51.
「
第一棟を通り抜け、大きな木の下にやってきた。普段、双葉さんが休憩している場所。そして昨日、私が双葉さんを怒らせてしまった場所だ。
「……
隣の席を勧めたものの、双葉さんは立ったままだ。私だけ座るわけにもいかず、立ち上がる。少しだけ双葉さんが申し訳なさそうな顔をしたけど、気にしない。見なかったことにする。
「昨日はごめんね」
「……なんで、謝るの。考えを改めるつもりもないくせに、そうやって謝ってばかりで……先輩は……!」
「違うよ。私が謝りたかったのは昨日の午後の仕事が上手く進まなかったから。それを謝りたかったの」
「……」
仕事の話をされると思っていなかったのか、双葉さんは目を見開く。でもそれもほんの数秒。すぐに眉をひそめ、怪訝そうな顔をする。
「……話ってそれ?」
「それだけじゃないよ。もう少し、付き合って」
「じゃあ他に何の話を……」
次の話へと急かす双葉さんを見て、ふと気づく。私もこの話をすると決めてからずっと緊張しているが、彼女もどこか緊張しているように見受けられる。
「……私の話をしようと思って」
「藤代さんの話……?」
「そうだよ。双葉さんは私のことを誤解している。ちゃんと知ってもらわないと昨日みたいに怒らせてしまいそうだから。聞いてくれる?」
「……」
こくりと頷いた。それを見て話し始める。私の話を。双葉さんに、私って奴がどんな人間なのかっていう話をしなくてはならない。
「……私はね。みんなから優しいって言われるほどの人間じゃないよ。私は……そんなつもりない。ただ、自分のために行動しただけ。それなのに、人はそれを優しいと言う。……この後にいつも私がなんて言うか分かるよね?」
「…………そんなことないよ?」
「そう。正解」
ひそめた眉は戻らず、私の顔を凝視する。昨日と同じ、理解の出来ないものを見たような、そんな目。
……分かってるよ。この話をした時はみんな、そういう目を向けるから。
「どうにも、過大評価な気がして……。私はそんな大した奴じゃない。仕事だってそうだよ、期待しているなんて言われたくない。もしも私が期待通りじゃなかったら、みんながっかりするんでしょう? だから期待とか、そういうの……困る」
「じゃあ、藤代さんは……」
双葉さんは言いかけた言葉を飲み込み、何かを考える素振りをした。
「なに?」
「いや……なんでもないよ。藤代さんの言いたい事は分かったよ。簡単に言うと、自分に自信がないってことだね」
「そう、だね……」
この話は現場にいた頃、上司にしたことがある。……その時は思うように理解が得られなかったが。
ちょうどこの会社に入社して三年目になった春、ラインの班長を目指してみないかと言われた。現場経験も豊富で、仕事も早い。君にはみんな期待していると。
……そんなこと言われても困る。
その話を鵜呑みにして、班長になってしまったら、何か失敗をしたり、期待通りの仕事が出来なかった度に失望される。そんなの耐えられない。最初から何も期待されないほうがマシだ。
そう思って上司に伝えたが、昇格を断る私の気持ちは何一つ理解されなかった。
……双葉さんはどうだろう。この話を聞いて、私の気持ちを分かってくれただろうか。
「この話を聞いた上で断言するよ。藤代さんは自分が思っているより優しいし、仕事も出来る。それは間違いない」
「だから、私は——」
「そんなことない、でしょう? 良いよ、そうやって否定するのは構わない。それでも私は何度でも言うよ。藤代さんは自分が思っているよりすごい人だって」
「止めてよ……そうやって持ち上げられるのは苦手なの。どうせ失敗した時に失望されるに決まってる……!」
「私はしない。約束する。私は藤代さんにがっかりなんて……絶対にしない」
「……ッ!」
双葉さんは強く言い切った。真っ直ぐに私の目を見つめ、力強い言葉で。
その目は私の心の奥底を見抜いている。そう思えるくらい、強い瞳。
「……絶対なんて、言いきれないでしょ」
「言い切れるよ。私、噓とか苦手だし。思ったことしか言わない」
「そんなの——」
「私のこと、信じられない?」
「………………うん」
双葉さんには申し訳ないけれど、信じられない。昨日だって仕事の進捗が悪くて失望されていたのかもしれない。そう思ったから悲しくなったんだ。
「それは仕方ないね……。信じてもらえるように私が頑張れば良いだけのことだから気にしないで」
「……ねえ、聞かせて。昨日、仕事進まなかった時、双葉さんはどう思った?」
「別に何にも。元々、納期に対して余裕があったんだし、気にもしなかったよ。それに進まなかったのは藤代さんだけのせいじゃないよ。私も昨日は感情的になりすぎたし……。だから今日、話しかけてもらえてホッとした。このまま距離を置かれたらどうしようって思っていたから」
杞憂、だったんだろうか。完全に私のせいだと思っていたから。気にしていないなんて言われると思わなかった。
「でもそうやってさ、私のこと気にしてくれるのは嬉しいな。人に興味関心がないって言っても、全員がそうじゃないんでしょ?」
「……そうかな?」
「だって、私が嫌な気持ちになってないか気にしてくれたんでしょ? 目元が腫れるくらい悩んでくれたんだよね。……ごめんね、きつく当たって」
「……ううん、私こそ」
前の上司とは違い、双葉さんはこんな私を理解してくれた。褒めるのも、期待するのも止めないみたいだけど、私のことを理解してくれているからきっと大丈夫だ。
まだ期待されるのは怖い。期待がプレッシャーとなって私を圧し潰そうとする。
……それでも。いつか双葉さんの言葉を素直に受け取って、期待に応えたい。双葉さんにとって優しい先輩でありたい。
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