綾飛伊吹を負けヒロインなんかにさせるわけねぇだろうが死ね!
稲井田そう
第1話
「ちょっと
「はぁ? それはちょっと用事があって……」
「違うんだみなも! 実はその時、勇太は怪我をした私を介抱してくれて……」
「ちょっとそれどういうこと? 説明しなさいよ勇太!」
昼休み、俺の前を歩く男一人に、女三人。男の名前は
こいつらを見るたびに俺はこの世界は、マジでクソだと思う。
まず、桃池みなもだ。さっきからきゃんきゃん煩く喚き「安斎勇太がこの間自分を置いて行ったこと」に対して憤る女。
ツインテールに柔らかな色合いの金髪で、少しきつめの顔立ちのツンデレもどきクソ女。高圧的な態度で接するのは、構ってほしさの裏返しで、要するに奴が言いたいのは「置いて行った分埋め合わせしなさいよ」だ。ちゃんと日本語で会話しろ。
ツンデレもどき女と挟むように安斎勇太の隣を歩き、奴に介抱してもらったという女の名前は、能取七子。陸上部の女で、黒髪ショートカット。体育会系のクソ女だ。
あいつはさっきから「すまない」と繰り返し申し訳なさそうにしているが、人畜無害というわけではなく、さっきから金髪ツンデレ女の追及にへらへらと、どことなく優越感を持った顔で笑っている。
そして、その三人の後ろでさっきから一言も発さず歩く女――綾飛伊吹。黒髪ボブで、黒縁のわりとごつい眼鏡をかけ、俯きがちに歩く女。
俺は、あの女の恋を、見届けてる。
◆
「今日も駄目でした……」
「……まぁ、今日はギャンギャン桃池が吠え散らかしてたから無理だろ」
赤い夕陽の差し込む教室で、日誌を書きながら、目の前に座る綾飛伊吹に頷く。
奴の目は俺の隣の席……、安斎勇太の机にじっと向けられていて、普段は糸で吊ってるみたいにぴんとした背筋は曲げられ、今日の後悔を物語っている。
「明日は、お弁当を作ってこようと思うんです。安斎くんに」
「手作り弁当か。ラブコメの定石だな。でもあいつ確か中学生だかの妹に弁当作ってねえか? もう自分の分あるんじゃねえの」
「あっ、そ、それは、えっと、自分のと、交換してもらいます。あっ、あと、彼は確か購買のパンを食べることもあるので、明日はもしかしたらパンかもしれませんし」
「ならいーか」
綾飛伊吹は俺の言葉におろおろしながらも、「大丈夫です」と自分に言い聞かせるように話す。
その様子を見てから日直日誌の今日一日の報告欄に「安斎は死んだ方がいいです。去勢させてください。ある程度金は出します」と書きたくなるのを堪えて、「体育のバスケが楽しかったです」と書いた。
「……男の子って、どんな食べ物が好きなんでしょう?」
「男の子っつうか安斎が好きな食べ物じゃなきゃ駄目だろ。……そういやあいつ、コロッケパンとか唐揚げパンとかタルタルソースがけの魚揚げたパン大量に持ってたな、あいつ揚げ物好きなんじゃねえの? 見てるだけでゲロ吐きそうだった」
「そうですか……唐揚げ、コロッケは……」
そう言って、女はメモを取り出した。綺麗な字でばつの箇条書きチェックをつけ、コロッケや唐揚げ、タルタルソースと記し、さらに赤く丸をつける。
放課後、こいつが安斎勇太の正妻ルートを勝ち得るために俺が話を聞いたりするようになったのは、丁度六月の、体育祭の次の日。
安斎勇太に、痴漢から助けられたからだとか訳わからん理由で惚れたこいつは、六月の体育祭だかの放課後、クソバカゴミ自称フツメン顔面偏差値68義妹あり自称平凡ゲロ安斎勇太に送るラブレターを俺の机の中に間違えて突っ込んだ挙句、「協力してください」と頼んできたのだ。
そのシチュエーションが、大層王道ラブコメっぽかったのと、なんとなく藁にも縋るが如く頼んでくる綾飛伊吹に、今まで俺が見送ってきた負けヒロインじみたものを感じて協力している。
というのも、俺は昔から、小学校六年いったかいってないかくらいの頃から、ラノベのラブコメが好きだった。
