第49話 貴族令嬢VS吉池食堂

「御徒町……? こんな雑多な街、息をするのも嫌だわ」


御徒町


「このホットドッグと、黒ビール、それとクラムチャウダーください」


「はい、ありがとうございます。少々お待ちください」


 曇天、少々肌寒い空の下でマリーはドレスをなびかせた。

 優雅な足取りで吉池デパートの1階、テント下の立ち食い台を確保する。

 今日のマリーは御徒町に来ていた。


「今日は……安牌をかましたい気分なのですわ」


 安牌、麻雀用語における安全に切れると予測される牌のことである。転じて手堅い、失敗しにくい、確実という意味として使われている。

 失敗しにくい。そう、御徒町という上野の近くのこの飲み屋が嫌という程密集するジャングルでマリーは安牌をかますことにした。


「いつもいつも新店開拓できるほどのやる気と元気があるわけではござぁせんのよ……」


 電気代など光熱費の高騰はマリーの心身を痛く傷つけていた。か弱い乙女の傷つけられた心は酒で癒すしかない。新しい店を探し放浪するのも良い事だが、今は当たり外れを楽しむほどの心の余裕もない。


「お客様ぁできましたぁ」


「あ、はいはい」


 受け取ったものを台に並べる。まずは少し冷えた身を暖めるべくクラムチャウダーを啜った。


「ほわぁ……貝のとミルク旨みしゅごいのぉ」


 テント下とはいえ、10月下旬は冷える。そこに熱々のクラムチャウダー。染み込むような滋養と熱量、思わず貴族らしからぬ口調に砕けてしまう。


「そしてこのホットドッグ、これも値段の安さのわりになかなか美味しいんですわ」


 こんがりと香り良く焼けたパンズに、ふとましいソーセージ、上にはケチャップとマスタードがたっぷりと彩る。極めて典型的、王道なニューヨークスタイル。


「王道なホットドッグには食べ方も王道で挑むのが礼儀、いただきますわ」


 王道の所作、つまり豪快に噛みちぎる。唇に付くケチャップを指で拭いながら、さらにもう1口。


「うまいですわ!」


 パンもソーセージも上質だ。やはりこの吉池デパート、海鮮問屋をしているとのことであり食材へのこだわりは半端ない。


「追ってビール!!」


 ぐびりと紙杯の黒ビールで洗い流す。喉を通る冷たさが清々しい。コクと香ばしい深みを味わう。

 

「そこにまたクラムチャウダー!」


 冷えた喉奥を旨味で暖める。無限ループ発動。


「しかしまあ今年ももうあっという間に11月、大人になればなるほど時間が経つのが速いこと速いこと」


 テントから御徒町の雑踏を眺める。12月の年末になればこのアメ横近くの人間はさらに混沌となるだろう。


「そして今年もわたくしの現状はあまり変わらず、仕事は忙しいけれど果たしてこのままでもいいのかしら」


 何か資格でも増やしてみるか、そう思いながらホットドッグを噛み締める。リアルは渋く、そしてホットドッグはケチャップとマスタードで甘辛い。


「まあ……今日は今日を楽しむべきですわ」



 吉池デパート 9F 吉池食堂


「1名のテーブル席のお客様」


「あ、はいはい私です」


 店員に呼ばれ、トボトボと後を追う。

 吉池食堂はデパート最上階にある。フロア丸ごとを使用した広いスペースに、平日昼間でも客で賑わう。ちらほらと昼酒を煽るものも多い。


「ではこちらのお席どうぞ」


「……うわぁお」


 思わず声が出る。案内された席は窓の近くだった。地上9階から俯瞰する御徒町、アメ横。あれだけごちゃごちゃとしたあの街を見下ろすと神の視点になった気分が味わえる。


「こりゃ運良くいい席ゲットできましたわね」


 呟きながら腰を下ろす。タッチパネルに手を伸ばした。


「さて、なににしましょうか」


 早速だが少し迷う。吉池食堂は基本和洋中を網羅している。蕎麦でもうどんでも、ステーキでも餃子でもラーメンでも食える。ようは御徒町でなにを食うか困ったらとりあえず吉池食堂に来ればいい。

