92.
「冷蔵庫開けるよー……うっわ、本当に何も入ってない。これは大変だ」
私の冷蔵庫を開けて、
唯一、残っていた豆腐が一人寂しく鎮座している。
「いや……まだ豆腐あるから今日は何とかなりますよ」
「いやいや、絶対足りないって。ちゃんと食べないと体壊すよ。こんなに細いと心配になるよ」
「う……くすぐったい……」
楓さんは両手で私の腰を撫でまわした。手つきが相変わらずやらしい。
「本当に細いよねー……。ちょっと力入れたら折れそう」
「そんな簡単に折れませんよ」
……そう言えば高校生の頃に履いていたデニムが緩くなったな。計ってないから分からないけど、体重も落ちたかも。
良くないなと思いながら、どうすることも出来ずに放置してきた。正直、いつ体調を崩してもおかしくないと思う。
「とりあえずスープとポテトサラダと……煮物作ろうかな。大目に作るから三日間くらい余裕のはず」
「ありがとうございます……」
キッチンに立ち、楓さんはテキパキと作業し始めた。
そんなに広いわけでもないし、包丁も一つしかないから手伝うことが出来なさそうだ。どうしようかな……。
「ん? 良いよ? 私やるから。座ってて」
流石に全部やってもらうのは……。悩んだ結果、楓さんの隣に立ち、作り方を学ぶことにした。
「教えられるほどじゃないんだけどー!」
「楓さんは料理上手ですよ。横で見て覚えます」
謙遜しつつも、楓さんは嬉しそうだ。口元がニヤついている。
「じゃあ……始めるね」
「はい。お願いします」
楓さんの分かりやすい解説を聞きながら、要点をメモ帳に書き留める。知らないことだらけで勉強になる。
すごいなー……。楓さんは何でも出来るな……。
「ちゃんと見ててね。今から料理が出来る良い女ってところを見せつけるから」
「おー! 冷蔵庫の中身が潤った!」
「ありがとうございます……!」
最後のタッパーを冷蔵庫に仕舞うと楓さんは歓喜の声を上げた。
我が事のように喜んでくれる楓さんを見ていると、何て言うか……心が温かくなる。
……やっぱり良い人なんだと思う。これで騙されていたら、もう何を信じて良いのか分からないくらいに。
「あの、楓さん。お礼がしたいです。昨日も今日もすごくお世話になったから。と言ってもお金がないのでおもてなし出来ないし、何かをあげることも出来ないですけど……」
帰り支度をし始めた楓さんの上着を掴んだ。このまま帰してしまったら、ずっと後悔しそうだから。
何かしてほしいこと、私に出来ることがあるなら言って欲しい。何でも良い。何でも良いからお礼をさせて欲しい……!
「お礼なんて別に良いのに……」
「申し訳なさすぎて私が辛いので……。何か……何でも良いですから、言ってください。本当に……何でも良いから」
私の必死すぎる声を聞いた楓さんは一瞬真顔になった。数秒の思案の後、困ったような顔でそれを提案した。
「じゃあ……来週も私と会ってくれる? うちに来ても良いし、
「……それでお礼になりますか?」
「なるよ。今日でお別れにしたくないし。言ったよね、徹底的に落とすって。会わないと落とせないし、機会を作ってもらえるのが一番お礼になるかな、私にとって」
「本気……?」
「だから本気だって。えっ、まだ信じてなかった?」
「信じてないわけじゃないけど……」
楓さんは好きじゃない人を抱くほど軽い女じゃない……と、思う。多分。
「お礼とかさ……そういうの気にしすぎだよ、羚は」
「だって……」
「私だってちょっとは罪悪感あるんだよ? 罪滅ぼしになるか分かんないけど、これくらいさせてよ」
「ちょっとだけなんですか……」
「ごめん、ヤれてラッキーって思ってる私もいる。こんなどうしようもない大人なんだよ、私は。だから私に気を遣うとかしなくて良いよ」
そう言われると
昨日のことは決して楓さんだけのせいにするつもりはない。だけど……うん、半分以上は楓さんのせいだと思う。
「あ。連絡先教えてよ」
「ガラケーなんですけど……良いですか?」
「うわ、懐かしい…………。って、スマホ持ってないの⁉」
おずおずと差し出した携帯を見て、楓さんは目を見開いた。
言いたいことは分かっている。スマホが普及しきったこの時代でガラケーを使ってるの……? 会社でも言われたから、楓さんが今考えていることがすぐに分かった。
「お金が貯まったら機種変しようと思って。そろそろ寿命なんですよね、バッテリーが」
「それ絶対早く変えたほうが良いって……。とりあえず交換しよ、連絡先」
楓さんが慣れた手つきで自分のスマホと私のガラケーを操作する。あっという間に連絡先が交換出来た。
「これで連絡取れるね。来週どこ行く? 喫茶店とか行く?」
「喫茶店? 私、最近ここに住み始めたからまだどんな店があるのか知らないです」
「よし、分かった。私の行きつけのお店に行こう。ランチ行こう、ランチ! ちょ、写真あるから見て! シーフードドリアがめっちゃ美味しいから!」
楽しそう。自分のおすすめのお店のことを話す楓さんは本当に楽しそうだ。早口で次々とおすすめポイントを挙げていく。
「羚と一緒に行けるの楽しみー! お昼ちょい前に迎えに行くね」
それだけ言い残すと予定があるから、と楓さんは急ぎ足で帰って行った。
……来週、か。
社会人になってから誰かと遊びに行くのは初めてだ。
楓さんだけじゃない、私だって楽しみにしてる。その証拠に卓上ミラーに映った私の顔は笑っていた。
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