第48話 貴族令嬢VS新宿 ラウンド2

「まあ新宿!  あのゴミゴミして有名なあの街ですの?」



「人がすっかり戻ってますわねぇ」


 穏やかな陽光の中で、無数の人々がいた。

 あるものは若く、あるものは中年、あるものは女で、あるものは男、あるものは外国人。そしてそれらがバラバラの目的の元に歩いている。

 日傘の下でマリーは人々の行き交う雑踏を眺めていた。この無駄にエネルギッシュで、無造作で、混沌として、騒々しく、そしてひと握りの孤独を含むこの新宿という街。


「一時期はコロナで虫の息みたいなところもあったのに、今では観光客もすっかり増えてますわ」


 あの閑散さに驚いたが、戻ってみるとそれはそれでやはり鬱陶しい。


「まあ仕事も増えてきたので私も忙しくなってきましたけれど、今日はわりと早く終わりになりましたわ」


 8月もとうにすぎやっと気温が落ち着いてきた。出歩きやすくなれば昼から呑みたくなるのが貴族というものだ。


「しかし東口側と西口側といいほんと新宿駅って分かりずらい構造してますわねぇ。西口もあれば地下鉄には新宿西口駅もある。サザンテラス口が甲州街道口になったりとかなんなの? 待ち合わせにきた地方民を確実に殺しに来てますわこの駅は」




新宿 アカシア


「いらっしゃいませー」


「1人ですわ」


 日傘を畳み、促されるまま優雅な動作で案内されたテーブルに座る。

 新宿の有名洋食店、アカシアは今日も盛況だった。

 木造アンティークを基調とした昭和モダンな洋食店という独特な店構えは、新しい建物に常に生え変わり続ける新宿ではかなり目立つ。


「この店を初めて見つけたときはそのインパクトに思わず足を止めてしまいましたわ」


 言わずと知れた新宿の有名店であるが、最近は来ていなかった。


「ここは名物ロールキャベツシチューを頼んでおけばそれでハズレはない……無いとは知っていても新しさを求めてしまうのもまた本能」


 メニューをめくる。久々の定番を味わいたい。しかし、新しいなにかに挑戦しつつハズレを引きたくは無い。アンビバレンスな、我がままな乙女の衝動にマリーは悩んでいた。

 上手い話などそうそうはないことはわかっている。だが上手い話に乗りたい年頃なのだ。


「あいがけ……そういう攻め方もあるのね」


 目が止まる。ライスにロールキャベツシチュー、そして辛口のチキンカレーをかけたものだ。これはいい。


「上手い話、裏があろうとも乗らせてもらいますわ……! すいません、このカレーとシチューのあいがけ1つ。あとコエドビールの伽羅も1つお願いしますわ」


「はいご注文ありがとうございます、少々お待ちください」


 水を飲み、一息つきながら店内を見渡す。


「しかしまあ入れ替わり激しい新宿で相変わらず個性的な店構えですわねぇアカシアは」


 雑居ビルや真新しい飲食店が多い新宿で、木造の落ち着いたレトロな店先は一際目を引く。どこか場違いな、浮世離れした雰囲気の店だ。


「初めて店を見つけたときは驚きましたわ」


「はいこちらコエドビールです」


「来ましたわね」


 テーブルに置かれた小瓶、そして冷えたグラス。ひたと手を置く。キンキンに冷えてやがる。


「まずはグラスのふちにつけて静かに注ぐ」


 そして次に真上でらドボドボと注ぎ泡を足す。


「黄金比の完成ですわ。そして飲む……!」


 グビリと、流し込む。


「さようなら残暑、こんにちわ秋……!」


 染み込む。夏と言うには辛すぎる、自然というには厳しすぎる季節を乗り越えて染み込むビールは、人生の味がした。

 超えていく苦難が多いほど、味わいに深みが増す。


「コエドビール、埼玉県川越の蔵醸所発のいわば地方ビールブームの火付け役と言われた存在……初めて飲みましたけれどフルーティーな香りとしっかりとした苦味がいいお味ですわね」


