177.

「びっくりした……。今日はあっちに泊まるかと思った」

「だって、どうせお母さんは仕事だし……。一人で家にいてもつまんないじゃん。明日の朝、学校に行く前にお母さんの顔を見てくるよ」


 家に戻って一時間もしないうちに彩織が帰ってきた。てっきりあのまま家に残るものだと思っていたから驚いた。


「それ、私も貰って良い?」

「もちろん。こっちで良い?」

「うん。ありがと」


 さっき彩織に預けたコンビニ袋はまだ手付かずの状態だった。食べる前に私とお母さんの会話が聞こえて、急いで駆けつけてくれたのだろう。


「わあ、梅味だ。好きって言ってたの覚えてたの?」

「うん。前にコンビニでおにぎり買った時、梅が好きって言ってたよね。ちゃんと覚えてるよ」


 もちろん覚えている。初めて彩織がうちに泊まった時の話だ。

 あれからまだ二週間くらいしか経っていないなんて。もう随分と長い時間を彩織と一緒に過ごしたような気がする。


「嬉しい」

「うん?」

「私の好みを覚えていてくれて、嬉しいよ」


 そう言ってふわりと笑う彩織は憑き物が落ちたかのように清々しい表情を浮かべていた。









 お風呂を出るともう良い時間。良い子は寝る時間だ。もちろん私たちもベッドで横になろうと……。


「羚ちゃん、もうちょっと詰めて……」

「ん、もう結構ギリギリ」


 やっぱりこのベッドに二人で寝ころぶのは狭いなぁ。部屋で使ってる家具は全部、次のアパートに持ち込もうと思っていたけど、買い替えても良いかもしれない。こういう時くらいしかタイミングが無いだろうし。


「彩織。次のアパートに住む時に家具とか、どうする? 家電はここで使ってるものを持っていこうと思ってるんだけど」

「家具って……ベッドとか机だよね。自分で買うよ。バイトの貯金が結構貯まってるから大丈夫」

「そう? 私もベッドを買い替えようと思ってるから一緒に買っても——」

「駄目! 自分で出すから!」

「分かった、分かった。今度一緒に見に行こうね」


 頑なに拒む彩織を見てくすりと笑う。頑固なところはあのお母さんとそっくりだ。


「あとは何を買えば良いのかな。羚ちゃんが一人暮らしを始めた時は最初に何買った?」

「私? 私は……冷蔵庫と洗濯機かな。ベッドとか机は無くても生きていけるし。テレビを買ったのもここに住み始めてからだいぶ経ってからだったと思う」


 確かあの時は貯金のほとんどを家電に使ってしまって、お金が無くなったんだっけ。

 今、考えるとかなり無茶をした。まだお給料を貰ってないのに実家を飛び出して、このアパートを借りて。生活が安定するまでかなりの時間を要した。


「彩織は自分の部屋で使う家具を揃えると良いよ。社会人になったら宿題はないけど、机はあったほうが良いと思う。資格取得とか。会社で取らせてもらったりするかもだし」

「分かった。何を部屋に置くのか考えてみるよ」

「部屋の間取りは明日送るね。どういうレイアウトにしようか考えておくと家具選びが捗るよ」

「ありがとう。こういうの考えるの楽しいね。新生活の始まりみたいで」


 新しい部屋のことを考えるとワクワクする。今より広い部屋、築年数も浅い。エアコンが二つあるのも助かる。

 何より、同じ家に彩織がいる。家に帰ったら毎日彩織に会える。それだけで私にとっての最優良物件なのだ。





「…………」

「…………」


 会話は途切れ、静寂な時間が訪れた。背中に僅かな温かみを感じる。今日は腕枕の気分じゃなかったらしい。

 彩織、もう寝ちゃったかな……。



「……寝た?」

「ううん。起きてる」

「……わ。どうしたの、急に」


 もぞもぞと動いてると思ったら足を絡ませてきた。すべすべの肌が触れて気持ち良い。


「もうちょっとくっつこうと思って。今だけだもん、こうやって羚ちゃんに引っ付いて寝れるの。夏になったら暑いから無理じゃん」

「あー、確かに。夏はくっついてたら暑いもんね」


 そう言われてみると確かに今のうちだな、こうやって二人で同じベッドで寝るのも。

 寝返りを打ち、彩織と向き合う。ほら、と手を差し出すとするりと私の胸元に顔を寄せた。


「会ったばかりの時はさ……」

「うん」

「変な子だなーって思ってたんだよ。歪んでるというか、大人びて見えるというか」

「……それって褒めてる? 貶してる?」

「どっちも」

「えー⁉」


 初めて会った日の彩織は遠慮もせずに私の部屋へと上がり込んできた。知らない大人の部屋だというのに。

 距離感おかしいし、すぐに懐くし。変な子だなーって思ってた。

 だけど思いつめた表情で夜の街を歩いているところを見て、ようやく私は気付いた。

 この子も私と同じで独りで寂しいんだって。


「今はどう見えてるの? 私のこと」

「寂しがり屋の子ども」

「それは……貶してる?」

「ないない。ないから。ただ……私と似てるなって思うよ」

「羚ちゃんと……?」

「もう寝よ。明日起きられなくなる」


 寂しがり屋の私たちは今日もお互いを甘やかす。そうしないと死んでしまいたくなる。

 もう私は知ってしまったから。彩織と一緒にいるだけで、こんなにも生きやすいってことを。

 だから今日も私たちは、お互いに寄りかかって生きていく——

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