しかし、俺の応援してる女が主人公と幸せになっている姿は、見たことがない。あまりになさすぎて、作家や主人公に怒りを向けることもある。
そんな中で、性格が良く真面目で善良。控えめな性格ながらもクラスの学級委員長を務め、いかにも負けヒロイン全開スペックを持つこの綾飛伊吹が「今まで俺が見送ってきたヒロインたち」と被り、俺はこの女に協力することにしたのだ。
しかしまぁ安斎勇太のタラシっぷりは手ひどいもので、四月後半すぐに桃池みなもと同居だかすることになり、お互い文句を言い合ううちに仲良くなっているし、そんな事情が全く関係ない俺の耳に入るほどわかりやすく教室で喧嘩という名のいちゃつきをしてる。死ね。
そしてそのあたりに綾飛伊吹が困ってるところを助けたらしいし、その翌月に陸上部と生徒会がもめて、助けてもらったとかの理由で能取七子は落ちていった。
同時期に生徒会役員もあの男に落ちた。さらに奴は留まるところを知らず、家族との旅行先で外国の女を引っ掛けてきて、その女は夏休み明け転入してきた。
年はあっちのが上で、クラスメイトではないものの朝俺の席に必ず居座ってクソ邪魔だ。
その女も綾飛伊吹と同じ穴の貉らしく、スリにあったとかで困ってるところを助けてもらったらしい。
そんなんで惚れんなら消防士だの警察官だのモテモテだろ死ね! 俺の長兄なんか自衛官で国守りまくってんのに魔法使いキメてんだよなめてんじゃねえ殺すぞ。
「つうかさ、お前文化祭どうすんの? 桃池、安斎に告るみたいだけど」
そしてそんなクソみたいな惚れ方をした女に問いかける。
文化祭……あと五日後は文化祭だ。
ハロウィンと同時期に開催ということでうちのクラスはコスプレ喫茶に決定した。
でもまぁ出し物はどうでも良くて、問題はクソツンデレ女が唐揚げ安斎に告白しようとしていることだ。
後夜祭のあと話があるから二人で帰りたいと約束を取り付けているところを俺は見た。
あれはどう見ても告白で、優柔不断なあの男はここで付き合うことはしないまでも意識はする。
そして下手したらルートが桃池に固定される可能性だってある。
「……それは」
「このままだと最悪桃池に爆速で持ってかれんぞ。なんか対抗策こっちでも立てねえと」
「……でも、どうしていいか分かりません」
綾飛伊吹はどこか目に涙をためるように俯く。
その様子が見ていられなくて、俺は日誌を書くペンを置いた。
「そういやあいつはコスプレ、執事だっけ。ここはお嬢様みたいな格好して、揃って並べば映えるような感じにして、文化祭の時少しでもあいつの傍にいられるようにすればいいんじゃねえの。あいつ顔はいいんだし適当に徘徊させとけば囲まれんだろ。オタクの女とかに」
奴は、自称フツメンだ、
マジで死んでほしい。自分のこと普通だのフツメンだの平凡だの言ってる奴は、大抵平均より顔がいい。ちゃんと言え。自分の顔は中の上程度ですと言え。
あいつの顔は、女にワーキャーウェーイみたいなこと言われないだけで、目に見えて女に好かれる顔ではないことで警戒心を解きやすくし、なんとなく手の届く感じがする。誰からも手を伸ばしやすい落ち着いた感じのあるイケメンだ。死ね。
俺はあいつが歩く度に「お前が平凡を名乗るな、くたばれ」と、ひたすらあいつが死ぬことを祈っている。
家庭科ではさっと家庭料理を作り上げ、毎日中学生の妹に弁当を作ってやり、「やれやれ」と言いながらもクラスや学校で人気のある女子や部活一つ簡単につぶせるバカみたいに権力を持つ生徒会の女に次々と秋波を向けられる。そんな男がフツメンなわけねえだろ死ね。
しかも義妹だけじゃなくかわいい幼馴染がいるらしい。それであいつは平凡を自称する。
平凡な人間には幼馴染なんていないんだよ。幼稚園一緒、小学校の登校班が同じ、中学も高校も同じってなんだ。少子化舐めてんのか殺すぞ。ここ都会だからな。限界集落でもないか二人とも天才で結果的に全国トップの学校順当に行ってるか同じ夢を持ってるか片方が人為的に合わせてない限り無理だろうが死ね!
