46.

「そっか。そうだよね」

「……えっ」


 冗談。今のは冗談だから。と、かえでさんは笑う。

 断った私が思わずたじろぐほど、あっさりと楓さんは引いてくれた。


「なーに、そんな意外そうな顔して。もしかしてまだ私のこと好きでいてくれてるの?」

「違います。ただ、簡単に引き下がるのが意外で……。楓さんはいつも強引だったから」

「人聞き悪いなぁ。ただの冗談だよ」

「そうですか……」


 じゃあそろそろ現場に、と案内しかけたところでチャイムが鳴る。十時の休憩だ。


「自販機がある休憩所がこの先にあります。そちらで休憩しましょうか」

「オッケー、やっと休憩だぁ」


 楓さんは鞄の外ポケットに手を入れて何かを探している。なんだろう……?


「……ああ、そうか。煙草は駄目ですよ、この工場は全面禁煙なので。確か楓さんって吸ってましたよね?」

「……まじ? もしかして今日一日ずっと吸えない?」


 鞄を弄っていた手がピタリと止まる。


「二、三年前から禁煙になったんですよ。敷地内は全部駄目です。もちろん駐車場も」

「はー、喫煙者は年々肩身が狭くなっていくねぇ……。口が寂しい……。キスしよう?」

「ほら、行きますよ。口が寂しいなら飴ちゃんあげますから」


 タコみたいな口をした楓さんをあしらいつつ、休憩所に向かう。

 ペットボトルの自販機二台にテーブルがいくつか。管理棟とは比べ物にならない簡素な休憩所だ。


「お疲れ様です」

「お疲れーっす」

「……れーっす」


 何人か既に先客がいるようで、挨拶しつつ自販機の前に立った。ポケットから小銭入れを取り出し、百円玉を三枚投入する。


 ピッ。ガシャンッ。


 深く考えずに選んだそれを楓さんに手渡した。


「レモンティー、好きでしたよね?」

「……うん、よく覚えてるね。今でも好きだよ」


 お金を取り出そうとする楓さんにペットボトルを押し付け、自分の飲み物を選ぶ。


 ピッ。ガシャンッ。


 いつも通り私は水を選んだ。後ろを見ると順番待ちの列が出来ている。早く退かないと。休憩所の端、誰も座っていないテーブルへと向かった。

 ペットボトルの蓋をひねり、水を飲んでいると楓さんは懐かしそうに笑う。


「変わらないね、あの頃から」

「……そうですか?」

「見た目は変わったと思う。顔も身体も、すっかり大人になったね。綺麗になった。でも中身は全然変わってなくて安心した」

「楓さんだって変わってませんよ。もう四年も経ったのに若いままですね。いくつになったんですか?」

「二十七歳だよ。アラサーってやつ。羚はいくつになったの?」

「二十二です」

「時が過ぎるのって早いよねぇ。……ちょっと前まで、まだ十代のお子様だったのに」


 あの頃を懐かしむようにしみじみと楓さんは呟く。

 この会社に入社してから今日まであっという間だった。一年が始まったと思ったらすぐに過ぎていき、また新しい一年を迎える。そしてまた一つ歳を取る。

 ……本当にあっという間だ。


「ね。連絡先、交換しようよ。電話番号変えたでしょ」

「え。良いですけど……連絡、取ることありますかね?」

「あるよぉ。絶対ある。もう二十歳ハタチ越えてるし、飲みに誘って良いんだよね?」

「えー……。楓さんと飲み、か……」

「いーじゃん、行こうよ! この空白の四年間について語り明かそうよ!」


 一歩も譲らない楓さんに根負けして電話番号を教えてしまった。電話帳に登録が一件増える。三ノ宮 楓と。


「あれ……もしかして、チャットアプリ入れてる? おすすめに出るんだけど」

「はい。最近入れてみたんですけど……」

「うっそ……前はどれだけ言っても入れてくれなかったのに。面倒くさいの一点張りだったよね? 急にどうしたの、何かあった?」

「……何も。試しに入れてみただけですよ」


 彩織のことは言わない方が良いと思った。何の根拠もないし、理由も無いけれど。ただ漠然とそう思った。


「そっち! そっちを教えてよ。そのほうが連絡しやすいから」

「良いけど、やり方がいまいち分かんないんですよ」

「貸してみ。ここをタップして——」


 ようやくチャットアプリを使いこなせるようになってきた。新しく友達を追加するやり方も、前に彩織が使っていたスタンプをダウンロードするやり方も、全て教わった。


「これで連絡が取れるね。絶対誘うから」

「はいって返事するかは分かりませんよ?」

「それはお互い忙しいし、仕方ないよ。でも未読無視はしないでね?傷つくから……」

「なるべく早めに返します」


 彩織もそうだけど、未読無視ってそんなに傷つくんだろうか。相手が忙しくてスマホを触ってないだけだと思うんだけど……。


 休憩明けのチャイムが鳴った。休憩所にいた人は立ち上がり、次々と現場に向かって歩いていく。


「私たちも行きましょうか。写真とコメント取り、よろしくお願いします」

「こちらこそ」


 休憩所を出て、東へと歩く。

 このあと回るラインは三つ。それぞれ管理者からコメントを貰い、ライン全体の写真を撮る。

 朝のような気まずさは無く、雑談を交えながら現場へと向かった。

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