七章 「小さなお客さんの話」
初めてのちゃんとしたお客さんは小さな女の子だった。
小学校低学年ぐらいだろう。
夕方に繁華街の路地裏までくるのだから、何か事情があるのだろう。
うちのお店はお客さんを選んだりしないから、この子も話がある時点で立派なお客さんだ。
「お姉ちゃん、聞いて」とその子は前のめりに話し始めた。
私が席の中心に座っている。そのとなりに彼が座って一緒に聞くスタイルだ。
水篠さんはずっとニコニコしている。
私はというと、ガチガチの笑顔だった。
その子はしっかりとした口調で、くくられていない長い髪がゆれる。よく見ると、服もだいぶ汚れている。
少し違和感を感じた。
「私のお母さんはよく私を怒るの。怒られるのは、いいの。私が悪い子だからなの。でもお母さん、最近前みたいに笑わなくなったの。それが悲しい。お父さんに聞いたら、『お母さんは今少し心が風邪引いちゃってるからだよ』と言われた」
何て純粋で優しい子なんだろうと感じた。
子どもなのに、自分以外の誰かの心配をできることはすごい。
男の子より女の子の方がこういうところはしっかりしている気がする。母性のようなものがすでにあるのだろう。
しかし、体にアザがあるのを見つけてしまった。
つい自分とこの子を重ねてしまう。
私もこの子の年の頃は、親からひどい虐待を受けていた。
話を聞くだけでこの子の気持ちがただでさえ伝わってくる。
さらに自分の重ねることで余計に辛くなる。
でも、つい私は同調してしまう。
水篠さんは、そんな私に気づいたのか、積極的に話を聞き出してくれている。
「『じゃあ、どうしたらお母さんは元気になるの?』ってお父さんに聞いたの。お父さんは『庭に花が咲いてあるだろ? あの花が満開になったらきっとお母さんは元気になるよ』って言ったの。だから、私毎日お花に水をあげたの。お母さんが元気になりますようにって水をあげたの」
この子のけなげさに心が痛くなってきた。
なんの根拠もないことを言われているのに、信じて疑わない。そうすることでお母さんが元気になると本気で思っている。
しかもこの子はきっと親から暴力を受けている。
どんな理由があっても我が子に手をあげてはいけない。
それは事実だけど、この子は暴力を振るわれてもお母さんのことが好きなんだろう。
親と子ってそんなもんなんだろうか。
私には、その気持ちがわからなかった。
私は親を大切なんて一度も思ったことない。
「でも、なかなか咲かなくて、私はさらに水をたくさんあげたの。じゃあ、なんでかお花が全部枯れちゃった」
よかれと思ってやったことが残酷な現実になることが多くある。
どうして世の中は優しくないのだろう。
こんなにひたむきなのに、それぐらい叶えてあげてもいいんじゃないかと思う。
「私、お父さんに怒られると思ったの。お父さんは滅多に怒らないけど、怒るとすごく怖いの。でもお父さんが、私に頑張ったねと言ってくれた。なぜかわからないけど誉めてくれて、それが嬉しかった」
この子は日常的に誉めてもらうことが少ないのだろうか。
こんなにも素直なのに、かわいそうだ。
そして、この子はお父さんにも手をあげられているのだろう。
本当に親って一体なんなんだろうか。自分の子を大切にしないで、何を大切にすると言うのだ。
私は胸が熱くなってきた。
「そして、お父さんは『花屋さんに花束を買いにいこう』と言ったの。そこで、私はお母さんに似合う一番かわいくてきれいな花束を買った」
「それをもって家に帰っだけど、お母さんは笑顔にならなかった。でもでも、なにも言わずたくさんたくさん涙を流したの。そのあとでぎゅって私を抱き締めてくれた。お父さんも『ごめんね』と言いながら涙を流してた」
話ながらこの子もいつの間にか泣いていた。
この子から嬉しい気持ちがどんどんあふれてきた。
それを感じ取り、私はやっと落ち着くことができた。
「それからお母さんが少しだけ明るくなった。
お父さんと病院にもいくようになった。あのとき笑ってくれなかったけど、私はそれが幸せだった。私は大好きなお母さんのためになにかできたんだって思えたんだ」
泣いていた女の子は話終えて、最後に「今度こそちゃんとお庭のお花を咲かせるんだ。そしたらお母さん今よりもっともっと元気になるよね?」と笑ってきた。
「そうだね」と水篠さんは女の子の頭を撫でていた。
私は女の子の純粋で優しい気持ちを感じ、とてもいい話だと思った。
お母さんはまだ完全に元気になっていない。
そして、子供への暴力という根本的な問題は解決していない。
またこの子が暴力を振るわれるかもしれない。
しかし、あの日この子が起こした奇跡は、少しでもお母さんの心を温かくしたことは確かだ。
きっとお母さんもその事を忘れないはずだ。
どうか親子がまたみんなで笑える日が来ることを私は祈った。
幸せってなんだろう。
この子はお母さんが笑顔でいることが幸せだと言っていた。
ただそれだけでよかったのだ。
幸せは人それぞれだろう。人によってはこの子の思いが小さいことだと思う人もいるかもしれない。
でもそれを小さいと声にしていいのは、本人だけだ。
他人にどうして幸せを決めつけられなければいけないのだろうか。
幸せは他人に定義され支配されることが多い。
たからこそ、自分で幸せを守れる人になってほしいと私は思った。
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