……とにかく、奴の顔はそこそこ整っている。
だからあいつとペアっぽい服装にしていれば、写真撮るのが好きな輩がワーキャーやってきて、あいつと、この綾飛伊吹がお揃いみたいな服装でいれば、そこそこ顔のいい奴と美少女の並びでいい感じに囲まれ、疑似的な二人きり空間を作ることが可能だ。
しかしこの女は、どこか考えるような物憂げな瞳でこちらを見ている。
「んだよ」
「私が姫なんて、似合いませんよ」
「鏡見てもの言え、全世界の自分の顔にコンプ持ってる人間に刺されんぞ。俺が女だったら今の発言でお前の家燃やしてるからな」
「……」
俺の言葉に綾飛伊吹は迷うようにしてただ俯く。
こいつは控えめだし姫だのお嬢様の格好は照れるとかでハードルが高いかもしれない。
俺は「フリッフリじゃなくていいんだよ。お嬢様っぽく見えれば」と付け足して日直日誌を閉じた。
◆
次の日も、別段変わったことはなく昼になった。
俺はただラブコメを読みながら弁当箱を鞄から取り出し、やれやれと困ったようにため息を吐く安斎を心の中で呪い、俺が立ち上がると即座に俺の座席を占拠してくる外国人の女を呪い、キンキン声で喚くツンデレクソ女を呪い、綾飛伊吹の胸のでかさに憤慨し、教室ででかい声で「ずるい」と叫ぶゴミ体育会系女を呪うだけだ。
教室で胸なんか揉んでんじゃねえよ殺すぞと思いながら体育会系ゴミ女を睨むと、ゴミはこちらを見て首を傾げその手を止めた。
一方の綾飛伊吹はほっとしたように自分の片肘を掴んだ。
綾飛伊吹は、あのゴミと幼馴染らしい。本人から聞いた。
それで小さいころから両親にあいつの世話を頼まれているらしいけど、マジであのゴミと綾飛伊吹が同じ高校なの意味わかんねえなと思っていれば奴はスポーツ推薦で入ったらしくめちゃくちゃ納得した。
「なんだよ? どうしたんだ?」
そして体育バカといえば、わざわざ俺に話かけてくる。
まあ睨んだから当然だ。「痴女が何でお日様の下歩いてんだよ死ね」くらい言ってやりたいけど、普通にここ教室だし、もろ天井でお日様遮られてるから、絶対それを言ってもこいつは「天井があるぞ?」とか訳わからんこと言い出すに決まってる。
俺は「別に」とだけ返した。しかし何でかゴミは俺のほうに向かってきて――そして躓いた。
こちらに倒れ掛かってくる女、そして視界の横から差し出される腕、分かりやすいラブコメのテンプレ、安斎がゴミ女の胸を支えるようにしている。
ゴミ女はぱっと顔を赤くし、媚びた表情をした後「す、すまない!」と安斎に謝罪した。
安斎は「お、俺もわりい」と言うものの、頑なにその胸から手を離さず、ツンデレ女に指摘されようやく「あぁっ」とわざとらしい声でぱっと手を放した。
クソだ。何で胸に手がいくんだよ。危ねえ人間支えるなら腕か頭だろうが。何で胸に手が行くんだよ死ね。
女もクソだ。クソオブクソ。クソオブザイヤー受賞。あんなんで喜んでる顔するなんて絶対貞操観念死んでるだろ。泣くか怖がるか怒るか驚くか絶望するか思考停止するかだ。あんなんで喜んで媚びた顔するような女はクソ。クソオブクソ。
二ページ目には見る影もなく清楚から離れた状態になってる女と絶対同じだ。絶対そう。
今だって隣人や家庭教師の黒髪でパッと見穏やかそうでわりとローテンポの音楽聴いて「アニメ? 実は割と見てるんだ」みたいな男に言いなりにされてる。そうに違いない。学校にヤバいもん持ち込んでるし、授業中顔赤くして退席するようになるんだよ。それで自分を心配した友達をその男のもとに連れて行って導いて二人で仲良くピースするんだろクソが。
死ね。
「っていうか、さっきお前、私のこと睨んで……」
