99.

 言いたい事を全て言い終えたようで彩織いおり表情かおは清々しかった。

 迷っているのは私だけ、か……。


れいちゃん。急かすようで悪いけど、返事は今すぐ欲しい。今じゃないと……やだ」


 喉奥までせり上がったものを何とか飲み込み、深く息を吐いた。答えは最初から決まっていたはずなのに、上手く言葉が出てこない。

 ……ここまで来て何を縋りつこうとしているんだ、私は。彩織のためにならないことはしたくないってずっと心に決めていたのに。

 彩織が私の元から離れると思ったら、途端に惜しくなった。

 良い子だし、変に歪んでいるし、傷だらけだし。彩織のことは放っておけない。始まりはたったそれだけ。

 だけど、いつの間にか親愛は恋愛に変わっていた。


 ああ、なんだ。今、ようやく辿り着いたんじゃないか。本当の私の気持ち、そして私の答えに——





「私も……好き」



 絞り出した声はちゃんと彩織に届いていた。私の袖を掴んだまま、ぽろぽろと涙を流している。


「ほんとに?」

「本当に。嘘は言わないよ、私」

「うん、しってる……! それって……私と付き合うってことで良いんだよね?」


 こくりと頷くと涙は一層溢れ出てくる。

 彩織の涙を拭ってやると、そのまま私の手に擦り付けるように頬を寄せた。しっとりとした柔らかい感触が手のひらに伝う。ずっと触っていたくなるくらいの柔らかさ。

 肌、柔らかい……もっと触っていたい……。



「羚ちゃん」

「なに?」

「…………する?」



 顔を寄せ、耳元でそれを囁いた。扇情的に開かれた唇から漏れる吐息が耳にかかる。

 思わず身震いしそうになるのを抑えて、彩織の肩を押した。


「しない」

「私が……子どもだから?」


 彩織は不満そうな顔で唇を尖らせた。


「高校生には手を出さない。絶対に。何があっても」

「じゃあ、私が高校を卒業したら良いの?」

「……その時も彩織が私のことを好きでいてくれてたら、ね」

「分かった。来年の三月まで我慢する。まだ半年以上先かー、長いね」


 ……高校生、なんだよね? 性急すぎない?

 まさか付き合い始めた当日から誘ってくるとは思わなくて少し心配になった。いつもこんな感じなのかな、彩織は。最近の高校生って進んでる……。


「ねえ、チューは?」

「……え?」

「チューもしちゃ駄目なの?」

「えっと……それは……」


 前の前に迫る彩織の顔を見ながらじっくり考えた。

 キスは…………良い、のか? 家の中だったら問題ない、かな?


「キスは……良いよ」

「やった! じゃあ、しよ?」

「……今?」


 しよ、って……。そんな簡単に。

 言うや否や、彩織は私の正面に座り直した。優しい笑みを浮かべながら体を寄せる。

 いざ唇が間近に迫ると頭が真っ白になってしまう。

 この後、どうすれば良いの? 目を閉じて待っていれば良いの? それとも年上だし、私からするべき?

 結局何も出来ず、地蔵のように静止していると、彩織の薄く柔らかそうな唇が私のそれに触れた。

 ちょん、と触れるだけの優しいキス。

 それを何度か繰り返すと彩織は満足そうに身を引いた。


「今日はここまでにする。羚ちゃん、顔真っ赤になっちゃったし」

「仕方ないじゃん……恥ずかしいもん……。彩織は恥ずかしくないの?」


 ついさっきまではただのご近所さんだった私たちだ。急にこんなことをしたら照れるに決まっている。

 なぜ彩織にこんなに余裕があるのか、私には分からなかった。


「だって私は…………ずっと、こうしたかった」


 言いながら私の胸に頬を寄せた。両手は背中に、ぎゅっと服を掴んだ。


「……いつから、なの? いつから私のこと好きだったの?」

「最初からだよ。最初からずっと好きだった。それが恋愛的な意味って分かったのはもう少し後だけど」

「最初って……」


 すっかり惚けてしまった頭をなんとか動かしながら思い出した。あの日、家の外で膝を抱いていた彩織の姿を。

 あの時、なんで彩織に声をかけたのかは未だに分からない。私たちは話したことすらなかったのに。


「羚ちゃんには感謝してる。あの時、声をかけてくれなかったら……私は死んでたかもしれない」

「……ッ」


 彩織の顔を見れば、それが決して冗談でないことがすぐに分かった。かける言葉が見つからず、ただ静かに彩織の言葉を待つ。


「本当に死にたくて、逃げたくて。もう限界だって時に助けてくれたんだよ? 好きになっちゃうじゃん、こんなの」


 彩織の言葉は重い。私は同じ経験をしたわけじゃないから、簡単に共は出来ないけど…………唯一の親に暴力を振るわれたら辛いに決まっている。

 そんな精神的、肉体的苦痛を味わい続けていたら……死にたくなって当然だ。


「……わ。どうしたの、羚ちゃん?」


 ぶら下げっぱなしだった両腕で彩織を抱きしめた。もう二度と死にたいなんて思ってほしくない。ずっと、生きててほしいから。幸せになってほしいから。



「死にたいなんて、もう思わせない。そんな暇ないよ、私たちには。二人で遊んだり、ご飯作ったり。楽しいこといっぱいしようよ」


 私が彩織を不幸にはさせない。私が、幸せにする。

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