194.

「すみません。領収書ください」


 お昼休憩が終わり、タカギ園芸にやって来た。会社からは少し遠い、車でニ十分といったところか。早速、花壇の整備に使う種や土を買いに来たのだ。


「宛名はどうしましょうか」

「えっと。これで……」

「かしこまりました」


 野中さんのメールをを見せる。宛名、但し書き、注意事項。全部載せてくれたから印刷して持ってきた。この紙さえ見せれば間違いない。


「こちら領収書とレシートになります」

「ありがとうございます」

「重いのでお車までお運びしますね」

「あ、すみません……。ありがとうございます」


 レジのお兄さんはにっこり笑うとカウンター近くに置いてあった台車を持ってきてくれた。土や肥料を軽々と台車に載せていく。




「これで全部ですかね」

「ありがとうございます、本当に」

「いえ。またのお越しをお待ちしております」


 車のトランクに全て載せ終え、お兄さんは軽く会釈して去って行く。気持ちの良い対応で思わず私も微笑んでしまった。接客業ってすごいな……。


「これで全部……かな……?」


 事前に用意してきた買うものリストとさっき買った商品たちを見比べ、一つずつ確認する。種、土、肥料。これだけあれば良いんだよね。

 買い忘れはないようだ。全部ある。それが確認できればあとは会社に帰るだけ。

 トランクを閉じ、運転席へと戻る。キーを回し、エンジンをかけた。

 左右と前後を確認し、ゆっくりと車を発進させる。社有車に乗っている以上、いつもより安全運転だ。事故ったら洒落にならない。


「…………」


 当たり前だけど車内は静かだ。一人で乗っているから話し声は聞こえない。

 それが今は、少しだけ寂しく感じる。変だな、毎日会社に行く時も一人で車に乗っているはずなのに。


「ラジオとか使って良いかな……」


 赤信号に引っ掛かった隙にラジオをつけてみる。

 適当に番組を変えていくと、ひたすら音楽が流れる番組に辿り着いた。誰の曲か分からないけど、ゆったりしていて聴きやすい。せっかくだからこのまま流しておこう。

 信号が青に変わり、車は再び走り出す。

 この先の交差点を右に曲がれば、あとは真っ直ぐ走るだけ。

 さっきまで道路の狭い住宅街を走っていたから気を張っていた。だけど、ここまで帰ってこればひと安心だ。

 早く帰ろう。今日中に出来ることはしておきたい。野中さんたちを呼ぶ前に、すぐ取り掛かれるように準備しておかないと。









「戻りました」

「お。藤代ふじしろさん、おかえり」


 事務所に入るとちょうど野中さんが入口近くに立っていた。どうやら誰かと話している最中のようで——


「藤代さんだぁ。久しぶり」

「え、小野寺おのでらさん……?」


 明日の午後から出社予定って言ってたのに。まさか会社にいると思っていなくて、素っ頓狂な声が出てしまった。


「仕事は明日の午後からだけど、挨拶だけ来たんだって。この後は新しいアパートに行くのかな?」

「そうです。鍵は貰ってるので名古屋から届いた荷物を片付けないと」


 なるほど。二人の話によると小野寺さんは昨日と今日は引っ越し休暇を取っていたらしい。荷物が届くのを待つ間に会社に寄ってみたそうだ。



「…………」


 野中さんや課長たちと楽しそうに話す小野寺さんをじっと見つめる。私は久しぶりすぎて上手く話せそうにない。初対面じゃないのに今日初めて会ったみたいだ。

 だけど彼女は楽しそうにしている。野中さんたちも私と同じくらい長く会っていなかったはずなのに。彼女は楽しそうに話している。




「……あ、そうだ。社有車の鍵返さないと」


 なんとなくその場に居づらくて、小さく呟いた。このままここを離れて——


「ああ、そうか。ちょうど社有車の鍵あるじゃん、ここに。藤代さん、悪いけど社有車で小野寺さんを送ってあげてくれない? 足がないんだって」

「え。今ですか?」

「どうする? 小野寺さん」

「仕事の邪魔になっちゃうからこのへんで失礼します。あ、これは名古屋のお土産です。良かったらみんなで食べてください」

「ありがとう」


 手土産を手渡し、明日からお願いしますと小野寺さんは頭を下げた。それに野中さんたちも明るく応える。


「じゃあ、ごめんけど藤代さんお願いね」

「はい」



 事務所を出て、駐車場へと向かう。道中、私たちは無言だった。何を話せば良いのか、小野寺さんも考えあぐねているようだった。


「……じゃあ、出すよ」

「お願いしまーす」


 ゆっくりと車は走り出し、会社を後にする。ナビは新しい小野寺さんのアパートを目指さし、細かく指示を出す。見たところ会社の近くだ。数分で着くだろう。




「…………」

「ねえ、藤代さん」

「なに?」

「会いたかった」

「……ッ」


 思いがけない言葉に息が詰まる。信号が赤で良かった。


「藤代さんも会いたかった? 私に」

「え。別に……?」

「もう。そんなこと言わないの。そこは素直に会いたかったって言ってよぉ」


 素直に言った結果なんだけど……。

 小野寺さんは甘ったるい声で尚も話し続ける。私が運転しているはずなのに、逃げ出したくなる居心地の悪さだ。




「……着いたけど」


 さっきから車は止まっているのに小野寺さんは一向に降りようとしない。


「うん。送ってくれてありがと。ちょっとだけ部屋上がってく?」

「やめとく。会社に戻らないといけないから」

「ちょっとだけ。ね? ちょっとだけで良いから」


 何故そうも必死なのか。私には分からない。部屋に何があるのかも、小野寺さんの思惑も。私には、分からない。


「五分で良いから上がっていってよ。お願い」

「玄関までなら……」


 結局断りきれず、エンジンを切った。一体五分間で何をしようと、話そうとしているのか知らないけど、それくらいの時間ならここに居座ったって構わないだろう。

 明日から同じプロジェクトで働く仲間なんだから、きっとこれもコミュニケーションの一環だ——

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