93.

 一週間を乗り越え、ついに土曜日がやってきた。

 あと数分でかえでさんがここに迎えに来る。

 家に上げることはないけど、念のため部屋の掃除をした。ここ最近の中で一番部屋が整っていると言っても過言ではない。



 ピンポーン。


 ソワソワと歩き回っていると来客を知らせるチャイムが鳴った。

 楓さんだ。バッグを片手に急いで玄関へと走った。


「楓さんっ」

「わっ。びっくりした」


 こんなにすぐに扉が開くと思っていなかったのか、楓さんは素っ頓狂な声を上げた。それでも私を抱き止めることを忘れないあたり流石だと思う。


「今日、顔色良いね。元気にしてた?」

「はい。おかげ様で」


 給料日までの三日間、楓さんの作り置きのおかげでなんとか生きてこられた。

 やっぱりご飯を食べることは大事だ。仕事のミスも減ったし、夜もぐっすり眠れるようになった気がする。


「行こっか。外に車停めてるから」


 楓さんに続き、アパートの外に出た。

 からりとした空気に雲一つない青空。絶好のお出かけ日和だ。



「この前とは服の系統違いますね、楓さん」

「んー、今日はラフな格好で来たから。先週はちょっときれいめだったね」


 今日の楓さんはチャコールのロングTシャツに真っ黒のスキニー。ヒールを履いていた先週とは大違いだ。……私に合わせてくれたのかな。


「喫茶ナカノに行こうと思うんだけど、知ってる?」

「知らないです。楓さんはよく行くんですか?」

「わりと。ちょうど職場と家の間で行きやすいんだよね」

「そうなんだ……」


 楓さんの職場ってどこにあるんだろう。

 ずっと知りたいと思っていたけど、なんとなく聞きづらい楓さんの職業。

 あんな良いマンションに住んで、この車も買って。一体どんな仕事をしてるんだろう。聞いても良いのかな……。


「どうしたの。言いたいことがあるなら言ってよ。気になるじゃん」

「うーん…………なんの仕事してるのかって聞いて良いですか?」


 一瞬、楓さんは言葉に詰まった。答えて良いものか悩んでいるように見える。やっぱり聞かないほうが良かったかな……。


「……ごめんなさい。聞かないほうが良いなら聞きません」

「いや……全然良いよ。教えても良いけど、引かないでね」


 信号が赤になり、車が止まる。前方を見据えながら、楓さんはゆっくりと口を開いた。



「風俗」

「………えっ?」



 引かないでと言われたからある程度の心の準備はしていたつもりだった。だけどまさか風俗とは思わなくて。

 言葉を失った私を見て、楓さんは困ったように笑った。


「ごめん。引いてる……よね?」

「ちがっ……違くて。ちょっとびっくりしちゃっただけ、です。だって、楓さんは女の子が好きなんでしょ? なのに、なんで風俗……?」

「ああ、そういうこと。私が働いてるお店は女性向け風俗だから」

「女性向け……?」

「女の子と楽しいことをするお店だよ」


 もしかして先週、帰り際に言ってた予定って……。

 ちくりと胸が痛んだ。仕事だし、仕方ないことなのは分かっている。だけど少しだけ……嫌だ。


「…………昼間からなんの話してるんだろうね、私たち」

「すみません、私が振った話題が……」


 恥ずかしくて窓の外に顔を向けた。もう上大沢駅の近くに着いたらしい。駅前の商店街が見えてきた。


「あそこの信号過ぎたらお店に着くから」

「結構近いんですね」

「車も少ないし、信号も少ないし。羚の家からすごく行きやすいね」


 楓さんが言ったとおり、信号を越えるとすぐにお店の看板が目に入ってきた。

 喫茶ナカノ。レンガ調の外壁に昔ながらの看板。遠目に見える食品サンプルもどこか懐かしい。昭和レトロってやつだろう。



「行こ。今ならすぐ座れそう」


 楓さんに手を引かれ、店内に足を踏み入れた。シャンデリアにランプ。装飾に凝った内装に思わず感嘆の声が漏れた。


「良かった。すぐ座れたね」

「はい。なんかすごいですね。雰囲気が……」

「ね。オシャレだよね」


 私たちが通された席は店内の一番奥、入り口からは完全に死角だ。秘密の隠れ家みたいでワクワクする。


「はい、メニュー」

「あ、ありがとうございます」


 楓さんはメニューを見る前から注文は既に決まっているらしい。なんだか常連みたいでかっこいい。


「どうしようかな……。シーフードドリアがおすすめでしたっけ?」

「うん、すごく美味しいからおすすめだよ。でも羚の好きなもの頼んで良いからね。どのメニューも美味しいのに変わりはないし」

「えーっと……」


 ランチメニューのページで気になっているのはシーフードドリアとオムライス。オムライスを選んだら子供っぽいって思われそうだし、今日はドリアにしようかな……。


「決めました」

「お。じゃあ、店員さん呼ぶね。すみませーん!」

「はい。お伺いします」


 楓さんの声に気付いた店員さんが注文票を片手にテーブルへやってきた。


「ブレンドのアイスとナポリタン。羚は?」

「シーフードドリアとレモンティーで」

「かしこまりました」


 素早く注文票に書き留めると店員さんは一礼して去って行った。その洗練された動きに少しだけ見とれてしまった。


「どうしたの。ソワソワして」

「だって、こういう喫茶店初めてだから慣れなくて……。楓さんは慣れてるんですね」

「よく行くからね。これから一緒にいろんなお店行こうよ。喫茶店だけじゃないくて、居酒屋……あー、未成年には早いか」

「あと二年待ってください……」


 気長に待つよ。そう言って笑った楓さんの笑顔が眩しい。

 ……どうしよう。好きになりそう——

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