じゃなきゃ風を操ったりするはずがない。
「他にしてほしいことある?」
ボヤけた視界で、相手を見る。声が出せずとも口パクで伝わることがあるはずだ。オ、ミ、ズ…
そう、告げてみた。
「おー、そうだよね!あー、でもさすがに中身の入ったコップは持ち上げんのはムリだなー」
すげぇ、伝わったわ。この人、読解のスキルでも持ってんのかな。
そう思うけれど、やはり腹の奥をグルグルと
「え、あっ……、」
獣のような呼吸を感じる。オレの上に、何かいる。いや、この部屋に居たのはオレと手助けしてくれた人だけのはず。まさか、そんな。この人、アルファなのか……?相手の呼吸が肌に吹きつけられる。この状況は、絶対にダメなやつだろ。どうにかして、抵抗しなきゃ、できるか?いいや、やらなきゃダメだ。なんで、大丈夫だなんて思った。オメガの色香に充てられたアルファがどう変化するかなんて百も承知だったろ。べロリ、上唇を舐められて総毛立った。口づけなんて、散々、安売りしてきた行為なのに。なのに、今だけは応えちゃダメだって本能がそう言っている。発情期のオメガは、理性なんてないはず。じゃあ、なんで今は保っていられるのか。答えは、魔族の血が逆らえ流されるなって叫んでいるからだ。また、舐められる。その舌先を追いかけるように、絡めてオレは──そこに噛みついた。
「うぎゃあ!!!!」
「ッ……テメェの、じんせい!こんなことで、ムダにすんな!!」
噛みついて、垂れてきた相手の血を軽く飲み込む。そして、叫んでやる。喉が潤ったお陰で視界も晴れた。よく見りゃ子供じゃん。危ねぇ欲に流されなくてよかった。マジで、相手の人生を棒に振らせるところだったわ。
良い人──改め、理性を取り戻しつつある少年は舌の痛みに悶えている。それもそうだろう。けっこう、強く噛みついた。治癒力の高いオレでも痛いことだ。
少年と目が合う。でも、オレの理性が失われることも相手が理性を失うこともない。むしろ、冷静になった。少年の目が潤んだ。溜めに溜めて、涙が零れる。
「イタイよぉぉぉ!!うわぁぁぁん!!」
「んぐふっ!」
オレは肩を震わせて、口を手で塞ぐ。笑っちゃダメだろ。いや、でも。そんな漫才みたいな泣き方あるか!?自重しつつも、ひたすら響く少年の泣き声。声変わりのしてない子供 特有の高い声は、耳に障る。この建物の家主は何をしているのか。こんなに大きな声が聞こえたら何事かと飛んでくるはずだが──。
「お、おーい。少年ー?」
「いたい……、いたいよぉ……」
「そう、だよなー。痛いよなぁ……」
罪悪感。あれ、というか発情期の重怠い気分がなくなってる。もしかして、この少年の血を飲んだからか?いやぁ、さすがにそんなトンチな事あるわけないか。やっぱ、オレがオメガとして出来損ないだからだろ。じゃなきゃ精を喰らってないのに治まるはずがない。薬も飲んでないはずだ。おかしな事だらけだ。いや、そんな事よりだ。泣き止ませなきゃ、もし、この少年が家主の子なら大目玉を喰らっちまう。
ベッドから降りて、自身が全裸であることに気がつく。おっと、さすがに情操教育に悪影響だな。茶屋で客に慣らされた肉体なんて、見て得するものじゃない。手早く掛け布団として用意されていたタオルケットをカラダに巻きつける。これで良し。
「少年、ちょいと舌をべ〜ってしてみ」
「うん、んぇー……」
「そうそう、そのままな。いい子だ」
スイッ、中指と人差し指を絡めて晒された少年の舌の傷をなぞる。そして、脳内で念じた。
──我、内ニ眠リシ深淵ノチカラ。彼ノ者ノ傷ヲ無クセ。
『傷塞─ショウフ─』
具現化した闇がオレの絡めた指を辿って、少年の傷の上に漂う。痛みが伴うのか、少年が声を漏らしてもがいている。仕方ない。闇のチカラに傷を癒すなんていうチカラはないに等しい。属性とは真逆の作用をさせているのだから反発だって起こる。しかし、これが一番 他人の傷を治すのにうってつけなのも知っている。何せ、おっちょこちょいで怪我ばっかしてた弟に使ってきた術だからだ。効果にも自信ある。オレみたいに治癒力が高けりゃ術をかける必要もないが、そうじゃなければ大概はこの術で治る。指に触れる傷が浅くなっていき、ついには塞がったのが分かった。
──眠リシ深淵ノチカラ、鎮マレ……
すっと、指を少年の舌から外す。久しぶりに発揮したチカラに
目がキラキラしている。本当に、無垢な眼差しだ。嬉々とした感情が溢れんばかりに伝わってくる。
「ど、どうよ?」
「うん!うん!痛くない!!もう、痛くないよ、ありがと!お姉さんっ!」
「そーか、よかったなー。…え?お姉さん?」
「ん?なに、お姉さんっ」
オレ、お姉さんって呼ばれんの久しぶり過ぎるんだが。つーか、やっぱ『♀』に見えんのか!?