 ようは品揃えはまったくファミレスなのだが……当然マリーはただのファミレスのために御徒町には来ない。


「ハズレはないところだとはわかっている……だがそれでも迷うものは迷う」


 迷いながら、だがたしかに指先は動く。


「とりあえず寿司、寿司食いたい」


 何品かを選ぶ。当然それでは止まらない。


「鮎……まだ鮎やってますのね。じゃあ塩焼きで。あとこのジャンボシューマイってのも」


 欲望のままに指を動かす


「それから……やっぱここは日本酒行ってみたいですわね」


 指さした先、新潟の地酒である北雪を1合選ぶ。ここは冷で寿司をやっつけたい。


「はい注文と……ふう、あとは待つだけ」


 ふと視線を巡らせる。大都会を見下ろす絶景に、マリーはしばし時と現実を忘れた。


「こうして上から見下ろす景色も楽しいものですわね。通ったことのある上野周辺やアメ横を見てみると、なんだか不思議な気分だわ」


 ビルとビルの間、そこに逞しく今日を生きている上野の人々がマリーの2.0の視力にはっきり見えた。


「あ、あそこ喧嘩になってる。いいですわね、頑張って死ぬまでやりなさい」


 なにを見てるんだマリー。


「あらら警察が来て逃げましたわ。もうすこし粘ればよろしいのに。それにしても高いところから見渡すと、人がゴミのようで気分がいいですわね」


 闘技場を見ている悪い金持ちの気分に染まりながら、マリーは優しく微笑む。微笑むな。


「あ、あそこのゴミ捨て場に誰か倒れてる……近くに雀荘の看板がありますわね、賭け麻雀で身ぐるみ剥がされたカモですわ。わかりやすいですわね」


 やがて、マリーの微笑みが止まった。マリーの2.0の視力、学生時代は視力が良すぎて「マサイ族」のあだ名がついたマリーにはそれが誰かわかってしまった。


「あれ、大公殿下ですわね」


 またか。またなのか


「はいお客様おまたせしましたー」


「あ、来た来た、……大公殿下のところは食事のあとにいけばいいですわ」


 大切なことからはけしてブレないのがマリーの長所である。


「まずは寿司で……赤貝のヒモから」


 ちょんと醤油をつけてパクリと頬張る。コリコリとした食感と貝の風味。うまい。


「そこを北雪の冷でやっつけて」


 徳利から注いだ一杯を飲み干す。海鮮の味わいをフルーティで香り高い日本酒が際立たせ、そしてすっきりと洗っていく。


「うまっ! 高層から人を見下ろして昼酒やると支配者になった感が半端ないですわ!」


 アジ、ハマチ、そしてマグロ。パクパクと寿司を堪能しながら日本酒との相性をしっかりと噛み締める。どれもいいがやはり特にマグロがうまい。

 吉池は海鮮問屋が母体である。魚介類、特に鮭とマグロにはかなり強い自負を持って勧めてくる。そして吉池食堂はたしかに和洋中なんでも揃いどれもおいしいのだが、


「やはり吉池で食うなら魚介一択、それも和食ですわ」


 吉池食堂は北陸や東北料理と酒を特に推している。それの魚系ならまずハズレは無い。加えて寿司も値段のわりになかなか良い。


「そして鮎の塩焼き……すこし季節外れですが、今年は食べてなかったですわね」


 頭と尾を取り、箸で皮の上から身をほぐす。そして背骨を一気に引き抜いた。


「そして1口……! うん、まあ養殖の鮎ですわね」


 さすがに値段的にね。


「まあそれでも鮎を食うのは毎年やりたいものですわ」


 日本酒が切れる。タッチパネルで生ビールを追加注文しながら、今度はシューマイに目を向けた。 


「さてこちらは」


 豪快に噛みちぎると、肉汁が口内に溢れる。やはりしっかりうまい。


「こちらは大変ジューシィなお味、やはり吉池食堂はハズレがないですわね」


 店員が持ってきたビールでシューマイを流し込みながら一息つく。


「さてと」


 タッチパネルに視線を巡らせる。さて、締めをどうすべきか。


「まぁここは吉池、となればもう最初から決まっているのですけれど」


 指先が今日の焼き魚定食──つまり秋刀魚定食に手を伸ばした。


「やはり秋といえば秋刀魚…秋刀魚一択ですわ……ん?」


 ふと目線が泳ぐ。指先が止まる。


「秋といえば秋刀魚…秋刀魚なんですわ」


 言い聞かせる。強く、強く。


「でも秋刀魚はほら他でも食べれそうだし。ちょっとお高いけどここはせっかく吉池食堂来たんだし」


 言い聞かせる、言い訳を、強く、強く。指先が、金曜日限定で値引きされた限定マグロ丼を押した。


 △ △ △


「はい限定マグロ丼おまたせしましたー」


「来ましたわね」


 器から豪快にはみ出した赤み。そして中央を豪快に埋める中トロ。強い、ビジュアルから既に強者。


「私こういう海鮮丼は先にワサビ醤油を全体にかけるタイプですわ」


 マグロに、そして人生に負けないように豪快にワサビを解いた醤油を回しかける。


「まずは赤み……! ふわぁ良いマグロ特有の生臭み無くもっちりとした舌触り、濃い旨み……!」


 喜びが舌の上から消えないうちに、ガツガツと酢飯をかき込む。


「そして中トロ……! マグロの脂と醤油の相性が最高ですわ!」


 うまい。さすが吉池、マグロの力の入れ方が半端ない。


「そして合間に挟むしじみの味噌汁、濃厚な滋味深い美味しさ……!」


 止まらない、米とマグロの無限ラッシュ。


「うまいですわ!」



 △ △ △


「ふぅー、美味さに感動して思わず下の階の鮮魚コーナーも見てしまいましたわ」


 雑踏で埋まるアメ横を、マリーは1人トボトボとあるく。左手にはビニール袋。


「無水牡蠣がお得だったので思わず買ってしまいましたわ。帰ったら生牡蠣で一杯やりましょう」


 遥か天上の眺めからいつもの地べた這いずる視点に戻る。だがこれもいい。自分の生きている風景なのだ。

 上野駅が見えてきた。さあ家に帰ろう。


「あ」


 ふと、足が止まる。なにかを思い出した。


「オーギュスト大公殿下のこと忘れてた」


 されど、マリーは再び歩き出す。上野駅へ。


「まぁ、いいか」

 

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貴族令嬢がジャンクフード食って「美味いですわ!」するだけの話 上屋/パイルバンカー串山 @Kamiy-Kushiyama

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