100.

「もうかえでさんにそそのかされちゃ駄目だよ? れいちゃんは私のなんだから」


 付き合うと決まったものの、彩織いおりの表情は硬い。もう楓さんとは彩織が心配するようなことは何もないんだけどな……。


「さっきも言ったけど、楓さんはもうただの友達だから。何もないよ」

「そうだけど……。羚ちゃんが取られないか心配なんだもん」


 ちゃんと楓さんと友達に戻った話もしたはずだけど、彩織はまだ楓さんを警戒している。

 そういえば二人って私が酔ってる時に話してたんだよね。あの時、何を話してたんだろう。

 楓さんからは一部始終しか聞いてないし、彩織にも聞いてみるか。


「昨日、楓さんと会ったんだよね? 何か話した?」

「……少しだけ」

「何を話してたの?」


 さっきまで饒舌じょうぜつだった彩織は真一文字に口を結んだまま何も語らない。部屋のあちこちに視線を向け、あたふたしている。


「言いにくいことなの?」

「いや……言いにくいっていうか……」


 もごもごと口を動かすだけで言葉は一向に出てこない。こんなに動揺している彩織は初めて見た。


「…………耳貸して」


 よっぽど言い辛かったらしく、耳元に口を寄せた。

 そんなに、なの? そんなに言い辛いことってある?

 私がいないところで何の話をしてるの、二人とも——




「楓さんが…………羚はドMだから、ちょっとキツめのことをしたほうが悦ぶよって」

「なっ……! あいつ……!」


 つい言葉を荒げてしまうほど衝撃的だった。そんなことを彩織に言ったのか、あの人……!

 今度会ったら怒る。しっかりと、二度と同じことをしないように強めに怒る。言って良いことと悪いことの区別くらいつけてほしい、いい大人なんだから。


「ちがっ、違うから、ね?」

「……本当に?」

「本当に。楓さんのリップサービスだよ、きっと。……なんて話をしてるのさ、二人とも。もっと、こう……ドロドロとした話でもしてたのかと思ってた」

「最初はちょっと嫉妬しちゃって上手く話せなかったよ。楓さんが羚ちゃんの元カノって言うから……。でも案外、話してたら気が合っちゃって。羚ちゃんの話を聞かせてもらってた」


 自分がいないところで話題に上がるのはなんだか気恥ずかしい。

 しかも、よりにもよって楓さんと彩織。楓さんはさとい人だ。少し話しただけで彩織の気持ちに気付いたはずだ。

 それを知った上であんなことを教えるなんて、やっぱりどうかしてると思う。


「他には? 他にも何か言われたの?」

「そんな大した話をしなかったけど。……ああ、でも最後に一つだけ。帰る間際に楓さんが、羚のことよろしくねって」

「……そう」


 楓さん、そんなこと言ったんだ。

 やっぱり彩織の気持ちに気付いて、それで——


「すぐ自分を責める癖があるから、認めてあげてって。羚の良いところをたくさん教えてあげてねって言われたよ」

「楓さんがそんなことを……」

「最初は意地悪な人かと思ったけど、そんなことなかった。優しい人だったよ」


 本当に、あの人は……。悪い大人なのに優しいから困る。

 いつもそうだ。散々私を傷つけておきながら、私に優しくする。本当に……困った人。

 これからは間違えない。楓さんの時みたいに、後悔しないように彩織と恋愛がしたい。



「ねえ、羚ちゃん。時間が……」

「え。あ、もう九時なんだ」


 言われて、時計に目を向けると既に時刻は午後九時を過ぎていた。

 話に集中していて気づかなかったけど、彩織が家に来てから既に二時間以上経過している。


「もう帰る?」

「…………我が儘言っても良い?」

「良いよ」

「泊りたい」


 そう言うと思っていた。

 どうせ明日は一緒に出掛けるんだ。泊まってもらったほうが都合が良い。


「良いよ、泊まっても。明日は私の車で一緒に行こう」


 そんなことを言ってみたものの、彩織はそれが建前である事に気付いているようだ。


「そうだね、明日一緒に出掛けるもんね。……でもね? 私は羚ちゃんともう少しだけ一緒にいたいから泊まりたいと思ったんだけど、羚ちゃんはどう?」

「うん。私もまだ……もっと彩織と一緒にいたい」


 そうと決まれば準備しないと。夜ご飯はもう済ませたし、お風呂。お風呂の準備をしないと。


「彩織、お風呂沸かすけど。着替えどうする?」

「取りに行ってくるよ。タオル貸してくれる?」

「うん。私のを使ってくれれば良いよ。ああ、そうだ——」


 少し前、何度か彩織が私の家に泊まるようになってから、ずっと提案しようと思っていたことがある。

 タイミングを逃していたけど……ちょうど良い、今言ってしまおう。



「着替え、置いておけば? うちに」

「良いの?」

「良いよ。またすぐ泊まるでしょ」

「じゃあ、そうしようかな。取りに行ってくるね」

「うん。あ、戻ってきた時チャイム鳴らさなくて良いから。合鍵で入っておいで」

「……! 分かった!」


 嬉しそうに笑うと、合鍵を握りしめながら自分の部屋へと戻って行った。

 その背中を見ているだけで私もつい口元が緩んでしまう。


「……お風呂沸かそう」


 ゆっくりと立ち上がり、風呂場へと向かう。

 途中、洗面所の鏡に、ニヤけ顔をした私がいたことは言うまでもない。

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