189.
「じゃあ、私はそろそろ帰るね。ごめんね、急にお邪魔しちゃって」
「全然。寂しくなったらいつでも来て良いよ」
いくら
「送るよ」
「え。いいよ、電車で帰るから。まだ終電まで時間あるし」
「もう暗いから。アパートどこ?」
車の鍵を片手に尋ねると双葉さんは少しだけ申し訳なさそうな顔をした。どうせ上大沢なんてここからニ十分とかからない、気にしなくて良いのに。
「ここ。駅裏から国道に出る途中で曲がるんだけど……大丈夫?」
「大丈夫。アパートまで送るよ。
留守を彩織に任せ、双葉さんと二人で車に乗り込む。流石にこの時間に出掛ける住人はいないらしく、全ての車が静かに並んでいた。
「彩織ちゃん、めっちゃ良い子だねぇ……」
「うん。良い子」
双葉さんがしみじみと言うものだから、私まで感傷に浸りそうになる。
彩織は優しくて良い子。出会った時からずっとそうだ。変に擦れていないし、ネガティブすぎるわけでもない。
まだ二回しか会ったことのない双葉さんでもそれがすぐに分かるほど、彩織は良い子なんだ。
「
「そう?」
「口元、ニヤついてる」
彩織のことを褒められると自分のことのように嬉しい。双葉さんがうちに来てからずっとそれが止まらない。事あるごとに彩織のことを褒めるんだもん、仕方ないよ。
「失礼な話なんだけど。最初は似合わないなって思ったの、藤代さんが誰かと付き合うのが」
「それは……私が彩織に釣り合わないってこと?」
「ううん、そうじゃない。そうじゃなくて。藤代さんって良い意味でも悪い意味でも人に興味がない人だったから、さ……」
……ああ、確かに。彩織と出会うまで確かにそうだった。誰が何を言おうと、何をしていようと私には関係ないと思っていた。
だけどあの日、玄関の前で座り込む彩織を見て、彩織に出会って私は変わった。
前の私しか知らない人は不思議に思うだろう。この今の、私の現状を見て。
「誰かのことを好きになれる人なんだって、ちょっと驚いた。しかも好きどころか、大好きじゃん、彩織ちゃんのこと」
「……うん」
「それでね。なんていうか、親近感が沸いて。話しかけやすくなった。前からずっと仲良くしたかったから嬉しい」
運転に集中しているから双葉さんの表情は見えない。だけど、隣から聞こえる声は本当に嬉しそうで。見なくても顔が見える。
「今はすごく応援してる、二人のこと。やっぱりどうしても世間の目というか、世の中の当たり前に押しつぶされそうになる時があるから。身近に二人が居てくれるだけですごく、安心する……」
黄色信号が赤信号に変わった。ゆっくりとスピードを落とし、車を止める。
「私は……彩織と彩織のお母さん。その二人が認めてくれたらそれで良い。それ以外は…………知らない」
「……藤代さんらしいね」
ふ、と双葉さんは薄く笑う。まるで私が言うことが分かっていたかのように。
「あー。なんかいろいろ考えてたのが馬鹿らしくなってきちゃった!」
「……?」
「そんな心配そうな顔しないで。深刻な話じゃないから」
信号が青に変わり、再び車は走り出す。その波に乗るように私もアクセルを踏み込んだ。
「会社でね、最近言われるの。結婚しないの? って」
「あー……」
「二十歳なんてまだまだ若いのに、周りが結婚しだすとね、言われるんだよねぇ……」
「分かるかも……」
改善チームでそういうことを言う人はいないけど、課長や係長に言われたことはある。セクハラって言われても文句言えないと思うんだけどな、あれ。
「でも、もうどうでもいいや。周りに心配されなくても私は十分幸せだし。流されて急いで結婚するほうがよっぽど不幸だよ、私にとっては」
「ね。他人にとやかく言われたくないよね」
「思う、思う。私の何を知ってるんだ、ってね」
話し出したら止まらない、日々の愚痴。女社会である管理棟で仕事をしていると言えない愚痴が蓄積していくらしい。
そういう意味では製造課は男の人ばかりだし、楽だ。
「どうして、どこに行ってもお
「そりゃあ、いるでしょ。製造課にもいるよ」
「うちのとこは本当にひどいの。この前なんてさ、休憩前にシュレッダーかけてただけで——」
お酒は入っていないはずだけど、双葉さんの饒舌な口は止まらない。だけど、嫌じゃない。普段違う部署で働いているから他部署の話は新鮮で面白い。
「藤代さんは何かないの? 愚痴でもなんでも。あんまりそういうこと言わないよね?」
一通り話し終えたからか、双葉さんは私に話を促す。
確かにあまり愚痴を溢したことはない。他人に話すほど不満に思っていることなんか無いんだよなぁ……。
「え、本当に無いの?」
「うーん……今のチームって本当に隙が無いっていうか、良く出来てるから。野中さんが上司だと休みも取りやすいし」
「昨日も休めたし?」
「そうそう」
彩織のお母さんとの一件はさっき双葉さんに話した。双葉さんになら、と彩織が頷いてくれたから。
話を聞いた時の双葉さんは何とも言えない表情をしていたけど、吹っ切れた彩織を見て優しく笑ってくれた。
「まあ、なんにせよ。藤代さんが幸せそうで何よりだよ」
「ありがとう」
彩織に向けた笑みに負けないぐらい、双葉さんは私にも優しく笑いかけてくれた。
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