91.

 家まで送るよ。かえでさんのその言葉に甘えて、アパートまで車に乗せてもらうことになった。

 私のアパートの駐車場ではまず見かけない、黒光りする高級車。楓さんって何の仕事してるんだろう……。


「高級車……」

「そうでもないって。見た目がスポーツタイプなだけ。頑張って貯金して、ようやく去年納車したんだ」


 サングラスをかけて運転している楓さんはかっこいい。


「良いなぁ、車」

「興味あるの?」

「免許は持ってるので、いつか買いたいです。車通勤したい」


 高校三年生の冬に免許を取りに行った。長期休暇中に必死にバイトして貯めたお金が一瞬でなくなった。懐かしいな。縦列駐車がとにかく苦手だったっけ。


「えー、高校生で免許取れるんだ。学校的にオッケーだったの?」

「商業高校だったので。就職組は免許を取りに行くのが恒例なんです。だから十一月とか十二月は高校生だらけでしたよ、自動車学校」

「そっか。高校卒業してすぐ就職したんだもんね。十八歳か……若いなー……」

「楓さんだって…………楓さんっていくつですか?」


 そういえば私は楓さんの年齢を知らない。見た感じ、私より少し年上のお姉さんって感じだけど。


「二十三歳だよー」

「大人だ……」


 二十三歳と聞くとかなり大人に思える。私より五個も年上だ。そんな人と私は……。


「どうしたの」

「思ったより歳が離れてたのでびっくりしてます。あれ? 楓さん、この道って……?」

「あ、ごめん。羚の家行く前にスーパー寄らせて」


 ふと外を見ると知らない場所で驚いた。遠目に楓さんが行こうとしているスーパーが見える。何を買いに行くんだろう……?





「着いたー! さー、行くよ!」

「……私も行くんですか?」

「当たり前じゃん。あ、れいの家ってタッパーとかある? 電子レンジ対応のやつ」

「持ってないですけど……なんで?」

「おっけおっけ、ついでに買おうか」

「ついでって…………あ、待ってください!」


 肩に風を切って歩く楓さんの後を慌てて追う。

 何を買うのか、結局教えてくれなかった。というか、タッパー買うの……? なんで……?




「じゃがいもとニンジンとキャベツと……あ、里芋も欲しいな。そうそう、ありがと」

「こんなに買うんですか……?」


 楓さんに言われた食材を次々とカゴに入れる。中には私が普段買わないような食材も。

 これを見てもどう調理するのか私には見当もつかない。


「次、お肉ね」

「え……はい」


 楓さんの後を追う。どうやら店内の配置は知り尽くしているようで、動きに無駄がない。迷うことなくお肉コーナーに向かって行く。


「鶏ももと豚肉細切れ!」

「はい……あの、これ何に——」

「待って、牛肉めっちゃ安いじゃん。これも買うー!」


 私の問いかけには答えず、隣のコーナーに向かってしまった。

 牛肉か……。一人暮らしを始めてから買ったことないな……。

 ずっと鶏肉を買って食べてたけど、最近はそれすら買うお金がなくなってしまった。世知辛い……。


「はいっ、と……。うん、こんなもんかな。レジ行こ」

「こんなに買うんですか……?」

「私が払うから大丈夫だよ」


 楓さんと一緒にレジに並び、順番が回ってくるのを待った。

 お菓子に目移りしている楓さんを見ながら、ぼんやりと考える。そういえば楓さんに家の場所を教えちゃっても大丈夫……だよね?







「片方持ってくれる?」

「はい」


 一人一袋を持ち、車へと戻る。

 二袋しかないレジ袋に溢れんばかりに詰め込まれている。片手で持つと結構重たい。

 一人ならこの量は買いこまない。持つのが大変だから。私がいるうちに買い溜めしたかったのかな……。


「じゃあ、羚の家行こう」

「お願いします」


 改めてハンドルを握り直し、スーパーを後にする。

 外を見ると今度こそ見慣れた道を走っているようで安心した。


「…………あ」

「あ?」


 スーパーを出て、最初の信号に引っ掛かったところで、楓さんが気の抜けた声を上げた。何か買い忘れだろうか。


「何も考えてなかったんだけど、羚の家って普通の調味料は揃ってる……んだよね?」

「普通ってのが楓さんにとってどこまでか分からないですけど……。醤油とか砂糖とか、コンソメもあったかな。なんでそんなこと気にするんですか?」

「いや、作り置きしようと思って」

「作り置き?」

「だって次の火曜日が給料日なんでしょ? このまま何もせず家に帰したらご飯に困るじゃん、羚」

「そう、ですけど……」


 ……楓さんがそこまで考えてくれているとは思わなかった。さっきスーパーで買いこんでいた食材だって自分で使うものとばかり。


「手間かけない簡単なものばっかりだけどさ、作って置いておくから食べてよ。四日、持たせれば良いんだよね?」

「……ありがとうございます」



 嬉しいし、助かる。だけど、私の心は朝からずっと悲鳴を上げている。

 お昼ご飯を食べる前、楓さんにシないといけないか聞いた。その時に楓さんが頷くような人間だったらどんなに楽か。

 私は何も返せない、返させてもらえないのに施しを受けている。それが嬉しくて、悲しくて、申し訳なくて苦しい。私の心を蝕み続ける。


 この苦しみから逃れるための方法はきっと一つしかない——

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