165.

「知ってる。私も……知ってるよ」


 良かった。彩織いおりの味方は私や小陽ちゃんだけじゃない。身近に、学校にいるんだ。


「ふぅん。仲良いんだね、うちの生徒と」

「まあ、お隣さんだし……」

「そういうことにしとくよ」


 相川さんはクスリと笑い、それ以上追及はしてこなかった。昔のクラスメイトとは言え、彩織の副担任に付き合っていることはバレたくないな……。


「じゃあ、今日わざわざ家まで来たのって……」

「うん、藤代ふじしろさんが考えている通りだよ。無事かどうか確かめに来た」


 つまり相川さんも風邪で欠席だと聞き、それを怪しんだ。本当は怪我をして動けないんじゃないかって。私と同じだ。


「……こんなことを言うのは違うかもしれないんだけど」

「良いよ。なんでも言って」

「どうして、今日なの? もっと早くどうにか出来なかったの? 彩織はもう……三年生なんだよ……?」


 私だって人のことを言えないけれど、言わずにはいられない。周りの大人がちゃんと気づいて行動していれば、もっと早くどうにか出来たかもしれないのに……!


「ごめんね」

「謝って欲しいわけじゃない……!」

「藤代さんが言いたいことは分かってる。……腐ってるんだよ、うちの先生たちは」

「……ッ!」


 さっきまでのように、にこにこ顔だった相川さんはどこにもいない。その目の奥底には確かに私と同じ火種が燃えている。


「私が彩織さんのクラスの副担任になったのは今年からだけど……前から知ってたんだよ、彼女のことは」

「それは、どうして?」

「生徒たちから聞いたから。体に打撲痕があるって」


 小陽ちゃんと同じ。相川さんも知ってるんだ。

 私は知らなかったな……こんなに側にいたのに……。


「それで……彩織とは何か話した?」

「もちろん話したよ。その打撲痕どうしたのって。最初はめちゃくちゃ警戒されて何も話してくれなかったけど……。去年の秋ぐらいかな、少しずつ家のことを話してくれるようになったよ」

「なんて、言ってたの?」

「家にいるのが嫌だって。でもお母さんのことを嫌いになれないって。結局、あの子は一度も私に……助けてって言ってくれなかった」

「……それで今日まで何もしなかったの? 見て見ぬふりをしたの?」


 思わず語気が荒げてしまい、自己嫌悪に陥る。相川さんが悪いわけじゃないのに……私は……。


「私だって動こうとしたよ。他の先輩……先生たちに相談した。だけど、証拠もないのに動けないって」

「証拠はあるでしょ、彩織の身体に……!」

「面倒なことに関わりたがらないんだよ。本当に、腐ってる」


 もう一度、口を開こうとしたが出来なかった。悲痛な表情をした相川さんを見ていたら、声に出せなくなってしまった。




 ガチャ……。


「……え?」


 玄関の開く音。そして階段を下りていく音。

 いくらなんでも早すぎる。まだ九時前なのに。体調が悪い彩織を放ってどこに行くんだ……!


「ちょっと。どうしたの」

「今、彩織のお母さんが出て行った。音で分かる」

「え、音で分かるの? こわ……」

「そんなこと言ってる場合じゃないって!」


 慌ててスマホを取り出し、彩織に電話をかける。お願いだから出て……!



『……もしもし?』

『彩織⁉ 大丈夫⁉』

『……大丈夫、だよ』

『熱は?』

『……なんで羚ちゃんが知ってるの?』

『そんなことは良いから。まだ熱ある? 風邪引いてるんだよね?』

『風邪は……引いてない。熱もないよ』


 じゃあなんであんなに青白い顔をしていたの。なんで今日学校を休んだの。聞きたいことは山ほどあるけど、上手く口から出て行かない。


『今、お母さん出て行った?』

『うん。仕事行くって』

『じゃあ……』


 うちに来れる?

 そう言うと彩織は少しだけ悩んだ。返事を待つ数秒間が何時間にも感じられる、それくらい奇妙な間。彩織、何を考えてるの……?


『……羚ちゃんが良いなら行く』

『待ってる』


 スマホをベッドに放り投げ、急いで玄関に。

 相川さんが呆気に取られたように私を見ていたが、それを気にしている余裕はない。

 鍵を開け、扉を——


「……お邪魔します」

「いらっしゃい」


 さっきのパジャマ姿とは違い、彩織はスウェットに着替えていた。その表情は暗い。



「どうして先生がいるの……?」

「あ、彩織さん。さっきぶり」

「その、流れでうちに……」

「ふぅん……」


 部屋の中でくつろぐ相川さんを見て、彩織は一瞬だけ不機嫌になったがすぐに元通り。相川さんが帰った後に問い詰められるやつかな、これ……。



「風邪じゃなかったの?」

「……ごめんなさい」

「別に怒ってないよ。でも理由は教えて欲しいかな」

「…………」


 こうして見ると確かに先生らしい。いつも大人っぽく見える彩織も、相川さんと向かい合っていると年相応に見えるから不思議だ。


「相川さん。ちょっとあっち向いてて」

「え、なんで?」

「いいから。……彩織、服脱いでくれる?」

「……ッ!」


 彩織が目を見開き、体を固くする。私に知られていることを察したようだ。


「な、なんで……。嫌だよ、先生もいるしっ!」

「先生は後ろ向いてるから見えないよ。……脱がすよ?」

「い、嫌だ……!」


 暴れる彩織の両手を掴み、少しだけ服を捲った。お腹周りに……打撲痕。小陽ちゃんや相川さんが言う通り、そこには痛々しい痕が疎らに浮かんでいる。これ、全部あの人が……!


「言ってくれないと分かんないじゃん……! 痛いなら痛いって言ってよ……!」

「い、言いたくないっ」

「なんで」

「こんなの見られたくなかった。傷だらけで汚いから……見るならもっとちゃんと治ってからにしてよ……」


 そんなことを気にしていたのか。汚いところなんて一つもない。思うはずもない。


「汚くない。大丈夫。大丈夫だよ。だから落ち着いて。……ね?」


 ぎゅっと抱き締め、背中を優しく撫でる。

 今までずっとこれを隠してきたのか。心も体も痛かっただろうに。何にも……気づいてあげられなかった。


「……本当にそう思ってる?」

「思ってるよ」

「本当に? こんな体……触りたくないでしょ」

「そんなことないよ。触りた…………あ」


 忘れてた。相川さんもいるんだった。

 ギギギとロボットのようなぎこちない動きで振り向くと、不穏な表情をした相川さんがこちらを見ていた。



「二人は……どういう関係?」

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