101.

「こっちおいで」


 片手で布団を持ち上げ、ベッドへ誘う。それを見た彩織いおりはするりと布団の中に潜り込んできた。


「良いの? 一緒に寝ても。この前は嫌がってたのに」

「良いよ。もうそんなに気を遣わなくて良いかなって。というか、昨日も寝てたじゃん、私の隣で」

「昨日はれいちゃんをベッドに運んでそのまま寝ちゃった。かえでさんと二人で運んだんだよ?」

「う……ありがと」


 昨日の夜のことを思い出してつい、顔が熱くなった。

 自分で歩いて帰れないくらい酔ってしまって、結局楓さんが家まで運んでくれた。

 彩織曰く、楓さん、私のことをおぶってくれてたみたいだし……。恥ずかしいところを見られてしまったなぁ……。

 そんなにたくさん飲んだわけじゃないのに、なんで昨日はあんなに酔ってしまったんだろう。いつもと同じペースで飲んでただけなのに。


「外でお酒飲む時は気をつけてよ。……心配になるから」

「ごめん……。いつもはそんなに酔わないんだよ。あんなに酔ったのは初めて。緊張してたからかなぁ……」

「昨日は誰と飲みに行ってたの?」

「会社の人。同じチームの人と四人で」

「女の人?」

「ううん、男の人ばっかり。…………あ」


 彩織のジトリとした視線が刺さる。

 言われなくても分かる。これは怒ってる時の彩織だ……。


「尚更気を付けないと駄目じゃん。男の人ばかりのチームなの?」

「うん。改善チームは私以外、男の人だけ。でも大丈夫だよ、既婚者多いし」

「それなら……まあ……良いけど。でも本当に気を付けてよ? 酔ってると転んだりするかもだし」


 やっと怒りが収まったみたいで、いつもの声のトーンに戻ってくれた。


「とにかく、お酒の飲みすぎは駄目だからね」

「今度からはちゃんと気を付けるよ」



 さて、そろそろ良い時間だ。布団の中でお喋りするのも楽しいけど、明日は予定が詰まっている。


「彩織。そろそろ寝よう。寝れそう?」

「うん。目を閉じちゃえば……寝れそう……」


 起きるのが遅かったわりに瞼は重い。慣れないことをしたからだ、きっと。

 楓さんとの昔話は墓場まで持っていくつもりだった。誰かに話すつもりなんて毛頭ない。それなのに彩織には全て話してしまった。

 人生、分かんないものだなぁ……。





「……すぅ…………」

「彩織……?」


 隣を見ると既に彩織は寝息を立てていた。

 午後はずっとバイトだったみたいだし、疲れているんだろう。


「……かわいい」


 優しく彩織の頭を撫でる。絹糸のような柔らかさ、ずっと撫でていたくなる。さらさらとした感触が心地良い。


「ん……」


 あどけない寝顔を見ているうちに、自分がいけないことをしているような気がしてきた。これは良くない。私も早く寝て——


「うわっ……」


 寝返りを打った彩織が私の服を掴んだ。放してもらうとしたけれど、一向に掴む力は弱まらない。このまま寝るしかないのか……?

 唐突に近くなった距離にドギマギしながら目を瞑った。

 視覚を閉ざしたからこそ分かることがある。私と同じシャンプーの匂い、ほのかに感じる体温、可愛らしい寝息。

 彩織より先に眠ってしまえば良かった。意識すればするほど眼が冴えていく。

 このままじゃ、まずい。明日は寝不足かもしれない——












「羚ちゃん、そろそろ起きないと」

「…………あと五分」

「それもう二回目。今日はお出かけするんでしょ? 準備しないと」

「うん……分かってるよ……もう少ししたら布団から出るから」

「いい加減起きてよ。今起きないと……布団、剥ぎ取るよ?」

「………………待って、今起きるから」


 案の定、昨日は眠れなかった。その原因である彩織はしっかり眠れたみたいで朝から元気だ。もう朝食の準備は済んでいるらしい。

 寝惚け眼を擦りながらなんとか体を起こす。

 もう彩織、着替え終わってる。テーブルにご飯も用意されてる。早いなー……。


「おにぎりと卵焼きとウインナー。あ、あとブロッコリーあったから茹でたよ。ごめんね、勝手に冷蔵庫開けちゃって」

「ううん。良いよ、むしろ助かる……」

「お味噌汁温めなおすから待ってて」


 再びキッチンへと向かう彩織を見送って、まじまじとテーブルを見つめた。

 朝起きたらご飯が用意されている。こんな幸せなことがほかにあるか。

 幸せを噛み締めるようにお茶を啜った。


「お待たせ! 味噌汁出来た…………羚ちゃん、おばあちゃんみたいだね」

「そんなに歳取ってないもん」

「おばあちゃん、お茶のおかわりは?」

「……いる」

「はいはい。湯呑貸して」


 このやり取りが既におばあちゃんと孫なのかもしれない。彩織に注いでもらったお茶を啜りながら、ふと考えた。


「羚ちゃん、味噌は合わせ派なんだね。うちと一緒だ」

「こだわりは無いんだけど、昔から食べてたのが合わせ味噌だったから。白味噌も赤味噌も好きだからたまに食べるよ」

「私、白味噌は飲んだことない」

宗平そうへいさんのお店が三種類飲み比べやってるから今度行こう?」

「良いの? 行きたい!」


 平和だ……。どうしようもないくらい安穏な空間。ずっとこのまま、穏やかな時間が続けば良いのに。


「……あ、茶柱」

「今日は良いことあるかもね」

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