「わっわたし! 安斎くんにお弁当作ってきたの!」
そう言って、体育ゴミ女の言葉に被せる綾飛伊吹。奴は弁当の包みを安斎に差し出した。
「え、俺に? うわありがと……弁当作ってもらったことないから感動だわ」
話題は一瞬にして、綾飛伊吹の弁当に移っていく。
体育ゴミ女もツンデレのクソ女も外国人の女も皆奴の弁当にくぎ付けだ。
そして弁当を貰った安斎は「今日寝坊して購買でパン買おうと思ってたから助かるー」なんて言って、早速開いた。
中にはいかにも真面目そうな女が作った和食弁当って感じのラインナップで、健康に気を使ってか煮魚がメインのものだ。
安斎は早速とでも言うように、手の込んでそうな、一番コメントがほしいであろうおかず類ではなく白米から口に運んだ。
何だあいつ。他人のおっぱいを触った手で綾飛伊吹の弁当食ってんじゃねえよ殺すぞ。
無遠慮に弁当を食う安斎ゴミゲロ唐揚げ野郎に殺意が沸いた。
つうかさっきの「お、俺もわりい」は何だ。何が悪いだ死ね。悪いなんて思ってないだろ。今日風呂入った時とか寝る前に思い出すだろ。
それをふとした瞬間に思い出して顔赤くしててめえのご自慢の妹に「むぅ」とか言わせておいてお前は義妹を選ばない。俺はそんなお前を許さない。殺すぞ。俺は覚えてるからな。死ね。
俺は奴らに気づかれないように溜息を吐き、隣のクラスの知り合いと飯を食うべく教室を出て行った。
◆
「この女、本当に、本当に最悪だ。信じてたのに絶対許さない。何でこの黒髪の男がいいんだよ、頭がおかしいのか? 幸せなお嫁さんになりたいなら絶対この黒髪ゲスツンデレもどき俺様ぶった何にもできないいざとなると俺はお前を傷つけるとか言って告白待ちするゲスゲスゲス野郎を選ぶんだよ! おかしいだろうが!」
昼を食い終わった俺は、絶叫し、階段の踊り場で漫画を叩き付ける知り合いを遠い目で見ていた。
隣のクラスの知り合いこと、この絶叫男は少女漫画を愛し、そして少女漫画によく出てくる主人公に当たりが強く、主人公に「あんな男大嫌い!」と序盤に言われながらも最終的に選ばれる男を心の底から憎んでいる。
そして今週発売の物語で応援していた主人公が黒髪の……この男の言うゲス野郎を選んだことで、今日俺の昼食はその黒髪ゲス男死すべし講演会を聞きながらの昼食となった。
昨日の夕飯から引き続きお越しいただいている焼き鮭の味が昨日より確実に薄く感じたのは確実にこいつのせいだと思う。
「何で、何でこの、優しい王子様をこの子は選んでくれない? 始めは間違いなく王子ルートだったんだよ!? 何故なんだWhy!? 俺の道徳がおかしいのか!? いやこの世界がおかしい!!」
「あれじゃねえの、主人公に当たりの強い人間がおいおいデレるから、お得感がある的な。ツンデレヒロインだってそこが萌えどころだって思われてんじゃねえの」
ツンデレヒロインも、最初は当たりが強かったのがふとした瞬間に弱くなったり、こっちに甘えてくるところがいい。すごくいい。
クーデレもそうだ。クールだったのがこっちに甘えてくる感じが可愛い。そういうことなんだろうと思う。
良く知らないけど。
だからこそ、中途半端にものが言えない。
この男の対処をどうするかは、まぁ話を聞きつつ、基本放っておくのが一番だ。
ぼーっと階段の下の廊下を眺めていると、ふいに見慣れた黒髪がこそっと歩くのが見える。
鞄を肩にかけているし、ただならぬ気配を察して知り合いを放置し後を追うと、その黒髪――綾飛伊吹は購買の前で物を買うこともなくうろうろと不審な動きを繰り返していた。
「おい」
「え、あっ」
