114.

 かえでさんが興味を示したラインや部屋に案内した。第一棟も第二棟も、少し離れた場所にある第三棟も。時間が許す限り二人で一緒に回った。


「だいたいイメージは沸いたかな。これで一旦考えてみる。今日はありがとう。案内してくれて」

「いえ、仕事なので。もう事務所に戻りますか?」

「そうだね。谷崎たにざきさんに帰る前に寄りますって言っちゃったし。私も一緒に事務所行くよ」


 第三棟を出て、再び第一棟へと戻る。

 ここ、第三棟は工場の中でも少し特殊な場所だ。敷地内ではあるけど公道を挟んだ先に位置している。第一棟から歩いていくだけで片道二十分もかかってしまうくらい離れているのだ。


「私が見たことがある工場ってここだけだからこれが普通なのかもしれないけどさ、本当に広いよね」

「私も工場はここしか知らないので分からないですけど、広いと思います」


 未だに行ったことがない場所だっていくつかある。この第三棟すら中に入るのは今日が初めてだった。

 普段打ち合わせで使用している会議棟だって改善チームに異動しなければ足を踏み入れることはなかっただろう。

 それくらい敷地面積が広いのだ、この会社は。


「公道挟んだ先にも建屋があるって相当だよ。迷子にならない?」

「たまに……」


 行ったことがない棟やラインに行く時はあらかじめ場所をマップで見ておかないと迷う。本当に。


「これマジで一人で歩くのは無理だわ。案内頼んで本当に良かった。次も藤代ふじしろさんが良いですって言おうかなー」

「え、私の名前出したんですか?」

「出したよ、谷崎さんに。案内は誰が良いかなって言ってたから藤代さんでって」

「そうですか……」

「今日忙しかった? だとしたら、ごめんね?」

「いや、全然。明日からは実践が始まるから忙しいけど、今日は何もなかったです」

「そう? なら良かった」



 距離が離れていても楓さんと話しているとあっという間だった。目の前には第一棟の扉が。


「時計……」


 楓さんはきょろきょろと辺りを見渡した。時計を探しているようだ。残念ながらここに時計はない。もう少し離れた場所の壁に設置してあったはずだ。


「今は……十五時前ですね。あと数分で休憩時間だ」


 だから持っていたスマホを楓さんに差し出した。


「結構いい時間だね。谷崎さんに一声かけたら帰るよ」

「分かりました」


 事務所の中央、お客さん用の扉を開けた。ちょうど離席しようとしていた谷崎課長と目が合った。


「課長、下見が終わりました」

「本日はありがとうございました。来月に載せるイメージも沸いたので、このまま帰社しようと思います」

「いえいえ、こちらこそ。来月もよろしくお願いします」

「では私はこれで」


 手荷物を手早くまとめ、楓さんは事務所内に向かって会釈した。


「藤代さん。駐車場までお見送りしてきてもらって良い?」

「分かりました」

「いえ、お見送りは不要です。もう駐車場までの道は覚えましたから。藤代さん、長い時間付き合ってくれてありがとね」


 さらりと課長の申し出を断り、楓さんは今度こそ帰って行った。




「三ノ宮さんのみやさん……めっちゃ美人やなぁ……。俺もあと二十若ければ……」


 腕を組みながら谷崎課長はしみじみと呟く。


「そうですねぇ。めちゃくちゃ綺麗な人でしたねぇ」


 近くに居た多井田おいださんも同調し、二人揃ってうんうんと頷いている。


「いくつくらいの人なんやろ……。藤代さんより少し上くらいか?」

「いえ。三ノ宮さんは私より五つ年上ですよ」

「でも二十代か。若いな、やっぱ。なあ、多井田くん」

「俺とちょうど三個差ですね」

「多井田くんもいい歳なんだから。そろそろ結婚とか……」

「結婚以前に彼女が出来ないです……」



 なんとなく居づらくなって、話を振られる前に自分の席に戻る。

 きっとあのまま課長たちの近くに居たら同じことを言われていただろうから。谷崎課長は悪い人じゃないけど、人のプライベートに口を出すきらいがある。

 彼氏とか結婚とか。普通の話題なのかもしれないけど、私にとってはあまり話したくない話題だ。


「おかえり。藤代さん」

「野中さん……ただいまです」

「多井田、課長に絡まれてるなぁ」

「はい。長くなりそうだったので置いてきちゃいました」


 席に戻ってから課長席に視線を向けると二人はまだ話し込んでいた。声が大きいから二人の会話は筒抜けだ。


「彼女ねぇ……。そういや、多井田からそういう話は聞いたことないな。アイツ、釣りとパチンコと競馬ばっかだからな」

「あー。俺、昨日多井田さんと会いましたよ。パチ屋で」

「松野、パチンコ止めたって言ってなかったっけ?」

「昨日は嫁が子供連れて実家帰ってたんで久々に行ったっす。大負けしましたけど」


 パチンコも競馬も私には縁がない。釣りは……小さいの頃に一回だけ連れて行ってもらったことがあったかな。あんまり覚えてないけど。


「多井田は金もあって、優しくて良い奴なんだけどなぁ。彼女いないのが不思議だわ、マジで」

「そうっすねぇ……」


 二人がしみじみと話しているのを聞きながら手元のパソコンを開いた。

 メールの通知が一件。野中さんからだ。私が撮った写真をまとめてくれたらしい。


「野中さん、メール見ました。ありがとうございます」

「どういたしまして。写真の横にコメントだけ入れといてくれる? ここが不安全状態です、みたいな」

「分かりました」


 休憩の終わりを知らせるチャイムが鳴り、みんないそいそとパソコンを触り始めた。さっきまで課長と話していた多井田さんも自分の席に戻ってきている。

 私も仕事しよう。定時まであと二時間弱。今日中にコメントを打ち終えたい——

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る