六章 「初日のお客さんと」
「涙するような素敵な話を、よろしければ私に聞かせてください」
夕暮れ時、きれいな灯りのもとで私は落ち着いた声で話し出した。
顔も微笑むような笑顔だ。
話すのは苦手だけど、声かけは私にやってほしいと彼が言ってきたから頑張っている。
話している人は、女性の方が相手の警戒心をなくすようだ。
声のかけ方なども彼が教えてくれた。
なんとかできているけど、慣れないから緊張して疲れる。
しかし、水篠さんは何者なのだろう。
前に少し話をして、彼に聞いたことをまとめてみる。
三十二歳で、前職で商品開発部にいたことがあること、この近くの高層マンションに一人で住んでいること、理系脳でアクティブなこと、優しくてコミュニケーション能力が高いこと。
確かに商品開発部にいたことは大きいと思う。でもこんな情報は水篠さんのほんの一部分にすぎない気がした。
まだまだ私の知らない部分があるような気がした。
それをもっと知りたいと思う私がいた。
その日は、思ったよりも人は集まらなかった。
もちろん、前に比べればかなり来ているけど、いまいち賑わっている感はなかった。
回りには数人の人が集まっている。2人ほどは、店に顔を出して話をしてくれた。
しかし、話の内容は全く中身がなく、お金目的だった。
そんな人は、すぐにわかった。
しばらくして「綺麗な人だった」とか「スタイルがすごくいい」と騒いでるのが聞こえてきた。
確かに私の見た目は少し目立つ。男の人が好きそうなきれい系な見た目だ。
見た目のことで騒ぎ立てられるのは、やはりいい気分はしなかった。
そう思っていると「葵さん、気にしないでいいですからね」と水篠さんは言ってくれた。
不意の優しさに、内心ドキッとした。
彼は本当に気が利く人だ。
私のことを気遣ってくれているのがわかって、嬉しかった。
そして、お金目的であろうと、話は最後までしっかり聞いた。
私はお金には困っていないから問題ない。
それぞれに2000円渡した。
「まあ、リニューアル初日ですからゆっくりいきましょう」
水篠さんは、そう言って缶コーヒーを手渡してくれた。
些細なことかもしれないけど、こういう気配りも心にしみる。
「そうだけどさー。せっかく頑張ったのに」
私は駄々っ子のようにジタバタした。
水色のワンピースをゆさゆさ揺らす。
そもそも、全くもって涙する話が聞けていない。
「それならこれはどうでしよう? 葵さん、SNSはやっていますか?」
水篠さんは何かひらめいたようで、そんなことを言い出した。
「やってないよー」
私は、流行りとかが嫌いだった。そんなに振り回されていたら、自由がない。
私は私の生きたいように生きるというこだわりがある。
「じゃあ、もしよければですが、今から始めてみませんか」
無理やりやらせるわけでもなく、私の意思を尊重する言い方が水篠さんらしい。
だからだろうか、そんなに嫌だと思わなかった。
そして、最近こだわりよりも、私は水篠さんと何か新しいことをすることが楽しみになっていた。
水篠さんといるとワクワクするし、楽しい。
「うん、いいけど」
「SNSで、このお店のことを『拡散』してもらうんです」
水篠さんからは本当にどんどん新しい情報が入ってくる。
「拡散?」
「ざっくり言えば、ネットを使って宣伝してもらうんです」
「宣伝といえば、ティッシュ配りとかじゃないの?」
よく町中でやっているのを見かける。
「それよりも有効な方法なんですよ。拡散してくれたら、+5000円というのはどうです?」
「今度は5000円? 設定金額が難しいー」
「宣伝には、力をいれた方がいいんですよ」
金額設定は水篠さんの得意分野だろうし、信頼しているから私はそれに了承した。
私はすぐに有名なSNSを始め、店の写真や料金表など水篠さんが指示したものを載せて、拡散希望で投稿した。
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