肩を叩くと、こちらを振り返り、綾飛伊吹は目を見開いた。
その手には財布があり、購買で何かを買うのだろうことは察せられたものの、中途半端に開かれた財布は、額が一目見て分かるほど何も入ってなかった。
「飲み物でも欲しいのか」
「いえ、お昼を……」
「お前あいつの分作るので自分の分忘れたのか」
指摘すると、女は困ったように俯いた。
俺は購買に視線を向け、ポケットから財布を取り出すと、とりあえず残っていたメロンパンと焼きそばパンを買った。そしてその袋を押し付けるように綾飛伊吹に渡す。
「えっ」
「飯ないならそれ食え」
「あっ、ありがとうございます……お金、明日必ずお返しします……!」
感謝する女を前に、わずかに。すごくわずかに、救われたことでこの女があいつに好意を向けるようになったのなら、今俺にそれを向ければいいのにと邪悪な考えが浮かんだ。
顔はアレだけど、少なくとも教室の前で胸を触る男よりはマシなはずだ。
そんな考えから目を逸らすようにして綾飛伊吹の前から立ち去ろうとすると、袖がつんと引っ張られた。
「あの、文化祭のコスプレ、見てもらえませんか今日持ってきたんです……」
そう言って俺を見上げる綾飛伊吹の表情に息を飲んだ。
出た、この目だ。
縋るような、目。
六月のあの日、俺に安斎との仲を協力しろと言ってきたこの目。
俺はその目に縛り付けられるような気持になりながら、「ああ」と短く頷いた。
◆
「実は、このお洋服を買ってたら、お金がなくなってしまいまして……」
力なく笑う綾飛伊吹は鞄からごそごそと袋を取り出す。
黒いゴミ袋みたいな素材のビニール袋を手にするこの女を、俺は立ち入り禁止の屋上と繋がる階段の踊り場でじっと見つめる。
ここは、あまり人が来ない場所だ。ラノベの定石、誰も来ない踊り場。
でも俺は安斎みたいなやつじゃない。いわばモブ。
目の前の女はまさにヒロインだから、こんなにヒロインと絡むモブがいるのかよって話だけど、俺は結局モブだし、こいつはヒロインだ。
しかし、ヒロインが鞄から取り出したのは、まったくもって正妻ヒロインとしてはあるまじき……それこそとんでもねえ感じの、やばい人間の中でも好みが分かれるような
布面積が死んでるような衣装だった。
「どうですか……? ……こういうの」
そう言って、赤くうつむく姿は、悪くはない。
悪くはないが、この衣装は悪すぎる。
拳ほどの面積しか無い布に、黒い細いひもが縫い付けられているだけだ。
凧揚げのほうがまだ布地があるような下着のようなその衣装を見たとたん、安斎が無遠慮に弁当を食いだす姿や、綾飛伊吹が胸を触られる姿が浮かんで、俺はその怒りの勢いのままにその服を地面に叩き付けた。
「駄目だろうが! ハァ!? 駄目に決まってんだろうが!」
「えっ」
「えっ、じゃねえよ! 文化祭でサキュバスコスプレなんかしてんじゃねえ! そういうのは二人きりの時にしろ! 付き合った後だそれも! 何で今こんな、文化祭で突然脱ごうとしてんだよ! こういうファッションが好きなのかお前は? そうなら俺は止めない。ファッションは自由だからな! ただもし万が一お前があいつを落としたくてこういう恰好するなら間違いだ! 鎖骨より下から膝上五センチまでは見せんな着込め! それ以上出したくなったらな! お前が! 十八超えて! あいつと付き合って! いい感じになってきたな〜肌見せたいな〜と思った時にしろ! 今すんじゃねえ! いいか、今付き合ってもないのにお前がへそ丸出しにして、仮にあいつがころっとお前に落ちたら、今度知らねえ女があいつの前で全裸になったらあの男は全裸女のほうに行くぞ。いいか、皆に騙されちゃって……なんてシチュでしようとか考えてるかもしれねえけどな! 無知なんて現実じゃありえねえんだよ、常識が違う異世界でしろ! アア!」