 定番もいいが、やはり地方色の強い色々なビールがあったほうが楽しい。最近は地方ジンも流行っているそうだ。


「はいこちらカレキャベのあいがけです」


「来ましたわね……」


 白皿中央にラグビーボール状に盛られたライス。そしてそれぞれの両端にでんと鎮座するロールキャベツ、とろりと流れるシチューとスパイシーな香り溢れるチキンカレー。


「ここはいつもロールキャベツシチューでしたけれど冒険してカレー……まずは定番を訪ねる」


 スプーンの先でロールキャベツをほぐす。煮込まれたキャベツは柔らかに砕け、その中に隠されたひき肉があらわとなる。マリーは静かにロールキャベツ、シチュー、そして米の三位一体を1口分とって口に運んだ。


「相変わらずうんめえですわねここシチュー……!」


 チキンスープの汁気たっぷりなロールキャベツの旨みが口中に広がる。まろやかなシチュー、そしてなによりも特筆すべきは。


「私、シチューにライスは合わない教信者なのですけれどここのシチューだけは米が必要なんですわ」


 アカシアのシチューは米に合う。とにかく合う。絶対に米を必要とするのだ。


「そして初めてのアカシアのカレー、辛いとは言っていますがどのようなものか」


 骨付きの鶏肉から肉を解し、ライスと共に1口。


「ザ・サティスファクション…!なるほど、癒し系シチューの後ではなかなかにハードコアよりな辛さですわ。しかし嫌いではない、嫌いではなくてよ!」


 辛くないカレーは許せない派の貴族、マリーにはスパイシーで辛いカレーは待ち望んでいたものだ。

 なによりも丸いシチューのあとではより辛さも強調される。


「この後味をビールで流し込む!」


 ぐいと傾ける酒盃。燃える辛味は苦味に流され心地よい刺激に。


「さらにシチューとカレーを合わせて味変を狙う!」


 ほどよくまぜて口に運ぶ。癒しとスパイシーが混ぜあいこれもまた美味い。


「よく辛さが円やかになるなら初めから辛くないものやスパイスを減らしたもので十分なのでは?と考える方もいるかもしれませんが」


 1口2口、スプーンが止まらない。


「スパイスや辛さを最初から控えた味と、しっかりとスパイスが効いたものに他の味を足してまろやかめにするのでは味が違うのですわ。これを理解しないものは生涯地を這う……!」


 皿が空になる。最後の1口を、最後の1口分残したビールで洗い流した。


「これが勝利の余韻……!」


 △ △ △


沖縄食堂 やんばる 跡地


「え、潰れたの!?」


 呆然とするマリー。行こうとした沖縄料理の店やんばるはビルごと無くなっていた。


「ま、まさかやんばるが無くなるなんて不況って怖いですわね……え、移転のお知らせ?」


沖縄食堂 やんばる アルタ裏


「ビルの建て替えでアルタ裏に移転してたのね……驚かせやがって」


 オレンジを基調とした暖かな店先。マリーは券売機の前でしばし考える。


──ひさびさのやんばる……何を選択するべきか。あ。ちょっと値上がりしてる。しょうがないですわね。


 ポーク卵は外しは無いが、なんか家でもべつに作れそうな気がする。ゴーヤーちゃんぷるー定食、さっき米もの食ったしなぁ。


──となれば、定番の。


 マリーは、特製やんばるそばを押した。


 券をとり、颯爽と入店する。


「あい、特製やんばるそばとオリオンビールっすね!」


 券を手渡し、どっかりと椅子に座った。


「沖縄料理、今では色々なところで食べられますけれど昔は珍しかったですわね。沖縄そばなんてこの店で初めて食べましたわ」


 沖縄そば、角煮やちぢれ麺など今風のラーメンにビジュアルが近いのだが、食べてみると当然味は全く違うのに驚いたものだ。


「はい、ビールです」


 手渡された缶とグラス。コポコポと注ぐ。

 ぐいと傾ける。


「南国は遙か遠く、されど吹く風は近く……!」


 暑い沖縄に相応しい、スッキリとした飲み口だ。


「とにかくのどごしの良さがいいですわね。飲みごたえを重視する方もおりますけれど、このまさに夏の盛り真っ只中で水のようにグビグビと飲めるビールの良さ、わたくし好みですわ」


