epilogue

 アルバイトや、正社員、パートなど、雇用形態はあるにしろ、そして職種にも拠るのかもしれないが、自分の働いている職種を、例えばプライベートで使うとき。

 美容師さんが、美容室に行くような。

 お医者さんが、病院へ診察に行くような。

 そういう場面は、誰しも働いているなら、一度は経験しているだろう。事実わたしも、それはよく経験している。

 コンビニのアルバイト。それが今のわたしの、まあ仕事といえば仕事で、わたしだってプライベートで、コンビニはよく利用する。流石に、自分の働いているコンビニへ買い物に行けるほど、メンタルが強くはないので、それなりに気恥ずかしさというものを感じるので、それ以外のコンビニになるのだが。

 ともあれわたしも、今年で大学二回生。その中期に差し掛かろうという季節。

 当然、大学二回生の中期。恐らく世界で一番、バカな生き物だと自覚しているくらい、何でもできる、うちら最強。なんて思っている人も多いのだろう。そして、わたしの属しているグループも、おおむねその路線だった。だから、何かの間違いでこんなところに来てしまっているのだろう。

 地元の東京を大きく離れ、関西。大阪である。

 そこに、わたしと友達ら二人。三人で、三日間の長旅をすることに決めたのが、つい一週間前くらい。そこからほとんどの予定を立てず、各々、アルバイトで貯めたお金があれば、なんとかなるでしょ。なんて楽観的なものだから、そのままとんとん拍子で、ホテルと行き帰りの飛行機。それだけ最低限予約して、後は本当に一切、何の予定も立てず、気付けば関西国際空港。別名、伊丹空港ともいうらしい。まあ、向こうでいうところの成田空港とか、羽田空港のような、ハブ空港になるのだろう。そして、そこに着いたのが昼前。

「わ、すごい、エスカレーター、やっぱ東京と反対なんだね!」

「え、ヤバ! 鹿波ちゃん、たこやきの匂いしてこない?!」

「するー!」

 と、脳みそがこの炎天下で溶かされたかのような言動の二人はさておき、わたしはそれほどはしゃぐタイプではない。まあそれでも馬が合うから、あの二人とは特に仲良くあちこちつるんでいるのだが、それにしても、いくら人が少ない、平日の空港のターミナルとは言ったって、あの言動。

 迷惑ではないにせよ、よくもまああそこまで、きゃっきゃうふふと出来る。わたしは半ば、引率の先生のような気持ちで二人を見守りながら、窓に近づく。

 そこから見える、大きな飛行機。まあ飛行機はそれ自体、とんでもなく大きいし、巨大といって差し支えない。わたしは、人生で初の飛行機に乗りながら考えていたことを、今も考え続けていた。

 どうしてあの鉄の塊が、浮き上がるのだろうか。

 これでもわたしは理系で、それなりに化学の授業では、好成績を修めている。だが、それはあの二人も同じである。

 今まさに、たこ焼きの顔はめパネルに二人で顔を入れ、通行人にカメラを構えてもらい、こちらに手招きをしているあの二人も。いや、何かの思い違いかもしれない。

 わたしは恥ずかしさで顔から火が出そうになりながら、その心優しい、綺麗なお姉さんに写真を撮ってもらう。ああもう、どんな行いをすれば、こんな恥ずかしい目に合うのだろうか。

 今後、大学の修学旅行などに行くときは、引率の先生に極力迷惑が掛からないよう、この二人の面倒だけでもわたしが見よう。そんな気持ちで、そのお姉さんにお礼を言った。

「ほんとすみません、あの二人、わがまま言っちゃって……」

「ああ、いえいえ、大丈夫ですよ。まあこの近く、ほんまになんも無いですけど、どこかいかはるんですか?」

 すごい、生の関西弁だ。

 わたしは少し感動を覚えながら答える。

「そうですね、取り敢えずここから、大阪の、梅田? の方まで出てみようかなと思ってます」

「ああ、そうなんですね。いやほら、後ろのお二人が、どこかおすすめの場所無いですかって訊いてくれはったんで、色々考えてみたんですけどね。でもまあ、梅田ならここから電車乗って、JRならすぐですよ」

