195.
「それで何の用? わざわざ家に上げるなんて。大事な話?」
宣言通り部屋には上がらず、玄関で立ち止まった。靴を脱いだら終わりだ。きっと五分じゃ済まなくなる。それが分かっているから私は靴を脱がない。
「本当に上がらないの? 玄関で話すのもアレだし、私としては部屋に上がってもらったほうが助かるんだけど」
じっと私の顔を見つめて
「…………ちょっとだけね。すぐ会社戻るからね?」
小野寺さんの目力に負けて、結局私が折れた。
こういう時に強く断れないのは私の悪いところだと思う。流されやすいというか、なんというか。
「やった! ありがと。一名様、ご案内でーす」
「もう……」
小野寺さんに続き、洋室へと足を踏み出す。
見たところ部屋は私と同じ1K。玄関を開けるとキッチンがあり、扉の先に洋室がある。広さもだいたい同じかな。
二十代の一人暮らしはどこも似たようなものだ。
「何にもない部屋だ……」
「まだ家具が届いてなくて。ダンボールだらけで狭くてごめんねぇ」
「いや、全然……。お邪魔します」
所狭しと並ぶダンボールを避けながら、なんとか部屋の真ん中に辿り着いた。小野寺さん、意外と荷物が多いんだな……。いや、むしろ女の子ならこれくらい普通なのか……?
「それでなんの話?」
「とりあえず座ってよ。ちょっと待ってね、クッションはこのダンボールに……あれ?」
小野寺さんが開けたダンボールの中には服や鞄が入っていた。この中にクッションは入っていない。
「良いよ、クッションなくても。そんな長居しないし」
「えー。ごめん。この箱に入ってると思ったんだけどー……」
小野寺さんは諦めきれず辺りを見渡したがどのダンボールに入っているのか
それを見て流石に立ちっぱなしなのも……と、私も床に座る。
「本当に何の話? こう言うのもなんだけど、私と小野寺さんってあんまり仲良くないじゃん。
「わぁ。はっきり言うねぇ……」
私の言葉で気分を害した様子など全くなく、むしろ可笑しそうに笑っている。
「じゃあこれから仲良くしようよ。たった二人の同期なんだし」
「聞いたの? みんな辞めたって」
「メールで知ったよ。一年くらい前だっけ。一気に辞めたよねぇ。結婚とかかなぁ……。ああ、転職かもしれないか。みんな充実してるねぇ」
「そうだね。…………話、脱線してない?」
思わず頷き、同期の話をしそうになったがすんでのところで踏みとどまった。危ない、危ない。小野寺さんのペースに飲み込まれるところだった。
「確かに。脱線してるねぇ」
「してるねぇ、じゃなくて。そろそろ本題に入ってよ。……帰るよ?」
「ごめん、ごめん。ちゃんと話すから帰らないでよ」
ぺろりと舌を出し、小野寺さんは笑う。とても反省しているようには見えない。
さっきからへらへらと笑い、誤魔化してばかり。
何か言いにくい話なんだろうか。見かけによらず、すごく深刻な悩みがある、とか……? なんにせよ、見当が付かない。
「一個、相談があって」
「うん」
「名古屋のアパートの退去日が週末なんだけど」
「うん」
「付いて来てくれない?」
「うん……? なんで?」
いや、本当に。なんで? 荷物は運び終わっているようだし、私が手伝えることなんて無さそうだけど。
「うんって言ったよね? 決定ね?」
「待ってよ、今のうんは肯定じゃなくて——」
「日曜日、十時に駅集合で!」
全然話を聞いてくれない……! 彩織と出かけるのは土曜日だから、空いてるっちゃ空いてるけども!
「強引すぎ。付いて行くのは……まあ、良いとして。理由はちゃんと教えてくれる?」
「良いの? 本当に付いて来てくれるの?」
「小野寺さんが決定したんでしょ。別に予定入ってないから良いよ」
「ありがとう!」
ホッとしたような、安心したような。気の抜けた顔で小野寺さんは脱力したように肩の力を抜いた。
「それで。なんで私に付いて来てほしいの?」
「それは……」
顔をしかめ、小野寺さんは言い淀んだ。
「その。ストーカーが怖くて……」
「ストーカー?」
「うん……。数週間前からアパートの近くを歩く時、誰かが後ろから付いて来てるような気がして……。別に自意識過剰なわけじゃないからね? 本当に怖かったんだからね?」
「分かってるよ。そうは言ってない」
ストーカー、か……。まさか出向先でそんな被害にあっていたなんて……。
「その人、家まで付いてくるの?」
「家には来てない。オートロックだからわりと安心なの。でも外を歩く時にね……」
「家族には相談した?」
「してない。言えないよ、こんなの。心配かけたくないし」
果たして私が付いて行くだけで効果があるのか。引っ越して二度とストーカーされなくなるのなら安心だけど、隣の県だし、どこでばったり会うか分かったもんじゃない。その時、一番怖い思いをするのは小野寺さんだ。
「ねえ。それ、私も付いて行くけど、他の人も誘わない? 多い方が安心じゃん」
「他の人って……。頼れる人がいないよ。いたら藤代さんに頼んでない」
確かに。さほど仲良くない私に頼むくらいだから相当切羽詰まっていたのだろう。
「私が頼んでみる。やっぱり男の人を誘おうよ。そのほうが安心だよ」
「男の人が付いて来てくれるなら心強いけど、誰に……?」
小野寺さんが困惑した顔で私を見る。心当たりが全くないのだろう。
私も数ヶ月前なら全く心当たりがなかった。だけど今は——
「改善チームのみんなに相談する。三人のうち、誰か一人でも付いて来てくれたら安心だから」
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