「はい、特製やんばるそばです」


 どんぶりが置かれる。透き通ったカツオだし、特徴的な麺、そしてソーキ、軟骨ソーキ、ラフティ、スパムのスライス、かまぼこ。


「いつ見ても豚まみれの1杯ですわね……!」


 箸を手に取り、不夜城歌舞伎町に出現した豚砦にマリーは挑む。

 まずは麺、箸でリフトアップし、一気にすすりこむ。


「んん、ヘビーな見た目に反してさっぱりシンプルな塩ベースのカツオだしの味わいですわ」


 これが沖縄そばだ。近いのは見た目だけ、昨今のインパクトを重視していく方向性のラーメンとは根本的に違う。暑い熱帯夜でも無理なく毎日食べられる日常食としての麺類である。


「そして和みの中にソーキ!」


 がぶりと肉の塊を食いちぎる。ホロホロと崩れる豚肉。黒糖の甘みとまろやかさ、そして濃い醤油の味わいがそれらを彩る。

 良くいえばあっさり、悪く言えばどこかインパクトが浅かった印象にドカンと一撃が加わる。そら美味いわこんなん。

 本来は沖縄の食文化は塩の味付けが中心らしい。醤油味噌の原料となる大豆が採れにくいからだ。

 有名な豚肉食も古くは昔は晴れの日しか食べられない食材だったが、食料事情が改善された現代では豚肉がありふれたものとなった。豚肉料理の味付けは塩だけではうまくはいかない。やはり肉の味をしっかり引き立てる醤油や味噌が必要になってくる。


「そしてなんこつソーキにプルプルのラフティ……!」


 とろけた軟骨、煮溶けた皮が震える。柔らかな肉を噛み締めて、麺をすすりこむ。

 かつお出汁を飲み、追ってビール。


「やっぱ美味いですわね沖縄そば!」


 味変に卓上調味料からスプレー式のコーレーグースをそばに振りかける。辛味がついてなお美味くなる。


「たまらんですわこれは!」


 後味をビールですっきりと流しながら、新宿のど真ん中にある沖縄を堪能していく。


 △ △ △


「ありがとございましたー」


「ふぅ、南国を堪能してしまいましたわ」


 とぼとぼと、満腹感に胃をさすりながら店を出るマリー。時刻は昼をやや過ぎた。新宿は相変わらず人で溢れかえり、喧騒は日本語よりも外国語のほうが多い気がする。


「なんというか、新宿がどんどん外国になってしまっているような気がしますわ」


 外国人観光客、移民の増加、それに付随して問題も多く聞く。そんなもろもろも大きく飲み込んで変化していってしまうのがこの新宿の懐の深さなのだろうが。


「それでも、変わらないで頑張っているところもまたいじらしくて好きですわ」


 足を止めた。そこは、新宿でも古いラーメン屋。

 新宿を数十年見つめ続けた店。



 桂花ラーメン


 新宿東口を出て少し歩いた路地にその店はある。店先にほんのりとただよう豚骨のスメルに心躍らせながら、マリーは券売機の前で指を踊らせていた。


「ここ実は初めてなのよね、店前は何度か通り過ぎたけれど」


 桂花ラーメン、1955年に創業した熊本豚骨ラーメンの草分け的存在である。初めて東京に出店した豚骨ラーメン店としても有名だ。


「すでに2軒回った以上はここは軽めにこの基本メニューである桂花ラーメンで攻めたいですわね。わたくしもそろそろ大人として「ちょうどいい量」というものを知るべきなのですわ」