 ゆっくりしてってくださいね。そう最後に行って、その人はまた、どこかへ歩いていく。その背中を見送って、わたしたちも言われた通り、それから電車をあれこれ乗り継いで、やや迷いながら。

 それでも一時間は経たずに、梅田駅に着いた。

 そして、それが限界だった。

 家を出て、鹿波の車で空港へ向かい、飛行機を待って、飛行機に乗って、降りて、更に電車。およそ五時間近く、拘束されていたことになる。その間、わたしはずっと我慢していたことがあるのだ。

 煙草である。

 といっても、なにもヘビースモーカーではない。だが、車や飛行機に乗って移動していると、どうにも無性に吸いたくなる。あまつさえ、電車を降りてすぐのコンビニ、その近くに、喫煙所があったのだ。わたしは転がり込むようにして、そのコンビニへ足を向ける。

 それで初めの話へ繋がるのだが、やはりどうにも恥ずかしいというか、なんというか、浮足立つ。へえ、この店はここに陳列棚を置いてるんだ、とか、賞味期限、わりともう数時間だな、とか、この商品は見たこと無いな、とか。だがいつまでもそうしていられない。わたしという手綱を握る人がいなくなったあの二人が、いつどこで誰に写真を撮ってくれとお願いするか、こちらは気が気でないのだ。

 いくら関西の人が優しいといっても、彼氏を最近失ったあの二人なら、終いに逆ナンもしかねない、そんなギャル二人である。

 黙っていれば、頭はいいし、美人なんだけどなあ。

「えっ、と、すみません、337番、JPSひとつ下さい」

「かしこまりました、こちらでよろしいですか?」

 そういって店員さんは、いつもわたしが吸っている煙草、それから差し出したコーヒーをレジに通す。わたしはそれを確認して、あまり目を見れないまま返事をすると、財布を取り出そうとした。そこで、言われなれた言葉を言われる。

「申し訳ございません、お客様……年齢確認のできるものは、お持ちでしょうか?」

 まあ確かに。

 わたしは身長も低いし、ファッションセンス的にも、まあ未成年と見られてしまうのかもしれない。大学生特有の地雷系ファッションが、世間からどう見えるのか、わからないが、ともかく。

 わたしはむしろ若く見られていることを嬉しく思いながら、学生証を提示した。

 それを見て、店員さんは申し訳なさそうに頭を下げる。

「申し訳ありませんでした、成人していらっしゃいましたね」

「ああ、いえいえ。確認しないとですもんね、大丈夫です」

 わかりますよ、その気持ち。わたしもアルバイトしていると、ギリギリ怪しい人とか来るから、その年齢確認をするときの気持ち、そして成人していた時のその恥ずかしさ、とても分かります。

 わたしは返された学生証を受け取る。その時、ふんわりと、いい香りがした。

 香水だろうか。

 その店員さんは、優しくレジ袋へ、それらを包むと、改めて渡してくれる。わたしはそれを受け取った。

「大変失礼しました、もう20歳になられたんですね、おめでとうございます」

「ああ、ありがとうございます、そう、先月誕生日だったんですよ」

「ああ、それなら大丈夫ですね」

 煙草は二十歳になってから、って言いつけ、ちゃんと守ってるみたいですね。そういって、秋月と書かれた名札を下げた店員さんは、一礼の後、優しく微笑んだ。

 大学に入ってから、わたしは髪をほとんど切ることはなくなった。

 といっても、元々が背中の中程まで届く髪の毛だ。今更もう少し伸ばすのは、何も苦ではない。だが、一つだけ嫌なことがあるとすれば。

 かつての憧れだった先生。あの人と対極を行くように、まるであの人から離れていくように髪の毛を伸ばしていく、そんな自分が嫌だった。

 その癖、服装のセンスなどは、あの人を求める様に、似たような服を買ってしまう。そんな、どっちつかずな自分が、何よりも嫌いだった。

 だからあの日、その憧れていた先生と会った時も、わたしはうまく笑えていただろうか。そんなことを今更ながら心配してしまう。

 旅行から帰ってきて、毎日のように夢に見る。

 あの時の、先生の表情。

 そして。

 動揺を隠すが如く、貼り付けたような笑みを浮かべる、わたしの姿を。

 ごめんなさい、秋月先生。

 まだわたしは、忘れられないみたいです。

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PUPA なすみ @nasumi

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