53.

藤代ふじしろさん。是正後の写真撮ろ——」


 双葉ふたばさんが私に声をかけようとしたところで十時休憩のチャイムが鳴った。

 ラインの作業者がぞろぞろと休憩所に向かって行く。


「休憩だね。行こう?」


 双葉さんに続き、第一棟の外へ。大きな木の下のベンチは今日も先客はいなかった。


「是正、間に合いそうだね」

「うん。うちのチームはあと二件だって朝礼で野中さんが言ってた。さっき終わったからあと一件、か」

「野中さんの担当だっけ? すぐ終わりそうだね。野中さん、仕事早そうだし」


 ピコンッ。


 ポケットに入れていたスマホから通知音が聞こえた。なんだろう、こんな時間に。授業中じゃないのかな。


『前に言ってたハンバーグなんだけど、明日でも良い? お仕事中にごめんけど、今日中に返信貰えると助かる』


 ハンバーグ……!

 ひそかに楽しみにしていたから思わず口元がにやける。その表情は隣に座る双葉さんにもバレてしまったようで、不思議そうに私の手元と顔を交互に見ていた。


「なに、彼女? それとも彼氏?」

「……違うよ。近所の子」


 なんとか返事をしたけど、双葉さんの表情は戻らない。それどころか写真はないのか、としつこく迫る。絶対、恋人か何かと勘違いしてる……。


「ないない。違うって。本当にただの近所の子。私があまりにも生活力がないからご飯作りに来てくれるよって話。それにその子、高校生だし」

「えー。普通、ただのご近所さんにご飯作りに行く?」

「ただのご近所さんだけど、それなりに仲良いから」

「ふうん?」


 いまいち納得していない双葉さんだったが、同じアパートの隣の部屋だと話すとしぶしぶ追及を止めた。


「んー、いまいち釈然としないけど……。あ、返信してあげなよ。向こうもチャット、開きっぱかもしれないし」

「あ、そうだね。返信する」


 慌ててスマホをタップする。


『明日、大丈夫だよ。よろしくね』


 送信するとすぐに既読が付いた。案外、今って休憩時間なのかな?


『オッケー。材料は私が買ってくるから、何も買わないでね。あ、牛乳ってれいちゃんちにある?』

『あるよ。牛乳、卵、パン粉はあるから買わなくても大丈夫。あとはケチャップとか、使いそうな調味料も一通りあると思う』

『分かった! 楽しみにしてて』


 会話が一区切りついたところでチャットアプリを閉じ、顔を上げた。


「…………なに?」

「別にー。楽しそうだなーって」

「だって、ハンバーグ作ってくれるって……」


 双葉さんの視線に耐えられなくて、だんだん声が萎んでいく。ハンバーグが一番の好物ということすら恥ずかしくなってきた。きっと子供っぽいって思われただろうな……。


「ハンバーグ好きなの⁉」

「え……うん」


 予想以上の食いつきに少し怯む。馬鹿にしてる……わけじゃなさそうだけど、なんでこんなに前のめりなんだろう。


「うちの……若葉ちゃんもハンバーグが一番好きだから。なんか微笑ましくなっちゃって」

「そうなんだ」

「ねえ、二番は? 好きな食べ物ランキング聞かせてよ」

「ええ……ランキング? ハンバーグ、カレー、コロッケ、オムライス……あ、グラタンも好き」

「おお……。ほとんど若葉ちゃんと一緒だ……。二人は知り合いとかじゃないよね?」

「顔も苗字も知らないんだけど……。あ、顔は会ったから分かるか……」

「苗字は青井あおい、だよ。珍しいよねー」


 青井あおい 若葉わかば。いつも双葉さんが話している若葉ちゃんの苗字が青井だったなんて。すごく失礼かもしれないけど、頭に車の初心者マークが思い浮かぶ。


「どうしたの? やっぱり知り合い?」

「いや、全然。…………ふ、ふふ」

「ちょっと、なんで笑ってるの」


 こらえきれなくて笑い声が漏れてしまった。決して馬鹿にしてるとかじゃないんだけど、面白くてつい。


「いや、ごめん。その、名前が……初心者マークみたいだなって」


 失礼なこと言ってごめんね。そう言おうとしたけど、双葉さんが神妙な顔をしたから何も言えなくなる。やっぱり失礼だったかもしれない。


「……うん、そうだね。若葉ちゃんは初心者マークを付けてたんだけど、高校三年間でようやく外せるようになったんだよ」

「……?」


 どういう事? 聞き返したくてもそれは叶わない。とても聞き返せる雰囲気じゃない。

 車とかバイクとか。そういう意味での初心者マークではないと思う。大商だいしょうはバイク禁止だったし、車の免許だって三年生の春休みにしか取りに行けなかった。

 若葉ちゃんは何の初心者マークが外れたんだろう……。

 モヤモヤと疑問が浮かぶ中、チャイムが鳴り響いた。休憩時間は終わりだ。


「さ、行こう。次は写真だね」

「うん。カメラ借りてきてるから、これ使おう?」


 再び第一棟へ。今のところ良いペースだ。これなら午前中に全部終わる。明日の報告会は間に合いそうだ。

 緩みかけた気持ちを引き締め、私たちはネジセットラインの中へと入って行った。

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