 すでにマリーも成人を超えており、足るを知ってもいいころである。食べ放題を潰せると本気で思えた高校時代の胃腸はもうはるか遠い。常に限界に挑んでいる場合ではないのだ。ほどほど、7割8割の満腹感で終えるのが1番優雅で健康にいい食習慣である。


「さて券売機で券を……こちらの太肉麺というナイスネーミングなほうはなんでしょうか……?トロトロ豚角煮と刻み昆布?なかなかに良さそうなものですが、生憎わたくしはそんな気分では」


 そういいながら、マリーはそっとその写真のテカリを纏う角煮を見ていた。


「そんな気分では」


 指が迷う。迷ってはいけないのに。迷えばならないのに。


「気分では……」


 やがて、指が動く。


「ありますわね」


 指先が、太肉麺大盛りを押した。


 △ △ △


「えい、太肉麺大盛りお待ち!!」


 佳花ラーメン新宿店の中は狭かった。わずか数人だけが入れるカウンター、その中を長身のマリーは身をかがませ座る。

 目の前には太肉麺の丼が構える。濃厚そうな豚骨スープに、刻み昆布、キャベツ、固茹での煮卵、そしてどうどうとした豚の角煮。その上に真っ黒な馬油が彩っている。

 香り立つニンニクと豚骨の匂い。ごくりと、喉が鳴った。


「なぜ、頼んでしまったのか」


 愚問であった。すでにラーメンは来ている。しかしこれが人生の本質だ。考えるべきときに考えず、迷うべきではないときに迷う。

 ギリシャ神話において、巨人エピメテウスは衝動的に行動し、後で考える者つまり考え無しの愚者。後考者として知られることとなる。

 だがしかし、


「そんなものに、答えなどないのですわ……!」


 マリーは箸を取った。力強く。


 不知の暗闇を切り払う力とは、思考ではなく行動である。

 その瞬間の情熱のままに突き進むことが、確実に目の前のなにかを変えていく。

 答えなど、真実など、そこになくてもいい。真実に価値があるではなく、真実を求める意思と行動にこそに意味と価値があるはずだとなんか昔見たアニメで中国人ぽいおっさんが言っていたようが気がするとマリーは思った。

 ともあれ冷める前にはよ食べようと、麺を持ち上げ一気にすすりこむ。


「…うま!」


 豚骨のコク、ニンニクの調味油である馬油、中太の麺の相性が良い。豚骨のクセが売りの店というが、そんなにキツくは感じない。まあ豚骨ラーメンというものが珍しかった時代の人にはすこし慣れないものだったのかもしれないが。

 1口、2口すすり、次に気になっていた豚の角煮に齧り付く。トロリとした脂が溶けだし、旨みが爆発する。


「うめえですわこれ!」


 本能的に大盛りにしたのは正解だった。ロールキャベツ、沖縄料理、それぞれ美味しかったが味付けは全体的に上品気味だった。そこにこんなニンニクと豚骨塗れのものを味わったら刺激は抜群だ。

 

「この刻んだ生キャベツも、麺と混ぜて食べると豚骨の濃さをいい感じに中和してさっぱり食べられますわね!」


 ずるずる、ガツガツと一気に食らいあげ、スープを飲み干す。


「ふー、完飲ですわこりゃ」


 指を離れたレンゲが丼に当たり、からんと音を立てた。



 △ △ △


「ありがとうございましたぁー 」


 ややふらつきながら、マリーは店を出る。外はやはり鬱陶しいままの雑踏。

 ドレスを翻し、淑女は颯爽と闊歩する。


「うっぷ、ふぅ、すこし……食べすぎましたかしら。角煮2連発は少々効きましたわね」


 すこしかな?


「初志を貫徹出来ないこの我が身を……許すこともまた人生を生きるための優しいコツですわ。多少の自己愛がなければ、人は生きられないのですから」


 コツかそれ。


「今日を食べすぎても、明日その分しっかりと働けばそれでカロリーゼロ。そういうものなのですわ。なのですわ。なってくれ」


 懇願するなマリー。

   

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