52.
始業のチャイムが鳴る少し前。私たちは別れ、それぞれの事務所へと向かった。朝早く出勤しているのに、いつもより遅く席に着くのは不思議な感じがする。
バッグを引出しに仕舞い、帽子を目深にかぶる。そろそろ朝礼の時間だ。
「おはようございまーす。昨日はごめんね。俺がいない間、大丈夫だった?」
「はい。問題なく」
「俺もっすね。データはメールで送ってあるんで、あとで確認お願いします」
「私も……ちゃんと案内出来たと思います」
たった一日会っていなかっただけなのに、随分久しぶりに
それぞれの任されていた仕事の状況確認から今日の朝礼は始まった。
「じゃあ、朝礼終わったら
一人ずつ話を聞き、野中さんは熱心にメモを取っていた。今日、この後の予定を書き込んでいるのだろう。
多井田さんに松野さん、そして私。それぞれに仕事を任せたが、やはり野中さんの最終チェックは必要だ。
「そうだ、
「はい。昨日の課長の写真は……なかなか良かったと思います」
「案内も上手く出来たって聞いてるよ。ありがとう」
「いえ……」
野中さんの代わりがちゃんと果たせたようで安心した。あとで写真を見てもらったらこの仕事は完了だ。
「品質実践研究のほうはどう? 多井田チーム、順調?」
「順調っすよ。一応、目標件数分の是正は終わってます。報告資料作るチームと、続けて是正するチームに分かれてやってます。ね、多井田さん」
「はい。うちのチームは問題なしです。野中さんのチームは大丈夫ですか?」
「んー、俺のとこは……」
みんなの視線が私に向く。突然の視線に少しドギマギしたが、なんとか口を開く。
「
「そっか。なら、俺の残りと合わせて、あと二件だな。今日の午前中に是正して、午後から資料を作り始めれば間に合う! 良かった!」
どうやら野中さんの想定よりも進捗が良かったみたいで、大袈裟に喜んだ。きっと出張中も気が気じゃなかったんだろう。
黒部さんもいない、自分も不在。残っているのが私と双葉さんだけ。下手したら何も是正が進んでいない可能性だってあったから。
「じゃあ今日も一日お願いします!」
元気よく朝礼が締められ、それぞれの仕事へと向かう。
私は一度事務所に戻り、自分のパソコンを開いた。楓さんから送信されたメールを探し、野中さんに転送する。
「今、転送しました。圧縮されてるので解凍してから見てください。印が付いているのが採用予定の写真です」
「オッケー、確認して先方に返信するよ。ありがとう!」
「じゃあ私、是正の続きしてきますね」
「うん、引き続きお願い。安全第一でね。……ああ、そうだ。是正が終わったら写真を撮っておいてくれる? 是正前のは黒部さんが全部撮ってくれてるから、是正後の状態を撮って欲しい。これ、俺のカメラだから好きに使って」
「分かりました。お借りします」
受け取ったカメラと、事前に用意しておいたインパクトドライバーと大きめのドリルビット、ポンチを持ってネジセットラインへと向かう。
途中、管理棟から現場へと向かう双葉さんと合流した。どうやら朝礼が終わったばかりのようで、実に都合が良い。
「さっきぶりだね。道具の準備、ありがとう」
「どういたしまして」
言葉は少なく、足早にラインへと向かう。私が手にしているカメラを見て、是正後写真を撮ることは双葉さんも察しているようだ。
今日もやることはたくさんある。是正に写真に、資料作成。全て締め切りが今日中だ。納期未達は許されない。
「おはようございまーす」
「おはようございます」
双葉さんの元気の良い声に続き、私も挨拶をする。返事はまばらだったが、気にせずラインの奥へと入る。
「ここだね」
これから是正するのは作業台上のモノの置き場だ。
今、目の前の作業台ではボールペンやハサミ、印鑑が乱雑に置かれている。このような管理の仕方だと万が一、商品に混入した時にすぐに気づけない。異物混入は大問題だ。
一方、全ての置き場が決まった上できちんと管理されていれば同じようなことは起きない。
ペンを戻そうとして手元になかったら、たった今、梱包した商品の中に紛れ込んでいるのだから。すぐに気づいて、すぐに取り除ける。だから異物混入は起きない。
「これ、品証で余ってたやつ持ってきたんだけど、孔空けられそう?」
「大丈夫、出来るよ」
双葉さんから受け取ったアルミ製のプレート。中は空洞になっており、表面はさほど分厚くない。これなら十分ドリルで孔空けが出来そうだ。
「とりあえず試しに一個、空けてみる」
ズボンの右ポケットからボールペンと巻尺を取り出した。プレートの側面を真上にし、端から端の寸法を測る。そして三つの孔が均等になる位置にペンで
そしてポンチを取り出す。印を付けた場所に二、三回打ち込んだ。このへこんだ部分をドリルで孔空けするのだ。
「じゃあ……空けるよ」
地面にプレートを置き、ドリルビットの先を当てる。不安定でやりにくい。
左手でプレートを押さえ、右手でインパクトを握る。こういう時に怪我をしやすいから気をつけないと……。
「……空いた」
やり辛かったがなんとか孔が空いた。ちょうどボールペンの先が入るくらいの孔。ここにペン先を下にして入れれば、立派なペン置きになる。
「前から思ってたけど、やっぱり工具の扱い上手いね」
「そうかな。ドリルとかドライバーはちゃんと垂直に当てれば誰でも上手く出来ると思うよ」
「その垂直に当てるのが結構難しいんだって」
そのままハサミ、印鑑用の孔も空ける。ボールペンの時よりも大きい孔を空けた。試しに置いてみるとサイズはぴったりだったようで、スムーズに出し入れ出来る。
「出来た」
「おー、良い感じ。じゃあ、あとは表示したら完成だね」
双葉さんが事前に用意してくれた”ボールペン”、”ハサミ”、”印鑑”と書かれたシールを貼り付ける。
孔だけ空いていたプレートよりずっと見た目がスマートだ。
「あ、そうだ。端も削らないと……ヤスリとか持ってないよね?」
「私は持ってないけど、ラインの管理者が持ってると思うよ。何に使うの?」
「角を削って手を切らないようにしようと思って。あと孔空けたところもバリがあるから危ないかなって」
なるほどね、と呟き、双葉さんは管理者の元に向かった。ちょうど手元にヤスリがあったらしく、数秒と待たず戻ってきた。
「はい。細いのと太いの両方借りてきたけど、これで良かった?」
「うん、大丈夫」
角は大きなヤスリ、孔周りは細いヤスリ。元々そういう風に使い分けたかったからちょうど良い。
自分の指で触ってチクチクしない程度までヤスリで削る。単調で面白くない作業だが、双葉さんはじっと手元を見ていた。
「…………やってみる?」
「やる!」
ヤスリとアルミを双葉さんに手渡す。角はほとんど削れているから孔周りをお願いした。
「おお……意外と、力が、要るんだ……」
「そうかも。アルミだからね」
孔を覗き込むようにして削る。ザクザクと、ひたすら削る。
「でも、よくこんなこと思いついたね。表示さえすれば完了かと思ってたよ」
「もしも作業者が素手で触ったら、手を切っちゃうから。安全第一、だからね」
指で触って何も引っ掛からない。そこまで磨いてようやく完成なのだ。これなら安心して使ってもらえる。
「アリガトウゴザイマス」
完成したプレートを作業台に設置すると、二日前と同じようにホンさんは嬉しそうにはにかんだ。
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