少年の発言に、ダラダラと冷や汗がながれる。頬をかきながら、視線が泳いでしまう。それでも少年の肩を掴んで、一気に告げる。
「あのなっ、少年!」
「僕、
「お、おう!雀乱、あのな!?オレ、お兄さんなのよ。こう見えて、ちゃんとイチモツはえてんのね??」
「…お姉さんは、お兄さん?……えっと、イチモツってなーに?」
「あー…、そっからかぁー…」
oh......と、言葉に詰まった。
純粋すぎる存在に、自分が穢れすぎている気がするのだ。マジで、下手なことを言葉にすると親御さんに叱られそうなんだが?誰か、引き取りに来いよ。オレが間違ったこと教える前にさ。
「あー、話題を変えようか。オレのことは追追でいいや」
「うん、なんのお話するの?」
「あの、ここはどこかな?雀乱は、誰の子かな?」
「うんと、僕は父さんと母さんの子だよ!上の名前はタカナシっていうの!」
「タカナシ……それって、小鳥遊びって書く?」
「うん!お姉さん、よく知ってるね!」
「ああ、まあな。知り合いに居てな」
元 通い客の一人だけどな!!
内なるオレが騒ぐ。これはあれだ。心の中で、返せない話題を全力でぶっちゃけるしかないな。
「で、ここはどこかな?お世話になったし、雀乱のお父さんとかにご挨拶しなきゃだろ」
「そうだね!僕、お姉さんが心配で見に来たの!本当は、入っちゃダメって
「……十六夜、とやら。すみませんでした。申し訳ない」
「なんで、謝ってるの?」
「うん、いや、オレの事情かな」
なかなか話が進まない!さすがは、子供!無邪気に話題を逸らすのが上手いな!!
「でな、ここはどこ──」
「あ!この足音は!」
座り込んでいた雀乱は、立ち上がった。音に耳を澄ませば、廊下を忙しなく進む足音が聞こえる。足袋で歩く音だから、たぶん和服でも着ている人なのだろう。聞き慣れた音でもある。
そして、オレと少年の居る部屋の前で音が止む。心臓が早鐘を打つ、ノックのあとに部屋の扉が開く──。
「失礼しま……あっ!!坊ちゃん!!」
「十六夜〜!」
「ここは入って行けないとアレほど!」
「十六夜!お姉さん、目覚ましてるよ〜」
「あ、あー……」
「えっと、どうも、お世話になってます」
タオルケットを巻いただけの姿でマヌケにも程がある。しかし、一応 挨拶しなければ。雀乱に十六夜と呼ばれた美青年が喉を慣らした。
「旦那様のお客人、お目覚めのようで何よりでございます。ワタクシ、旅館『コトリアソビ』で下男をしております
「ご丁寧にありがとうございます。オレは、
「はい、お話は旦那様から伺っております」
「そうですか……」
旅館『コトリアソビ』って、オレが働くはずの場所じゃん!はからずも、目的地に到着してるし!!しかも、これからお世話になるのに既に迷惑をかけてるって大丈夫なのか、これ!しかも、客人として扱っててくれたんかい!いい人すぎかよ、旅館の旦那さん!!
これ、感謝してもしきれないってやつじゃねーの!?
いや、落ち着け内なるオレ。
深呼吸して、落ち着こう。よし、大丈夫だな。
「あ、あのー」
「失礼。翠愛サマは、長く苦しまられていたのですし、ひとまず湯浴みでも」
「あ、はい」
「僕、お姉さんともっとお話したい!」
「坊ちゃんは、十六夜とお話することがありますよ」
「えっ、ヤダ!ヤダ!お姉さん、助けて!」
行きますよ。拒否の言葉など意味をなさず。十六夜にズルズルと引き摺られて、出て行った雀乱。嵐のような出来事だな、と疲労を吐き出すように深呼吸した。
よく見れば、浴場への案内図と着替えの浴衣がカゴに入れられて置いてあった。とりあえず、汗を流してから考えよう。そのあとに、十六夜さんを探して話でも。
用意されていたカゴを手にして、案内図を見つつ見慣れぬ建物の中を歩き出す。
二幕一節目
(はからずも)到着、新天地。
2021年9月5日 初回公開日
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