ぜえぜえと息を吐き、吸うことを繰り返す。
なのに全然呼吸が肺にいっている気配がない。
軽い酸欠に陥り手すりに手をついていると、綾飛伊吹はふるふると震えだした。
「ご、ごめんなさい……。でも私、もうどうしていいか分からなくて」
「そんな金も心も追いつめられるならもう今好きだって言ってこい! 彼女持ちか他に好きな男がいるかじゃねえかぎりお前に告白されて落ちない男なんていない!」
綾飛伊吹が金使って、しかもどこで買ったか入手ルートすらやばそうな下着みたいな服を文化祭に着ていこうとするまで追いつめられてんなら、もう一回安斎に告白させたほうがいい。
最悪結果が悪かったら何とかして安斎を脅して無理やりこいつのルートに突入させてやる。
そう考えていると、突然腕を掴まれた。
「
「は?」
誰だよひとしって。
いや俺の名前じゃん。こいつ何言ってんだ? 頭でも沸いたのか?
それとも拗らせすぎて脳みそ死んだのか?
呆然としていると綾飛伊吹は顔を真っ赤にして口を開いた。
「本当は、六月……あの時、入椹くんにお手紙書いたのに、間違えられてしまって……。だから、これから仲良くなってって思って、安斎くん好きなふりしてれば近づけると思ったんです……! それで、今日のお弁当も、本当は入椹くんに食べてもらいたくて、わ、私が入椹くんの机に躓いて、お弁当入った鞄ちょっと蹴っちゃったりして、お弁当交換しようとしてて……お洋服も、全然入椹くん私のこと、見てくれなくて、え、えっちなお洋服着たらちょっとは私のこと見てくれるかなって……そう、思って」
涙目になりながらうつむく目の前の女の言葉が、頭の中で反響する。
綾飛伊吹が俺を好き? 何で?
「待って、何でお前俺のこと好きなの?」
「一番最初に、気になり始めたのは、四月で皆で行ったカラオケ大会で、かっこよく歌ってるところで、日直日誌、ちゃんと書いたり、黒板を日直が拭いてないとさっと自分から行くところとか、ご飯食べるときの仕草が綺麗なところ、お掃除をちゃんとやるのとか、騒いだりしないところも、好きで、ず、ずっと追いかけて見てて、あっおうち帰るときに、金曜日だけ肉まん買うところもなんか可愛くて好きだし、お休みの日頑張って早く起きようとしても結局お昼に起きて午前中何にも出来なかったってショック受けてるところも好きですっ」
「なんでそんなこと知ってんだよ。つうかそんな理由で好きになるなよ……」
「そ、そんなって、考えるところも好きです! 下心感じないところ、すごく好きで」
「……でもさっき、俺はお前に昼飯奢ったとき、お前が俺の事好きになればいいのにって思ったけどな」
「それって、私のこと、少しは思ってくれてるってことですか……?」
指摘をされて、自分が口走った言葉の意味を理解した。まずい。
「打算でも、下心でも、入椹くんなら、嬉しいです……!」
綾飛伊吹は嬉しそうにはにかむ。
その笑顔は、ヒロイン……というより、等身大の、一人の女の笑顔そのもの。
俺はどうしたものかと考えながらも、嬉しい気持ちがあって、でも認めてしまうと本当に気恥ずかしさで死ぬような気がして、「じゃあ、よろしく」と、力の加減が分からず恐る恐る手を差し出した。
綾飛伊吹を負けヒロインなんかにさせるわけねぇだろうが死ね! 稲井田そう @inaidasou
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